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SNSで10代少女を狙う性犯罪予備軍を、逆に“フィッシング”する試みは、おとり捜査ミッションを題材としたTV番組のよう。とはいえ題材が際どいため、配信か映画でなければ公開が難しいのも分かる。どんな人物が子どもを毒牙にかけようとしているか、どのように子どもが騙されるのかのメカニズムを知るのに参考になるのも事実だ。しかし、製作者側も徐々にエスカレートしていき、わざわざダミーのヌード写真を作成して餌に使うなど、一線を踏み越えているのではと感じる部分も。
「KIDS/キッズ」「ガンモ」など90年代に若者の不安を表現したハーモニー・コリンだが、時代がスライドしたことで、題材はそのまま中年以降の危機に変化している。邦題が見事にテーマをとらえていて、純粋であるためにめちゃくちゃな存在であり続けることを自分に課す主人公の姿は、ある意味で修行僧の禁欲性を密かに湛えている。とはいえ、周囲に大迷惑をかける彼のような人物は、時代の中で「大いなる幻影」の貴族のごとく消えゆく運命にある。そんな種類の人々の断末魔が本作だ。
軽薄なスタイルの犯罪映画から映画監督としてのキャリアをスタートさせたガイ・リッチー。20年も娯楽大作の最前線に身を置けば、その種の作品すら一種の貫祿を備えることを、本作が証明してしまった。さらに彼のアメリカでのキャリアは、米国から英国に乗り込んでくるマシュー・マコノヒー演じる男の存在に活かされ、中国マネーとともに階級社会を掻き乱していく。物語を入れ子構造にしたポストモダン風の取り組みは時代遅れの感もあるが、現在の社会が反映された点はスリリング。
「ツイン・ピークス The Return」「シン・エヴァンゲリオン劇場版」などと同様、本作もまた監督自身が過去の代表作にもう一度挑む企画。主人公たちの設定が改変されていたり、アニメーションだからこその、より自由なSF世界を表現している部分は面白い。とはいえ、やはりオリジナルの実写作品に存在したビジュアルショックや、妙なリアリティが醸し出す面白おかしさと比較するとパワーダウンしていることは否めない。その境地に達するには、革新的な手法が必要なはず。
SNSの闇は想像していたが、この映画が記録したあられもない映像を見ると、リアル社会の「病み」に不快感MAX、戦慄する。主題はさておき、撮影スタジオに手際よく建て付けられていく少女の部屋のセット。メイクや衣裳により、3人の女優がたちまち12歳の女の子に。撮影用の偽アカウント開設を含め仕組まれたフェイクだったはずが、あらら。見ている間にいつしかなりすました少女によるカラフルなリアリティショーに思え、自分が観客にさせられている気分に。一本取られた。
主人公の周りにスヌープ・ドッグら個性的な面々を配し、彼らはそれなりに楽しませてくれるが、やはり主役の詩人を演じるM・マコノヒーのスター性があっての物語。なのにこの詩人役は彼には役不足のようだ。そもそもこの詩人は天才の設定であり、滅茶苦茶な発想は創作の起源、破天荒な挙動も才能ゆえの業といった、お約束的なストーリーの構成に、後半はダレぎみ。酒を飲みどんちゃん騒ぎ繰り返すだけでは、one-trick ponyな芸人の芸を見せられているようで……。
豪華なキャストのクライム・コメディーで、久々にG・リッチーの特徴を堪能。シンプルな筋書きに、エッジのきいたセリフ、様式化されたアクション。加えて、有名俳優の一人ひとりに印象に残る見せ場を提供し、しかもそれらを調和させながらストーリーに組み込んでいる。緻密な脚本構成による予測不可能な、初期の群像劇を思い出す。もちろん積み重ねた経験が醸し出す優雅さも画面に漂う。ここ数年は大作が続いたが、やはりリッチーは中規模作品でこそ持ち味の小気味良さを発揮する。
四半世紀以上を経て、自作(実写)を、監督自身の手でアニメ版としてリメイクした珍しいケース。実写版で感じたシュールなSF感は、新登場するテクノロジーによって、今作ではリアル感に変容している。そして主題であった国の政治体制に向ける皮肉な目線は今回も衰えず。いま、一国にとどまらず世界を暗雲で覆う格差と分断を、人種を識別するための識別器や仕草、社会的地位を示す決められたズボンの色などで視覚化したこのアニメは、リメイクによって新しい命を得たのだ。
現代に生き、インターネットの恩恵を享受している者として児童に対する男性の身勝手な性欲がSNS内にはびこっている事実は認知しているし、この映画の中で起きていることも想像の範囲内には収まっているものの、真正面からその生々しい事象を見せつけられると流石に生理的にキツいものがあり、観客にかような感情を喚起させる映画的意義は疑わないが、合成とはいえ少女の裸の写真を送り変態男を釣り上げる等、リアリティーショーとしてのエンタメ性にはわずか引っかかりを覚える。
「ジェントルメン」と本作、奇しくも星取作品で主演が重なったマシュー・マコノヒーの荒ぶれた色気が全篇に渡って溢れており、破滅型作家役としては「バーフライ」のミッキー・ロークを髣髴させるも、映画が進むにつれその自由さは手が付けられないほど加速してゆき、他人の迷惑お構いなしに暴れ散らかす姿に段々と腹が立ってくるのだが、その先にある清々しさにはどうにも抗えない魅力があり、こんな駄文でまじめに小銭を稼いでいる自分が馬鹿馬鹿しく思えてきてしまう罪な映画だ。
ほぼ全篇通して悪徳記者の語りで進めてゆくスタイリッシュな構成と洒脱なセリフの応酬で何だか物凄く面白い映画を観ているような気分になれるのだけど、大麻プラントの利権を巡る権力者たちの物語は一本化させてしまえばさほど複雑でもないうえ新鮮味に欠けているし、終盤のどんでん返しの連続もおまけみたいに感じてしまい、恐らくガイ・リッチー好きには堪らない新作なのだろうが、この手の映画を楽しむ素養を充分に持ち合わせていない自分はあと一歩のところでノリきれなかった。
社会主義が揺らぐ混乱のさなか製作された実写版と現代のロシアで作られた本作とでは政治的メッセージやアイロニーの方向性が違うのか、あるいは相も変わらずなのか、その辺の議論は難しそうなので置いとくとして、主人公二人の設定や細かいところにちょこちょこアレンジが加えられているとはいえ全体的には原作通りの流れのままタイトな語りでだいぶ分かりやすくなっており、レベルの高いアニメーションになっても貧乏くさい雰囲気はそのままで、キン・ザ・ザファンには必見の一品。