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邦題の「5月」は5月革命と呼応している。映画では主にヌーヴェル・ヴァーグの諸作品を通して、我々は革命側の視点、あるいは都市(=パリ)側の視点から知ってるつもりになってきたが、その時代のフランス社会では妻は夫の許可がないと自分名義の銀行口座を開くこともままならなかった、というような地方の強固な保守性が描かれている。それを肩肘張ったプロテストではなくライトコメディとして提示できるのは、そこから成熟を経てきた社会の証か。日本はまだ「革命」以前。
最初の30分が面白くてラストにカタルシスがあればディザスター映画としては合格だが、そういう意味で本作は文句なし。コストの低下によってインフレ化した過剰なCG描写が増えている昨今、日常風景における「彗星の接近」を描いた抑制の効いたCGの使い方のセンスもいい。「Fallen」シリーズでは監督として途中参加(『エンド・オブ・ステイツ』)だったリック・ローマン・ウォーだが、ジェラルド・バトラーとのタッグで今後も同ジャンルの作品を量産していく予感。
人物を対象としたドキュメンタリー映画への評価は、その人物に対する敬意や畏怖の念と分けて考えたい。その前提に立つなら、本作から得られるのは、テレビのドキュメンタリー番組や再現ドラマを視聴するのと変わらない情報でしかなく、映画的な体験として評価すべきポイントはない。また、どこかで何度も見てきたような、一人のアスリートの過酷な人生を通してオリンピック大会の大義を正当化する、IOCのプロパガンダ作品的な側面にも鼻白まずにはいられない。
製作元も配給元もグルになって全篇がツッコミ待ちの作品だが、申し訳ないがそこにツッコミを入れるほど暇ではない――というのは、そもそもB級映画(本作はZ級だが)をB級であるが故に愛でるという感性を昔からまったく持ち合わせていない人間としての個人的なインプレッションだが、こういう作品を持て囃すノリって今もどこかに残っているのだろうか? トランプや立花孝志みたいなのが現実世界に一度侵食してしまった現在、もし残っているとしたら二重にも三重にも時代遅れだ。
ジュリエット・ビノシュの魅力がふんだんに活かされたヒロインだ。夫を喜ばせるために、家に花を飾ろうと大真面目に唱える花嫁学校の、堅物校長然とした序盤から既に、ピンクのスーツからは個性が滲み出ていた。急逝した夫の借金を背負い、学校の再建に奔走する中、初恋の人との再会を経て、どんどん軽やかになっていく彼女。新しい自分へのギフトを、義妹(ヨランド・モロー)に披露してみせる夜の二人のやりとりは、女学生よりもみずみずしかった! パリに向かうラストも爽快。
最初から最後まで、イヤな選別が繰り返されてゆく。地球再建に役立つ能力の有無、安全なシェルターまで家族を運び込むことのできる配偶者/親としての実力の有無……観ているうちに憂鬱な気分になった。「大統領アラート」が象徴する選民意識も鼻持ちならぬが、世界崩壊目前の非常事態下で、圧倒的な腕力と決断力を誇る夫の浮気をチャラにして、幸せな家族の記憶にうっとりできる妻の選択は、息子と共に生き延びるため、背に腹はかえられないとはいえ、それを愛と言われてもなあと。
「走る原動力とは?」等、会見で難問に簡潔に応じるスポーツ選手の姿には畏敬の念を抱くばかりだが、ビル・ギャラガー監督はグオル・マリアル選手に安易に言葉を求めない。アニメーションを用いた回想シーン等様々な映像資料を巧く組み合わせて、いまなお走り続けるグオルの心の炎に静かに迫る。約7年かけた信頼関係に基づく、誠実な構成だ。ロンドンオリンピック当時、シカゴ・トリビューンを筆頭に、世界のマスコミが連携し、独立選手団という第三の選択肢を生んだドラマも感動的。
「ありがとうやで」「せやろがい」等々、うさんくさい関西弁の字幕が、ヒトラーや東條英機というモチーフへの嫌悪感を、巧みにごまかすという意味で、思いの外功を奏している。ヒトラーを自ら演じた、セバスチャン・スタイン監督の迫力にも圧倒される。撮影場所ありきで、ガーナを舞台に繰り広げられていく、柔軟なストーリー展開の端々に、豊かなアイデアの片鱗が光る。主人公に気前よく必殺技を伝授する個性的なマスターたちとのドラマも、もう少し楽しみたかったなあ。次作に期待!
68年のフランス、5月革命直前の家政学校が舞台、という女性の意識の変化をダイレクトに描いたコメディタッチの作品。50年以上前を描いているのに今の時代に観ることがピッタリで、それがいろんな意味でフェミニズムをめぐる問題の根深さを感じた。登場人物たちの設定が緻密に作り上げられているのでそのアンサンブルが楽しい。突如ミュージカル調になって、先進的な活動をしてきた著名な女性たちの名前を列挙して歌い上げるのはさすがにダイレクト過ぎるとは思ったが。
心が離れている「普通の一家」が突然地球規模の危機に瀕することで再び絆を取り戻す2日間の物語、というプロットはスピルバーグの「宇宙戦争」を彷彿とさせるが、そのトム・クルーズと同じく、これまでのイメージを逆手に取った市井の人を演じるジェラルド・バトラーの抑えた演技が良い。生きるか死ぬかの状況はときに倫理観を試されるが、本作は、その連続を描くことで、常に揺れるそれぞれの曖昧な善と悪を浮き彫りにする。規模は違うが、現実の今の状況を重ねて観てしまった。
開催の是非で揺れる今回の五輪。オリンピックの意義についてここまで考えたことはなかったが、本作は、その東京大会に向かって動き出すところで終わる。過酷な運命を命がけで〝走って〟生き抜いたグオル・マリアル。彼の視点を通してスーダンの内戦、南スーダンの誕生、という制圧と略奪の日々、そこからの希望が描かれ、オリンピックの存在意義も語られる。政治と密接に結びついているイメージがより濃くなったこの大会になぜ選手は夢を見るのか。その想いが深く刻まれている。
明らかに思いつきの設定、おそらく編集を逆算せず撮っている無駄に長いシーンの連続、素人俳優による棒読み演技、カンフーアクションはキレキレ……脱力系B級スタイル、いわゆる「バカ映画」だが、この作風を心から楽しめるセンスが私にはない(人によっては満点だろう)。しかし、監督の個人的な経験に基づく奇想天外な物語が多くの人間を動かし、超低予算と熱意だけで完成させ、ちゃんと劇場公開されるということに夢がある。正しい、理想の自主映画の形だと思う。