パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
以前調べたところ、サッカー関連映画の製作数が多いのは母国イングランドよりもドイツとフランス。フィクションで、日本語字幕が存在する作品(配信も含む)となると、おそらくフランスがトップ。そんな地に足のついたサッカー映画産出国だけあって、他愛のないコメディでありながらもディテールがしっかりしているのでしらけることがない。設定の疑問点にもちゃんとオチがつくのだが、そのあっさりした描写もいい。邦題は「フィールド」よりも「ピッチ」のほうが良かった。
もちろんその才能と才覚があってこそだが、ポストクラシカルという音楽界全体への影響力は別としてマーケット的には「辺境」と言ってもいいジャンルの音楽家であっても、いかに自己ブランディングと企画力が重要かということがわかる作品。リヒターの場合、その極めて優秀な右腕が人生のパートナー(妻)であるというのも心強いことだろう。図らずも、コロナ禍で最も深刻に失われてしまった「ライブ・エンターテインメント」の現在に対する批評にもなっている。
「不遇の天才」という題材に多くのクリエイターが惹かれるのは、その「不遇」の部分に自身の境遇を重ねるからだろう。しかし、残念ながらほとんどのクリエイターはニコラ・テスラのような天才ではない。これまでも頻繁に映像作品で取り上げられてきたテスラだが、本作にバイオグラフィー的な役割を期待していると痛い目に遭う。シリアスで重々しいトーンの中に突然挿入される、素っ頓狂な現代的モチーフ。そのアプローチを全面的に否定はしないが、終盤のあるシーンで心が死んだ。
製作も監督も脚本も主演も、同じカプコン社の「バイオハザード」シリーズをほぼ完全にトレースした本作。「バイオハザード」1作目はもう20年近く前のことになるわけで、激変する映画界にあっていくらなんでも呑気すぎないかとも思うのだが、さすが手練手管のチームワーク、序盤までの展開は十分に楽しめた。考えてみれば、同じ開発チームでビデオゲームのシリーズを手がけるのは当たり前なわけだから、もはや彼らの作品は映画界における治外法権として考えるべきなのだろう。
宣伝では、主婦が強調されるが、シングルマザーや女子高生をはじめ、さまざまな女性が参加していることを、物語でもフィーチャーしてほしかった。例えば練習の後、気軽に飲みにも行けないほど、多忙な女性たちにどんな変化があって、パブへ繰り出すようになったのか? ドラマの鍵は、その辺りにあったのではないかとも。ざっくりと描かれる女性たちに比べて、ミミル(アルバン・イヴァノフ)がチャーミングで目が離せない。動作自体もレモネードを作るなど、おいしいポジションだ。
真夜中から明け方にかけて約8時間、全204曲を演奏、観客にはそれぞれにベッドが用意されて、寝てもよし! なんて空前絶後なプロジェクト「スリープ」を実現させた、音楽家マックス・リヒターのライブ・ドキュメンタリー。BGMではなく、体験する音楽であるというコンセプトも、企画に込めたリヒター夫婦の情熱も、ドラマチックに伝わってくるが、寝ている人たちが主題の音楽に関する作品は少なくとも批評向きではない。恐らく脳波が合わないのだと思う、とても残念だけど。
ニコラ・テスラと言えば、エジソンとの電流戦争の好敵手として知られるが、本作では重要ではない。エジソンとのあれこれは、アイスクリームやパイを使った甘い空想でお茶を濁される。想像を裏切る、大胆な物語はやがて、テスラがTears For Fearsの〈Everybody Wants to Rule the World〉を歌うシーンへと辿り着く。イーサン・ホークの歌声は、ほろ苦いというより、はかなく切ない。監督が、ホークと2本のシェイクスピア映画を撮ったマイケル・アルメレイダと知って、大いに納得。
主人公アルテミスを演じたミラ・ジョヴォヴィッチと、ポール・W・S・アンダーソン監督(脚本も)という「バイオハザート」コンビが誘う世界観は、壮大だ。南アフリカの秘境で撮影された、大パノラマのスケール感に圧倒される。この画力は、劇場で体験されたい。アイルーをはじめ、ファン心をくすぐる仕掛けにも、監督の原作ゲーム愛を感じる。日本語吹き替え版(特に松坂桃李扮する、ハンター〈トニー・ジャー〉のオリジナル言語)が、どんな仕上がりになっているのかも気になった。
伝統ある町のサッカーチームが乱闘を起こして選手全員がリーグ終盤で出場停止に。代わりに彼らの妻たちが選手として出場すると言い出すが……という筋書きを読んで想像することが全部起きる。でも楽しい。突っ込みどころもあるけど、最後まで笑って泣けちゃう。スポーツって良いなぁとも思う。ジェンダーについての問題提起もやりすぎず、ちゃんと笑いと共に盛り込む。ベタを正面から丁寧に仕上げ、観客に良い気分で劇場を出てもらう、という作り手の想いが伝わってくる作品だった。
マックス・リヒターによる8時間の楽曲「スリープ」、その“眠る”ライブ企画のドキュメンタリー。一晩の公演を描くと同時に、音と数式の関係など興味深いトピックを組み込み、この〈体験するための音楽〉の構造を紐解いていくので、眠くならない(笑)。映像の美しさを追求し、説明テロップを入れないのも良い。が、リヒターの妻の苦労話がしつこかったり、アジア系とアフリカ系の同性カップルなど参加者を中途半端にフィーチャーしているのは、ちょっとバランス悪く感じた。
“交流電力の父”テスラの実録映画だが、随所に実験的な演出が目立つ。エジソンが発明ビジネスに邁進していくのと対極にテスラは不器用な芸術家然としていて、彼の発想の先に現代のネット社会もあることが描かれるのだが、それらを反映させたその演出(19世紀に生きる語り部がネットの情報を参考にしたり、書き割りを背景にした虚実ないまぜの回想を挟んだり)は、全篇いまいちハマっていない印象。ホークとマクラクランの派手さがない好演がそのズレた軸を戻し、作品を救っている。
P・W・S・アンダーソン&ミラ・ジョヴォヴィッチ夫妻でカプコンのゲームを映画化。という安定の座組みだが、ミラの立ち姿はほとんど「バイオハザード」のアリス、既視感は否めない(相変わらず彼女のアクションに対する姿勢は素晴らしいが)。トニー・ジャーのリアルかつ超人的な動きは初参加のこの組のスタイルに合わせてか抑えめだったのが残念。だが、この二人が言葉を介さないコミュニケーションでバディになっていく過程は、お互いのこれまでにない魅力を引き出していた。