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もはや歴史上の偉人と言っていいアレサ・フランクリンのゴスペルが、1972年当時のロサンゼルスの空気と人々の熱気を伝える映像とともに響き渡る。そのパフォーマンスの素晴らしさは言うに及ばず、黒人文化を知る上で資料的価値も大きい貴重な映像作品だ。端正な構図で撮る印象が強いシドニー・ポラック監督が指揮する撮影は、合唱団の一人ひとりがアレサの歌声に感極まって涙する感動的な瞬間をとらえるなど、意外にも即興的に対象を捉えているが、ここではそれが正解なのだろう。
強い作家性は感じられないものの、薔薇園の仕事のあれこれを楽しませながら観客に伝える、親しみやすい職業映画だ。とくにカトリーヌ・フロ演じる、薔薇園を切り盛りする主人のコメディ調の演技が楽しく、目が離せなくなる。その一方で、労働者の苦境や犯罪歴のある青年の才能を伸ばそうとする内容の脚本が、ケン・ローチ監督の「天使の分け前」の設定に似過ぎているという点には留意しておきたい。その上で、社会風刺の要素が幾分抑えられてしまっているのは、なんとも居心地が悪い。
夫婦関係の危機を、深刻かつ知的に描いた内容に驚かされる一作。作家であり脚本家としてのキャリアも豊富なウィリアム・ニコルソンの小説を、自身が監督として映画化しているからこその、人間の喪失感に真摯に向き合って安易な展開に転ばない文学的アプローチには、凡百の映画には真似のできない深みと力強いテーマが存在する。さらに、アネット・ベニングの修羅場における燃えるような演技によって、映画ならではの魅力も横溢。現時点で過小評価されている作品の一つだと思わせる。
いかにもホン・サンス監督の作らしい会話劇で、とぼけたズーム演出や長回しなどの特徴的な撮影も、セリフから暗示される恋愛の関係性も、過去作で何度もリフレインされたものではある。だが、その表現はいまだに洗練され続けていることも事実で、あっけないほどに短い尺と、読み解き甲斐のある内容は、まるでよく出来た俳句のように、奥行きがありながらも簡潔な美を獲得している。“映画を観る行為”に肉薄する、観客を巻き込むような重層的なラストシーンにはドキリとさせられた。
アレサ・フランクリンのライブ・アルバム〈Amazing Grace〉に圧倒されたが、このライブを撮影した映像が40年近く眠っていた理由を知って驚いた。ポスプロで映像と音声がシンクロできなかったとは!? 移動するスタッフが映り込んでいたり、音声が途切れたりで粗いが、父親が女王の汗を拭くなど、本物の聴衆の前でのライブ収録に特有のアットホームな温もりがある。監督のS・ポラック、聴衆の一人M・ジャガーの姿も見え、今見るのはタイムカプセルを開けるような楽しさがある。
カトリーヌ・フロという女優には、観客をドラマに引き込む天賦の才がある。崖っぷち育種家に扮して、その才を自在に発揮する。奇跡の逆転人生をやってのけたその方法は、必ずしも世間様に自慢できないが、人情味に愛敬をたっぷりまぶして、引き込む。職業訓練所から安い賃金で雇った園芸の素人3人と、従業員の教育には素人のヒロイン。素人たちが知恵を出しながら織りなす逆転人生は、彼らの無茶で危なっかしい姿が、観客を味方につける。集団コメディはフロの才あってのものだった。
当事者夫婦と息子の三人の、人物描写と話の運びが巧みだ。関係が完全に破綻した者同士が同じ家で暮らす残酷さを鋭く描写する。それも互いの欠点をぼかすことなく、である。結果、屋内の場面は室内劇に似た逃げ場のない緊張感があり、屋外場面は感情を解放してくれるという、くっきりした対照性をもったドラマに。両親の間で板挟みになる息子の客観的な立ち位置がドラマに普遍性をもたらし、かつ主題を支える。誰でも自分に引き寄せることができる物語だけに、邦題にもうひと工夫ほしい。
ときに感情表現が激しい韓国映画にあって、柔らかな作風に注目している監督だが、今回はまず邦題に引かれる。何から・なぜ「逃げた」か。劇的展開を予想するも、ヒロインのガミは虚ろな存在。三人の女友だちを訪ねる繰り返しのストーリーは、三人の日常をガミが覗き見する形で、彼女たちが抱える現実をあぶり出す。といっても何かが起こるわけでないので摑みどころがない。ガミは今の生活から逃げたいのでは……。こんな想像を含め、四人の存在がむしろ終映後に膨らむ。作風は健在。
「カチンコがなかったために音と映像をシンクロさせることができないというトラブルに見舞われ、未完のまま頓挫することに」(公式ママ)とのことだが、こういうドキュメンタリーのフィルム素材のカット毎にカチンコが入ってないのは珍しいことではないだろうし、トラブルとか言ってないで何とかしろよ、と思わなくもないが、とまれ、貴重なライブが現在の技術で蘇ったのは喜ばしいし、フィルムのテクスチャとアナログ録音の音質が当時の空気をそのままに封じ込めていて素晴らしい。
序盤でいきなり元犯罪者である就労者のスキルを使って大手栽培業者からバラを盗み出すというまさかのズッコケクライム展開に笑うも、その後は順当すぎる捻りのない筋運びで、愛と挫折と努力の末にたどり着く結末もタイトルから予想される域から一歩も出ていないのだが、カトリーヌ・フロの「美のない人生は虚しい」という、これまたド直球なセリフがなぜだか妙に胸に刺さった次第で、人生には時としてこんな映画が必要だと思わせてしまう力を秘めた、慎ましやかで美しい小品である。
こわれゆく夫婦と、板挟みになって途方に暮れる息子の物語はなかなか身につまされるものがあり、婚姻関係につきまとうエグ味と愛情の残酷さを生のまま捉えることには成功しているのだが、各アングルからマスターを撮って編集時に繋ぎを考えているように見えるショットとしての意図が脆弱なカッティングが映画の強度を下げてしまっており、着地点を見失い、それっぽいイメージ画とそれっぽい言葉を散らして雰囲気に逃げたかのようなポエミーなラストも個人的にはあきたりなく思った。
デジタル感丸出しのディープフォーカス、ぼんやりなグレーディング、ルーズな画角、基本的に人物が対面で飲むか食べるか煙草を吸いながらのワンシーンワンカットの会話劇、毎度お馴染みのヘンテコズーム……どこを切ってもホン・サンス印の映画だなあと、のんびり観ていたわけだが、中盤の猫を捉えたズームショットは映画の神様が信念を貫く者だけに与える奇跡の産物であろうし、このゆるゆるの空気の中にタイトルの意味するところがふいに顔を出したとき、背筋に冷たいものが走った。