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1995年のお隣の韓国ソウル。日本ではバブルが弾けたと言っているときにこんな状況だったのか。男女雇用均等法や会社汚職、不正、内部告発をここまでポジティブに元気に脚本化する力!この時代の日本の女子サラリーマン作品といえば、『ショムニ』あたりだろうか。日本はこの30年間何も変わっていない。これは韓国の爽快なコミカルサスペンスで楽しく応援したくなる作品だが、このような作品を日本には作れない。「作品」とは「映画論」に他ならなず、韓国映画界のある可能性を見た。
血湧き肉躍る。ほとばしる汗、息、鼓動、熱量。美しすぎる絵作り。キップ・ハンラハンばりのザラついた音。違法くじや母親探し、貧困社会。そんな話題は糞食らえ。コード化されないメッセージ。意味の過剰。鋭い陰影。鈍い記号。たしかに「数字」に取り憑かれた人間たちの物語ではあるが、それは記号ではなく、あまりにも強すぎる生きる力が形象化された神の姿そのものだ。「時は止まらない」。ロムも映画も私たちも待ったなしの一回きりの本番の人生を疾走しているだけなのだ。
なんと美しい老人施設であろうか。花が咲き乱れ、鳥が歌い、人間が歌を詠み、陽光で満たされる。ドキュメンタリー的に展開していくサスペンス風探偵物語は、いつのまにか台本のないヒューマンドラマと化していく。私物が盗難に遭い、家族の訪問がなくなり、記憶も曖昧になっていく。老人ホームは「謎」が充満していく。日常を充実した晴れやかな眼差しで捉える人間にとって、誕生日会も葬式も同義語。映像には映り込まないテーブル下での手繋ぎや人生の記憶。心温まる一本だ。
移動しない密室で展開される出来事は、「ここ」でも「いま」でもない旅に二人を連れ出すロードムービーだ。照射するのは海上ではなく二人の心の陰部であり、目印は船舶のためではなく二人の理性の基準地だ。「日誌」とは出来事の偽りの痕跡であり、「時計」とは行動の自己弁護だ。「日誌」を破り、「時計」を壊し、人間は初めて自由を獲得する。周囲に拡がる深淵には不可視のリヴァイアサンが姿を現す。そこは光という神の祭壇でもあり、司祭のための天国と地獄の入り口でもあった。
マーケティングを意識しすぎ混乱してる点で映画自体が現代的企業活動の産物だ。「国家が破産する日」(19)が描く97年韓国通貨危機の前日譚と見れば本作の題材の企業不正は興味深い。いっぽうフォームはTVドラマ『ショムニ』風の事務服OLドタバタ劇で、シリアスとコメディの並立を狙う演出は挑戦的だが二方向が相殺し機能していない。OLドラマに笑いと共感を期待する観客に後半の企業ミステリは不要、社会派映画好きには演技の誇張や大企業礼賛が不愉快というジレンマが。
ヴェトナム都市部の庶民に根づくノミ屋産業「闇くじ」の風俗的珍奇と、スラム暮らしの人々や孤児の厳しい生きざまを交錯させたスピード感ある力作。若い監督は構図や編集に才気が漲り、街頭での生々しいロケも刺激的。「くじ」の必勝理論にもっと踏み込み、当たりハズレが脇役各々の人生に深く突き刺さる様を脚本化できればギャンブル映画としてさらに良かったと感じるのは私が阿佐田哲也や寺内大吉を読みすぎのせいかもしれないけれど、監督に彼らの小説を読ませたかった気も。
題名にある「スパイ」のミッションはすぐ放置されNHKが作りそうな老人ホーム密着ドキュメントに方向転換。高齢者福祉の課題はチリでも同じで、熟年男女の交流に心温まるより、家族面会がなく置き去りにされた人々の寂しい集住に暗鬱に。時々再開されるミッションは他人の動向を盗撮したり無断で部屋を捜索したり。その映像を映画に使ってるのに調査は途中放棄、スパイは優しい家族のもとへ帰る。難しい企画をやろうとして全て曖昧になった印象。こんな無責任な展開でいいのか?
D・リンチが登場した時に近い高揚と動悸。主演二男優による大げさな眼力演技合戦はわざわざ低感度フィルムで撮影した白黒映像にフィット、照明設計やノイズサウンドも完璧に効果を示し、発掘された旧作を見るように古色蒼然を楽しめる。男ふたりの密室劇は結末が歴然だし、終盤の泥酔場面がくどい、脚本構成が同じ監督の前作「ウイッチ」に似すぎ等々ツッコミどころも散見するけれど悪趣味な低予算スリラー好きに充分お薦めできる。雨の日、薄汚ない映画館でひとり観たい怪作。
懐かしいいで立ちをしたヒロインたちの冒険と、事件を調べていくミステリー要素。品の良さや、第三者的な視点を維持した物語の展開も含めて、まるで角川映画を観ているような気分。コ・アソンのもの言いたげな表情には引き込まれるし、達者な演技でありつつさっぱりした存在感はイヤミがなくて好印象。理解ある上司や素直な後輩など、善人の男性キャラの存在は救いがあり、さらに彼らに関して恋愛要素が絡んでこないのがすがすがしい。クライマックスの畳み掛けもケレンがある。
サイゴンの裏町の喧噪とバイタリティが切り取られ、少年の日常がスピード感あふれる演出で展開していく。不安定な日々を表す表現として、カメラが傾いでいるだけなのは安易でびっくりするが、RPGゲームのように立て込んだ集合住宅地のダンジョンを駆け抜けていく縦横無尽さは生き生きとしている。貧困から危うい仕事に携わる子どもの映画はたくさんあり、本作はそこから頭抜けているわけではない。しかし二人の少年の友情と敵対の成り行きは、珍しい衝動的なドラマとなっている。
ドキュメンタリーとモキュメンタリーの狭間を自由に往来する演出のあり方が、本能的で良い。現実と虚構に堅苦しく線引きをするのではなく、スパイという演出に愛嬌を持たせて、ちょっとしたメタ的な視座を織り込むことに成功している。ただ老人ホームを悪く描く気は毛頭なかったとしても、好き好んで入りたいわけじゃないという現実は滲むので、鑑賞後はどんよりしてしまう。映画は認知症によって人が変わり、死の恐怖に囲まれる老いを率直に捉えられる段階だが、対処法は遠い。
そりが合わないベテランと新人の灯台守の男2人が繰り返す、口論のための口論。モノクロームの美意識が強い映像。シュールな夢想と人を恐れない不気味な海鳥。マヤ・デレンの実験映画のようで、ただ好きだなと思う。難解でもないし狂気が深まっていくテンポもスムーズで、前情報で受けるとっつきにくさはない。クラシカルな夢の怪物も絶妙な塩梅で色気のあるカットになっている。趣味に訴えかける作風でメッセージ性はあまりないので、個人の嗜好で合う合わないは判断して頂きたい。