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ここ数年どの映画を見てもレベルの高い韓国映画業界だが、この様な作品に接すると多少安心してしまう。ハミ出しデカのコメディだが、テンポや展開にムラがある。何も考えずに映画を鑑賞したい人にはオススメ。仕事や倫理的には駄目だが、良き家庭人であることが何よりも大切だという韓国の家族哲学が見える。もう少し派手なアクションなどがあれば視覚的にもうちょっと楽しめたのかも知れない。韓国映画の陰りと見るのか、たまたまなのかは謎。もはや日本は悪人にもならず、影が薄い。
1982年はグラフィティの最盛期でもあり、MTVが誕生したのが1981年であることも興味深い。グラフィティは書き言葉によるもので、ラップミュージックは話し言葉。そしてブレイキングはボディランゲージ。これは音楽が視覚表現や身体表現と結びつき連動していることを示している。背景にある社会的文脈から自然発生的に生じた文化は必然的で力強く、アートとしての一表現を超越している。当局との鼬ごっこは微笑ましく、どちらも街をこよなく愛していることが伝わる。
映画史に何も影響しない作品だが、北欧のデスメタルという、ほとんど知られていないカルチャーに光を当てていることで、とても応援したい。青年たちの王国内で暴走する権力闘争やエスカレートする暴力の様は、『蠅の王』を彷彿させる。『蠅の王』では豚の生首を旧約聖書に登場する悪魔ベルゼブブに擬えている。本作にも豚の首が登場するが、そのオマージュか。ロリー・カルキン扮する実際は孤独な主人公。兄が演じた「パーティ・モンスター」とほぼ同型の物語という事実が興味深い。
60年代の安保闘争などの学生運動から70年代は世界的に政治の季節となり、より過激化していった。しかし世界中のその活動家はほぼ消滅。現在は政治的な大義のための運動というより市民レベルの差別や嫌悪が顕在化している。世界中のアナキストたちはもはや過去の遺物なのだろうか。国家の在り方も変わり、中東以外のいわゆる国家間戦争の形も変遷し、国家より国際企業の存在感が増大している。そろそろその様な国際企業に対して異議を唱える市民活動家が出てきてもおかしくない。
私好みのオッサン顔俳優が揃った犯罪コメディ。しかし脚本に難。隠匿された山下奉文財宝を探し刑事とギャングが競う導入と結末だけ決め、間をうまく構成できないまま時間切れになった風で、つなぎのストーリーがあちこちに分散し各所で停滞、今、映画のどの辺を見ているか分からなくなる致命傷が。監督を志す若者は中盤をどう直せば面白くなるか考えるといい宿題になる。ビッチな女脇役不在も大きな欠点。B級活劇なんだしポリコレ縛りでエロキャラを出せない作品でもあるまいに。
83年に製作されたヒップホップ・ドキュメントの古典的名作。05年に日本版DVDが発売され数百円でレンタルできるが、若者がたむろする不道徳にまみれた街の映画館でストリートカルチャーを肌に感じながら観賞するなら入場料の価値はあろう。ただし行儀よく対価を払うのでなく、何らかの海賊的行為を模索しつつ見るほうが絶対に楽しい。紀伊國屋書店の広報誌『scripta』20年夏号の都築響一連載の中に本作の背景に関する優れた解説が載っており必読だ。無料だし、電子書籍版もある。
近年では突出した残虐描写とサブカル映画のB級な軽さを併せ持ち、しかも殺人事件実話という希有な構造が魅了する。メタルファンには有名な事件だが、犯人のひとりが存命のため映画化が難しかった題材だ。悪魔崇拝を標榜するバンドが自ら作り出した世界観に追いつめられる様を皮肉な笑いを交え淡々と描き、純粋な動機が邪悪な破壊行動へ一転する文化創造の麻薬性を教える。現実のメイヘムの音楽評価を低く描きすぎメタルの人々に評判が悪く、演奏シーンも確実に足りないのが残念。
韓国人監督は取材成果と自国の歴史を顧み、もっと強く日帝侵略を糾弾をすべきだったのでは。これでは何を言いたいか分からない。東アジア反日武装戦線の爆弾闘争に関する言及は『腹腹時計』など文献の朗読と新聞画像のみで当時の報道映像はない。大部分は大道寺将司らの足取りを追う詩的風景映像や支援者たちの穏やかな語りで抽象的な内容だ。現在も指名手配犯が逃亡中の「狼」らの理念は服役囚支援者により反原発運動などへ拡散し、今なお総括段階にはないと知ったのは収穫だが。
ほかの映画では血も凍る怪演や、味のある芝居をみせている俳優たちが揃っているのに、いまいち弾けない。話があちこちに飛んでも、本筋がじつは単純でたいそうなことでもない。韓国映画はヴァイオレンスやスリラー、ホラー映画は秀作が多いのに、ハッピーなコメディはちょっとベタすぎて笑えないことが多い。時に超絶展開をする場合もあるとはいえ、本作にはそういった跳躍力はなく、想像通りの結末に落ち着く。せっかく力量のある俳優陣を集めながら、キャラクターや脚本が弱い。
スプレーアートのグラフィティを中心に取り上げたドキュメンタリーで、黎明期の生々しい現場感がある。側面に勢いあるグラフィティが描かれた電車が通り過ぎていく、圧巻の眺め。オリジンでありつつすでにスタイルは出来上がっていて、貴重な映像資料だ。もちろん上手ければ良くて、下手なのは見苦しいからだめ、バンクシーなら高額といった差別化はおかしい。もう本作の時点で画廊が介入し、グラフィティを将来高値になるからと売買を始めている場面は、気まずさを覚えてしまった。
冒頭でメイヘムの始まりを、編集で処理をしつつ紹介していくあたりのコミカルさが、ムードから浮いていてむず痒い。人の出入りが激しすぎて処理も追いついていないのに対し、本筋になると物語や演出が緩慢で停滞する。自殺や殺人の描写も、その緩慢さのままで演出しているので、非常に丁寧に死の模様をカット割りを重ねて長々と見せる。個人的にはこれらが一番良いシーンだったが、残酷さに抵抗感のある人も多いだろう。見栄や屈辱、憎悪が互いに高まっていく心理模様が興味深い。
いま、政治的思想について語るのはことさら慎重を期し、日本だけでも異なる考えがぶつかり合っていて非常に危うい中、この映画は東アジア反日武装戦線側からの、一方的なまとめと現状の様子をある意味、撮りっぱなしで提出する。緩慢だろうと時間の流れはあるはずなのに、縦の流れではなく平面を見ているような進み方。キム・ミレ監督が「狼」の存在をピックアップした時点で、なんらかのメッセージ性は発生しているが、思想に対し解釈や介入を避けるのは物足りない接し方だ。