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仕事にも家庭の円満にも将来にも目を背け、ただ肉体だけを欲する相手の求めに応じて情事を繰り返す。それは一見、古いタイプの“待つ女”にも見えるが、女性ばかりが貞節や家庭のケアを求められてきた社会においては、一種の反動的行為にもなるのではないか。そして、レティシア・ドッシュが見事な実在感で演じる人物が固執していたのは、男ではなく、そういう生き方に身を投じる自分自身であるようにも感じられる。女性の社会的なあり様が、アンビヴァレントに活写された興味深い一作。
かなり驚かされる突飛なストーリーが特徴的だった韓国の恋愛映画をタイでリメイク。設定部分に大きな改変が加えられているが、突飛な展開自体は変わらず。ただし今回の改変によって、オリジナル作品にもあった、子どもとの恋愛という倫理的に問題ある要素は、恋愛の障害という意味で同性愛と同列の扱いになってしまっているように見え、問題の根を深くしてしまっている。とはいえ、90年代タイの地方を表現した映像は魅力的で、俳優の演技にも撮影技術にも安定したクォリティがある。
ベテラン俳優アントニオ・ピオヴァネッリ演じる父親役と同じく、演技初挑戦だというカロリーナ・ラスパンティが演じる、おしゃべりで社交的なダウン症の女性ダフネに翻弄され魅了され続ける一作。前向きで善意に溢れたダフネが周囲の人たちに影響を与え、彼女に還元されていく構図は、一種の錬金術のようにも感じられる。じんわりとしたラストシーンや、父娘で森を歩く道行きなども味わい深いが、物語は起伏が少なく単調に感じられる。とはいえ、ダフネが苦しむ姿は見たくないが……。
モデルとなったゲイたちの水球チームの実際のメンバーが監督しているだけあって、少々えげつない部分まで遠慮なく表現できているところが魅力。ゲイ差別に遭う描写も存在するが、それよりも人生を楽しんでいる姿を見せつけることで共感を広げようという試みも納得できる。ただ、パーティーやダンス、カラオケなど、メンバーがハイテンションで繰り広げる騒ぎは、観客側を置き去りにしている印象も。とくに後半はシナリオが放棄され、全体の構図が崩れてしまっているように感じられる。
この際、性的な欲望のみで成立する関係をアリとする。欲望の「虜」になってしまったのだから。男は既婚者で家庭を壊すつもりはない。シングルマザーの女はそれを承知で男からの一方的な連絡をひたすら待つのみ。ただし、女が盲目的に男に服従、あるいは従属しているのでなく、女の自発的な選択による関係がこの映画の重要な視点である。一見、身勝手な男を演じるバレエ・ダンサー、S・ポルーニンの容姿と鍛えた身のこなしが、女の欲望、つまり映画の視点を厭味のないものにしている。
韓国のオリジナル版と展開の大筋は同じだが、タイ版が転生する主人公を男性から女性へと、逆にした意味は大きい。デューが不慮の事故に遭ってから22年後、結婚をしているポップは妻を愛せないと自覚していると理解したい。となると彼は、現れた女性リウへの思いを過去、つまりデューに重ね、その結果、来世で同性のデューと生きなおす覚悟を決めたのではないか。LGBTQに理解を示したうえのバンジージャンプは、来世を現世の連続ととらえるタイの死生観の反映とも思えるから。
思ったことを忖度なしで口にし、感情を抑制できず周囲に当たることも。その態度を高飛車に感じることも。30代のダフネを、ドキュメンタリーと錯覚するほどリアルにとらえる。いることが当たり前だった母の突然死によって、父との距離を嫌でも意識する彼女の、力強い個性がドラマを支配する。感傷や説明のエピソードは皆無だが、父が宿の主人に娘が生まれた時のことを語る場面、ダフネと森林警備隊員とのやり取りで浮かび上がる。父娘の旅は、次なる段階へ移る人生の通過儀礼とみた。
不明にして「ゲイゲームズ」という大会の存在を知らなかったが、水泳プールを舞台にした男たちの話を昨年から数本見ているので、既視感がちょっぴり。それでも、コスプレやクラブでのカラフルで賑やかなパーティ場面、音楽など、予想に違わずそれなりに楽しむことはできる。その反面、元五輪のメダリストの同性愛者に対する無理解に端を発した主題がもつメッセージがかなり曖昧に。無害な娯楽作品の役割は果たしているものの、LGBTQ問題の議論が盛り上がる今日、物足りない。
シングルマザーの主人公の愛欲と苦悩の日々をつぶさに紡ぐだけのタイトル通りシンプルな作りで、物語はほとんど動かないのだが、ひたすらにヒロインの気持ちに寄り添った不均質なカメラワークとざらついた画(フィルム撮影に見えるがエビデンスは見つからず)、少々乱暴でしつこい歌モノ音楽の差し込み、光が回り切った明るい部屋での生々しいセックス描写など、あまり味わったことのない演出バランスによって自他の境界が曖昧になる感覚が表現されている極めて純度の高い性愛映画。
「あっ、これが近ごろ腐女子という名のお姉さまたちをざわつかせているタイ産BLか……うん、すごく丁寧に撮られているし、デュー役の男の子の表情筋フル活用の一生懸命なお芝居がカワイイなあ……あれ? なんか急に話が変わったぞ……え?……うそだろ? ……いやまあ、分かったけど、これどうやって物語閉じる気だ? て……ええー!?」という感じで、自分の宗教観がひっくり返された、なかなかのトンデモ映画だったわけだが、これが韓国映画のリメイクだと後から知って二度びっくり。
最愛の母親に先立たれたダウン症の娘が父親の愛によって自立するお話かと思いきや、逆にショックで引きこもりになってしまった父親をしっかり者の娘が尻をひっぱたいて立ち直らせる物語であったことには地味に意表を突かれたし、このちょっぴり皮肉屋で理屈っぽく、しかしとてつもなくキュートで皆に愛されているダフネを演じたカロリーナ・ラスパンティの魅力が画面に溢れており、彼女の存在なしには成立しえなかったであろう映画で、ただ山道を歩く二人の後ろ姿に無性に感動した。
オリンピック選手が差別発言の罰としてゲイの水球チームのコーチをやることになり……という実話がもとになってるとは思えないオモシロ設定で、ことあるごとに乱痴気騒ぎをするゲイ描写は少々デフォルメが過ぎると感じるし、全ての試合をモンタージュで流してしまってることにも物足りなさを覚えるのだが、この手のモチーフを喜劇映画で扱っているのは進歩的で、レズビアンに対する差別発言をたしなめられたゲイの「マイノリティの特権よ」という反論には考えさせられるものがある。