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今村監督の「友達やめた。」では、玄関に立つ被写体の表情が印象的だった。本作でも、監督を出迎える瞬間の、ろうあ者たちの表情から、監督やこの作品が、彼らにとって大切な存在になっていることが伝わってくる。被写体と友好な関係を築けることは大きな才能だが、優しさなのか遠慮なのか、作品としては淡白な印象を受けた。せっかく監督にしか撮れない映像、テーマ、メッセージなのだから、なるべくディレクターズノートで補完せずに、映像だけで語り尽くして欲しい。
ド直球で「脱原発」を啓蒙する映画。登場人物の父親の、「間違った道だとわかっても変化せずに進み続け」て「安全よりも経済を選ぶ」キャラクターに、3・11以降不祥事を連発する、日本の現政権を蝕む病巣が凝縮されている。原発が日本に不要である理由を、「原発の危険性」と「代替エネルギーの可能性」の二本柱で説いていく。原発に関する膨大な情報が整理されていて、文字よりも映像で知識を得たい人にはおすすめだ。とはいえ、映像作品としての評価はまた別の話。
中学時代の回想シーンが美しく、喪失の悲しみが増幅した。彼女たちが埋めたタイムカプセルから出てきた、「将来のお互い」に宛てた手紙。震災の前日にガラケーに残された、消せないボイスメッセージ。これらを使い、過去とかつての未来である現在を鮮やかに行き来する。記憶の風化を恐れて前へ進めなかった主人公が、漂流ポストに実際に投函された手紙を読み上げ、喪失の悲しみを分かち合うクライマックスで、ドキュメンタリーとフィクションが、有機的に作用し合っている。
登場人物による歌のパフォーマンスにより、映画化する意味のある仕上がりに。原作の軸である「金魚(すくい)」をモチーフにしたプロダクションデザインも秀逸。着物の柄、夏祭りのポスターデザイン、金魚鉢のようなエフェクトをかけた映像処理など、細部まで仕事が丁寧。その世界観の中で、歌舞伎俳優、アイドル、劇団四季、モデルなど、出自も個性も異なるキャストが調和し、各々の枠を打ち破る。尾上松也の、確かな技術に裏打ちされたコメディの表現力にも驚かされた。
この今村監督の「友達やめた。」は記憶に新しい。アスペルガー症候群の女友達との交遊の様がとても心に迫った映画だった。その今村さんが今度は災害下の聴覚障碍者たちの生き様を追った。東日本大震災の宮城、熊本地震の熊本、大水害の広島、コロナ禍の豊橋……。聴覚障碍者は一般の人たちに比して災害で死亡する率もかなり高い。津波警報が聞こえなかったりするのだ。よく撮っているなと思うが、テーマが分散していて、何に思いをはせて見ればいいのかわからなくなってしまった。
原発等エネルギー問題に関心がある人には、恰好の映画だ。学校とか公民館などで子供たちに見せるといい。とても勉強になるだろう。が、原発推進丸出しのお国が、許すはずもない。MGMの創始者の一人で、アメリカ映画の良心と言われたサミュエル・ゴールドウィンの言葉を思い起こす。「メッセージを送りたいなら、ウェスタン・ユニオンに電話して、電報を打てばいい」。観客にあからさまなメッセージを送ると、胡散臭く見えてしまう。映画は厄介なものなのだ。
東日本大震災のことは風化させることなく、ずっと心に留め続けておかなければならない。それはそうだが、それをモチーフにした映画をこうも数々見せられると、どうしても「またか」と不埒なことを思ってしまう。どうせなら漂流ポストのことをもっともっと教えてくれるようなものにしてほしかった。映画は「発見」である。「そうだっのたか」「まさか、それだったの?」みたいなことが欲しいのだ。とても丁寧に堅実に撮られていると思うが、どうしても既視感が付きまとってしまう。
金魚すくい? もし漫画原作がなかったら、同じようなプロットがあっても絶対に映画にはならなかっただろう。それを思うと少し悲しい。映画は映画自体の力で花開いてほしいと思い続けている。この映画は楽しい。ミュージカル風にしたのは大正解だろう。しかもその主題歌、挿入歌のほとんどの作詞を脚本家が手掛けているのがいい。観終わった後には何も残らず、すぐにこの映画を忘れてしまうだろう。が、それの何が悪いと居直って胸を張ってるような小気味良さがある。
災害の真っただ中での難聴者の姿を伝えることは不可能であるのは無論、ただ、健常者の恐怖以上であろうその恐怖を感得させる難聴者ならではの表現を期待したのだが。被災した難聴者の何人かの姿を追い、確かに彼らの人としての魅力は伝わるが、その一人が言うように、監督が撮影に精一杯で、彼らとのつながりが築けているのか心もとない。また震災以外の災害地での被災者の姿、震災を契機に広がる手話言語条例なども伝えるが、総花的なまとめ方で、作り手の視点や立場が見えてこない。
原発賛否の国民投票で、原発依存の町の町議の一家が周囲の人々から学び、家族や職場の仲間同士で議論してゆく過程を通して原発の非を知らしめる作品。フクシマ出身という個人的な理由を除いても原発には反対の身だが、原発の原理、資源の現状、電力会社が政府に優遇され、その金で町を原発依存に成り下がらせている実態、なぜ日本にこれだけ原発があるのかその原因など、漠然としか知らなかったことに関して勉強になった。とはいえ映画というよりは学習ビデオという方が実態に近い。
ガラケーに残された留守電、発見されて届けられたタイムカプセルの手紙。震災で亡くなった友達から自分に向けられた言葉たちに返そうとしても宛先はなく、声は空しく海に呑み込まれる。「風の電話」と似た話だが、あの作品が終わった地点から本作はさらに一歩を踏み出している。生き残ってしまった者たちから死者に向けられた言葉が、ポストを通じ誰かに受け止められ、シェアされることで空しい声を持つ生存者は救われるのだ。他者との関係性に開かれているこちらの方が一層深い。
左遷されたエリート銀行員が田舎町で人らしい心を取り戻し、それぞれに挫折した(この挫折の物語も凡庸)町の住人たちともども、大きくなれないために露店で売られる、これまた挫折した存在たる金魚「すくい」で「救う」コメディ・ミュージカル。物語は紋切り型、捻じれたエリート意識を語るモノローグや、その心情をいちいち字幕で表すのも煩わしい。ただ、古く美しい街並み(奈良)を徹底して人工的に作り変える美術と照明、キャストの歌唱力に一見(聴)の価値はあるかもしれない。