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スラップスティックな追いかけっこをメインとする原作アニメの内容を実写映画にするのは困難に思えたが、考え得る選択肢の中からベターなものを選びとっていって、水準に達する娯楽作品に仕上げている。「ロジャー・ラビット」や「スペース・ジャム」同様の2Dアニメーション合成は、現在ではレトロだと感じるが、トムとジェリーの騒動が最も映えるだろう、高級ホテルでのセレブの結婚式や、アニメキャラのようなキャストたちの風貌など、題材に合わせた数々の工夫が功を奏している。
文学や映画では「怒りの葡萄」、TVドラマでは『大草原の小さな家』を思い出す、移民の定住と家族の物語が展開。アメリカの白人がフロンティアスピリットを正面から描くことができなくなっているなか、アジア系の監督と出演者が、その根源的なテーマを引き継いだことが、そのまま作品自体の強さとなっている。「クレイジー・リッチ!」、「フェアウェル」から、さらに飛躍を遂げた“アジア系のアメリカ映画”であり、この試みは、とくに文化史のなかで象徴的な位置付けとなるだろう。
自閉症スペクトラムの青年と、彼を優しく献身的に見守る父親との社会生活や旅がゆったりと描かれることで、社会における双方の立場の生きづらさが可視化されている。その上で、彼ら二人のそれぞれの課題や成長が、リアリティをともなって具体的に映し出されている。なかでも息子の性の問題は、見ているこちらもどぎまぎしてしまうが、家族の辛い決断を含めて、映画作品として扱いづらい要素を逃げずに撮りあげ、そこから生まれる複雑な感情を観客にも体験させるところが素晴らしい。
水の精の伝説をドイツで小説化した『ウンディーネ』を基にしているが、舞台を現代に移した本作の主人公ウンディーネは、リアルな生活を営む女性のようでもあり、幻想的な存在でもある。この設定が直感的に理解しにくく、全体に茫漠とした印象を与える。物語の展開自体は伝説に沿いシンプルで、むしろ本作独自の都市論と恋愛を結びつける部分の方が、水の精の要素を扱った部分よりも面白いと感じる。ベルリンの語源である“沼地”を根拠に、都市を水中世界ととらえる感覚は独創的。
人気の若手女優と80年あまり前に誕生した人気アニメのお馴染みのキャラクターの共演は、終始、実写とアニメがイマイチしっくり馴染まない。一流ホテルの中で冒険を繰り広げるネコとネズミのコンビと他の動物たちのアニメ部分のプロットは過不足ないが、実写部分は個性的な俳優を揃えた割にストーリーが練り不足。ただしC・G・モレッツはアニメの中にいても違和感はない。実写とアニメによるこのスラップスティック・コメディ、見ている間のそれなりの楽しさ以上のものがなく残念。
葛藤を端正に語っていると言ったらいいだろうか。夫婦、二人の子ども、妻の母らの登場人物は、それぞれの立場で葛藤を抱えているが、各人の胸の内を仰々しくないシーンで表現している。配役のうまさが際立ち、なかでもユン・ヨジョンのぶれないマイペースぶりが物語の要となる。葛藤や失望などの感情を、彼女が静かに吸収し、その結果、家族はむろん、見る側にも救いをもたらす上品な結末に感じ入る。夢の実現のために家族を振り回す夫の独善は気になるが、素直な展開がしみる。
父親と自閉症の息子の二人旅という物語の主筋から、主役の周辺の人物を通して別のストーリーが見えてくることがこの作品の強み。まず母親が主張する「息子を施設に預けるべき」に、歩み寄れない夫婦の別れがある。かといってこの父親は全面的に息子に寄り添っているわけではなく、自分に都合の悪いことから旅を口実に、逃げている。さらに実兄との確執も露呈させる。障碍を抱えた息子に寄り添うことだけを唯一の父性愛とはせず、複眼的な視点でアプローチした父子旅は含蓄がある。
人物の設定、ストーリーの展開が水の精のモチーフをほぼ守っているのでシンプル、かつ分かりやすい。もっかヨーロッパ映画界で才色兼備の輝きを放ち、特にこのところC・ペッツォルト監督にはお気に入りの女優と思しきP・ベーアによる、神話のファンタジーと現代都市のリアリズムの融合が決め手。彼女の美しく不思議な存在感が、監督のロマンチシズムの具現化にとりあえず成功。ドイツの近代史に題材を得て、艶やかなドラマを描きあげる監督だが、今回の神話からの題材もまた良し。
2Dアニメと実写の融合は文句なしの出来とはいえ、自分にとってこの手の世界観を楽しむのにデジタル技術の進歩はさほど重要ではなく、そういう意味では三十余年前の技術で作られた「ロジャー・ラビット」と印象は大きく変わらないのだが、子どもの頃から慣れ親しんだトムジェリがリアルなニューヨークの街なかで追いかけっこする様は眺めているだけで楽しく、不満点としてはトムの体の可塑性を生かしたギャグが存外に少なかったことと、人間側のドラマにパンチが不足していたこと。
息子の病気療養の意味合いもあるが、主には農地開拓での成功を夢見る自身の山っ気により家族を巻き込む形で何もない田舎に引っ越してきた『北の国から』の黒板五郎のような父親の行動、言動は、子を持つ親の視点で見るとなにかとイライラしてしまうのだが、子どもとおばあちゃんのキャラクターが可愛らしく、終盤まで大した出来事もなく進んでゆく家族の物語は骨太な演出に支えられて観飽きることがなかったがゆえにこの唐突な幕切れでは物足りなく、もう少し続きを見たいと思った。
自閉症の青年を施設に入れようとする母親の意見は中立の目線からは何の間違いもなく、彼女から息子を遠ざけて先のない逃避行を続ける父親は愛情をたてにして子離れできない心の弱さをごまかしているようにも思えてしまうのだが、そんなモヤモヤをひと息で吹き飛ばしてしまうラストの数分がとにかく素晴らしく、大仰な音楽で盛り上げることも感動的なセリフで繕うこともしない、どこまでも慎ましやかで美しいエンディングにぼろぼろ涙を流しながら、映画表現の豊潤さを改めて感じた。
水を司る精霊であるウンディーネがヒロインの名前になっていることから分かるように、神話をモチーフにした悲恋物語を軸にベルリン分断の歴史なども絡めた一筋縄ではいかない映画に仕上がっており、幻想と現実のあわいを漂う妙なムードがこのラブストーリーを普遍のものに押し上げているようにも思えるが、演出面でややノリきれない部分があり、ことあるごとに律儀に鳴るピアノ劇伴は終盤ではさすがにうんざりしてくるし、死にまつわるリアリティラインのぼかし方にも疑問を覚えた。