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コロナでハリウッドが苦境に立たされ、新作の制作や公開が難しい状況だ。だからこそ原点に立ち返り、様々な過去の苦境をポジティヴに捉えなおそうという姿勢。終始笑えるコメディだが、練られた脚本・演技・演出は唸らされる。名役者をここまで揃え、馬鹿馬鹿しいほどの内容をここまで真剣に自虐的に昇華させた作品は素晴らしい。過去において幾たびも困難な状況はあったが、ハリウッドに存在する「奇跡」の「軌跡」に倣えば、コロナもまた轍のひとつとして風化していくだろう。
北朝鮮に存在する政治犯強制収容所の実態。ナチス・ホロコーストを想起させる身の毛がよだつ光景。しかし、この完璧に感情移入させる作品の高度な手法にこそ驚愕させられる。全篇アメリカ英語、3Dアニメ、見慣れた色彩設計、ディズニーやピクサーを思わせる人物たちの動作や表情、そしてTEDでのプレゼン。これでもかというほど北朝鮮という国の狂気や正義の不在が描かれていく。思わず感情が激しく動かされている自分を傍観しつつ、我々の社会は少しはマシなのだろうか。
香港民主化運動とLGBT運動の象徴的な存在のデニス。孤高な勇姿は、まるで現代のジャンヌ・ダルク。社会全体をここではない、より善いどこかへと先導する姿は、禁欲的な革命家だ。憧れの女性故アニタ・ムイの思い出、自分を形成したモントリオールの風景。それらは決して現前しない永遠に喪失し続ける完璧な理想だ。それと同時に、革命家然という存在自体が、我々の日本社会には前近代に既に喪失してしまった在り方だ。眩しすぎるロックスターの存在は、我々の汚濁した社会を映す。
尊厳死を決めた母親を巡り家族が一晩だけ過ごす物語。途中サスペンス風になり潮目が変わる瞬間がある。それは残された側の誤解を生み出し、決定をした側からの回答は理解を超えた見解へと向かう。そもそも尊厳死が引き起こす「愛」ゆえの齟齬なのだが、果たして尊厳死とは精神性を重んじた人間らしい選択なのか、もしくは先端医療による生命維持が人工的で人間らしいのか。作品では尊厳死自体は宙吊りにされる。人は人間関係の中で、自分を通しての他人ためにしか生きていけない。
三大スター競演のハリウッド版「蒲田行進曲」みたいな話で、中高年が古ぼけた映画館で饅頭でも頬ばりつつ見るに絶好な肩のこらない純娯楽作だ。B級映画制作にまつわる定型的ドタバタだし監督が善良志向で芸術性やおたくノリ、下ネタなどは限りなくゼロ。老優たちの軽妙演技を楽しめ、ご都合主義のユルい演出でも長年の映画愛好者は満足できるのでは。エンドロール途中に流れる「グラインドハウス」ばりの予告篇は冒頭に置くほうが私は良かったと思うが、それも監督の趣味だろう。
コロナ禍の今、厳しい日々をおくる人々にわざわざ見ろとは勧めにくい暗澹たるアニメ。姜哲煥・安赫『北朝鮮脱出』や安明哲『北朝鮮絶望収容所』などの書籍の翻案風なので既読者には目新しさはない。ただし英語劇やCGアニメという手法ゆえ情報に接してこなかった人々への啓発効果が期待され、上映の意義は感じる。描かれる世界が完全に事実にもとづく可能性も多いにあるが、あまりに前時代的、非人道的すぎプロパガンダやエクスプロイテーション映画にも見えてしまうのが弱点だ。
政治行動映画の新しいスタンダードとして多くの日本人が見るべきだ。前半の自分語りは食傷気味になり、恵まれた生いたちと才能に嫉妬してしまうが、それでも知名度や英語力をもって世界に香港の危機と中国糾弾のメッセージを発し、催涙ガスや放水の飛び交うデモの前衛に立つデニス・ホーには世界のどのアーティストにもない勇気と力強さを感じる。現代の体制変革のモチベーションは脱貧困ではなく自由と多様性の保証要求にあると教えられる。日本の野党政党は本作に学んでほしい。
難病ALSと安楽死についての重いテーマだが、第一に生きる選択肢を患者が助言されたり家族で熟慮しない点、第二に夫や子らが殺人罪等に問われる可能性を認識していない点に脚本の浅さが。また予告された母の死を前にした家族の諍いや告白は喜劇に見えかねない極端さがあり、S・サランドン、S・ニールの真摯な演技がシリアスに留めているものの、そのあまりに高潔な性格設定は現実味が薄い。観客に深い思索を求めるより高級住宅CMのような表層的心地よさを優先した印象。
前半50分の金銭トラブルから新作をでっちあげていく場面の、演出のかったるさや熱意のなさ。撮影もカメラを不安定にしていれば現代的になると思っていそうだ。しかし西部劇の撮影シーンが始まってからは、急に奇妙な熱を帯び始める。時代考証や現実味、詳細の正誤などは後回しにされているが、映画を撮る喜びに溢れていて別人のようになる。ラストの映画愛や祝祭感も単純で露骨すぎとは思いつつ微笑ましい。後半で策略が失敗していく、デ・ニーロの表情の変化が見事。
凄惨さでは「はだしのゲン」に迫る勢いで、息つく暇もなく胃に穴が開きそうな出来事が湧き起こっていく。これまでにも現実がフィクションを軽く超えてくる出来事は目撃してきたから、秘密のベールに包まれた国についても、本作が大袈裟とは言い切れない。最初に組織の中枢で実権を握った小さい利己的な仕組みが、国全体の方向性を大きく決定づけていく機運は本当に不思議だ。人間の悪い想像力が、容赦ない残忍さで人を管理する国のあり方にフィードバックした、最恐のリアルホラー。
巨大なステージで観衆の目に囲まれているデニス・ホーは、とても孤独に見える。本作はホーの内面に迫ろうとするドキュメンタリーではないが、雨傘運動やカミングアウトについて語るとき、言葉で公にはできない部分にほのめかすようなニュアンスが横溢していて、センシティヴな作品に自然と仕上がっている。中国の香港政府への介入が、香港の芸能人たちの仕事を直撃し、それは文化の破壊にも確実につながっている。政治的発言が有名人ゆえに重い十字架となる宿命が、痛ましく感じた。
オリジナルのデンマーク映画「サイレント・ハート」は未見。家族が一堂に会した際に起こる揉め事映画の、それっぽいパターンが一通り揃えられている。安楽死の是非を問う物語のようながら、理屈ではわりきれない感情を描く。しかし情緒不安定な娘が、母の死に対して「受け入れるための時間がほしい」と訴えるのは、切羽詰まった愛というより未熟さに見えた。母の親友に関する展開も、友情があるならもっとせめぎあいがあると思うので、愛の動きが自然に見えず気持ち悪い。