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多くのサイコキラーサスペンスは、犯人を謎の人物としておどろおどろしく描きがちだが、本作は快楽殺人のどの部分に犯人が性的欲求を抱くのか、あくまで一例ではあるものの、“殺人犯の身になって”考えられている点で優れているし、劇中で犯人を演じる、ある俳優の気味の悪い演技は賞を与えたいほど真に迫っている。そこまで異常な描写がある一方、少年少女を主人公としたジュブナイル映画としての部分は月並み。娯楽的な枠組みから外れた方が、より話題になったのではないだろうか。
子どもの病気というシリアスな問題を強調する導入部から、当事者である少女が自分の境遇に疑問を抱くあたりまでは、何が起こるのかと興味深く観ていた。しかし、彼女が直面する事態や作品自体の性質が明らかになってくるあたりから、思わせぶりな前置きが用意されていたぶん、そのありがちな内容に大きく失望させられる。陳腐な台詞と荒唐無稽な悪役、手垢にまみれた展開、そして病気という要素がただサスペンスを盛り上げるものにしかなっていないなど、美点を見つけるのが難しい。
時間が止まるという奇跡が訪れる描写が見せ場となっているが、この現象が起こったと思ったら、いの一番に意中の女性のところに駆けつけ、動かない女性を連れ回す、ある意味変態的な主人公の男性を純粋で誠実な人物として爽やかに演出しているのが、どうにも納得できない。自分に合ったパートナーとなかなか出会えないという、多くの人々が共有する課題から始まる作品だが、その結論として、おとぎ話みたいな無根拠な理屈を持ってくるのも無責任。全体に精神的な幼さを感じる一作。
ハングル文字形成時における宗教対立などの背景や、発音を念頭に置いた文字組成の優れた合理性が理解できるという意味では勉強になる一作。とはいえ、権力者への自制をうったえながらも、基本的に自国文化の礼賛に終始する内容であることも事実で、その偉大さを強調したり重厚に演出されるシーンには、さすがに鼻白んでしまうし、理性的な明君として描かれる、ソン・ガンホ演じる王のキャラクターも、いまいち魅力に欠けていると感じられる。国内の保守層は喜ぶのかもしれないが……。
父親をシリアルキラーではないかと疑った高校生の息子。父親への疑念が主題のスリラーだが、理解ある父親と巣立ちを始めた思春期の息子との対立話の様相。信頼が揺らぎ、疑念が確信となる過程の、中盤以降の展開は隙があり平板に。さらに終盤のクライマックスに至り、すんでのところで命拾いをした女性はなぜ警察に通報しないのか。モヤつくままに結末に至り、結着のさせ方にも仰天。息子役のC・プラマーのアイドル性は狙い通りかもしれないが、この結着の意図は判然としない。
母親の娘に対する狂気を描いた古典的なスリラー。ストーリーに仕込まれた二つの秘密は見てのお楽しみとして、物語を貫く緊張感を支えているのは、母親役のサラ・ポールソンと娘役のキーラ・アレン、二人の女優の持ち味だ。ポールソンは優しい母親と、恐ろしいことを実行するとき、顔の表情でシーンを思いのままに支配する。対して、実生活でも車椅子を使っているというアレンは、利発で行動力のあるキャラを迫真の現実感で。母親の心情に疑問符がつくが、優れた小品スリラー。
人よりワンテンポ早い女とワンテンポ遅い男のファンタジックなコメディの魅力は、時間の操作。ユニークなアイディアに加え、それぞれの視点に切り分けて、早いか遅いかによる時間の損得がもたらす人生の変容を、「アメリ」を連想させるタッチで描いている。早い女にあるはずの時間(バレンタインデー)は消え、片や遅い男は時間の影響は受けずわきまえた大人の行動様式が欠落。周辺人物の個性も楽しく、海岸線などの風景の美しさもあり、コロナでなければロケ地巡りをしたいくらい。
主人公の世宗王がどこまで実像に忠実に描かれているかは、韓国の歴史に明るくないので定かではないが、ハングルがいかにして誕生したかが丁寧、かつ具体的に描写されているので勉強になる。知識階級とは違い、話し言葉でしかコミュニケーションの術を持たなかった当時の民衆に向け表音文字が誕生する過程の、特に発声器官の形を図形化して文字を決めてゆく様に、この文字の仕組みが緻密であり合理的であると評されている所以をみる。背景となる仏教と儒教、政治と文化の対立も興味深い。
物語は実に猟奇的、変態的であるのに、音楽は最小限、無駄を削いだ落ち着いたカッティングでごく普通のホームドラマのごとき情調で淡泊に進んでゆき、ミスリードかと思ったものがそのままの真相であったり、実直に伏線を摘み取ってゆく柔らかな手つきもホラー、サスペンス映画としてはどこか異質で、それらを敢えてやっているというアート映画的なあざとさすらも感じさせないこの映画の佇まいは、狂気と日常が地続きになっている猟奇殺人者の凪いだ心情そのもののようで、恐ろしい。
ヒット作「サーチ」の監督が二匹目のドジョウを狙ったかのような本作、情報提示方法が都合良すぎるし、強引な偶然を幾層も積み重ねて構成されているイケイケドンドンのストーリー至上主義映画のわりにはひっくり返りそうでさほどひっくり返らない展開には物足りなさも覚えるのだが、スリラーの見せ方が滅法上手いうえ、90分という尺に旨味を凝縮させる職人芸も冴えわたっており、何かとケチをつけたくなる気持ちを力技でねじ伏せるパワーに満ちたハラハラドキドキオモシロ映画だ。
時間は平等に流れるとは限らないというアインシュタイン的発想を軸にした発明ともいえる幾多のアイディアを見事なストーリー構成でまとめ上げ、高度な映像表現を惜しげもなく盛り込んでいる極めて技術力の高い映画なのだが、それをひけらかすことなく、ともすれば垢抜けない印象すら与えるベタベタなユーモアで味付けして、間口の広い大衆娯楽映画に仕上げるチェン・ユーシュン監督の作風はデビュー作「熱帯魚」から一貫しており、真に優れた映画とはこういうものなのかもしれない。
「本作は歴史の一説を基にしたフィクションです」という言い訳じみた但し書きから始まるところからして微妙に胡散臭い歴史モノで、民衆に学問を広めるためハングル文字を作った王様万歳の物語は日本人の自分の感覚からすると漢字という豊かな文化を排除した歴史でもあるという側面が気になり素直に美談とは受け取れないし、表音の原理などの学術描写が変に難解であるうえ、文字を欲する民衆側を一切描写せず、物語をすべて王朝内で進める構造も映画をいっそう窮屈なものにしている。