パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
白昼の砂漠を背景にISが世界中に配信した人質殺害の映像の数々は、当時あまりに衝撃的だった。日本人ジャーナリストも被害にあった。ISの思想と日本のサブカル思想との温度差が激しく、不謹慎ながら殺害映像のアイコラも出回った。劇中語られる「自分の将来が予測できることが退屈。しかし世界を変えたい」。オウム心理教などへ入信したエリートたちの言葉とも重なる。本作はイスラム教とキリスト教との対比として描写されるが、「悪のテロリスト像」だけでは世界は変わらない。
私は福島第一原発ツアーを企画している。ドラァグクイーン姿で敷地内を案内する。フクイチは事故が起きて冷却汚染水の問題が出たが、そもそも世界中すべての原発で廃棄物の中間貯蔵施設の問題がある。単に原発反対というだけで思考放棄になっている人間も多々。人類の技術の発展とその過信。ベンヤミンの詩のように楽園からの強風によって天使が今にも吹き飛ばされようとしている。その強風は進歩と呼ばれる。この作品は人類の進歩せざるを得ない悲劇を露出させている。
映像体験とは視覚の痕跡を自身の内に反芻し事後に立ち現れる現象とも言えるが、晩年のカポネを扱った本作も自身の数々の体験の反芻による幻影や亡霊との対峙として描かれている。D・リンチの撮影監督を迎え、虚実混交の非線形的な物語として仕上げた。アール・デコに象徴される栄華を極めるアメリカ黄金期。ひとりのカリスマがのし上がりいずれ失脚する姿は、つい最近のアメリカ最高権力者を想起。家族や身内を大事にする姿勢は憎めない普遍的な人間像として伝説化される。
我々は絵画に接する際に一体何を見ているのか。本作は絵画の額縁の外の世界を芳醇に戦慄的に描く。絵画とは、物理的精神的にそこに存在していたであろう時間や空間の物語の写し、もしくは鏡だ。切り取られ写された「絵画」とは、過去と現在を繋ぐドアに開けられた鍵穴のようなもの。覗いたとて、完全な掌握は不可能だ。絵画には描かれ得ない額縁の外側の世界があり、そこにこそ壮大な世界の別の物語が存在し続けている。これは知的かつドラマティックな絵画論であり映像論だ。
佳作だが観賞後の爽快感はゼロなので、コロナ禍のもとで観るなら気重は覚悟しておくべき。監禁された人質=主人公、母国の家族、プロ交渉人の三視点から描かれるも、大半は人質の監禁・拷問・殺害の残虐シーンで、そこだけ論ずれば囚人映画として目新しい演出はない。ISはならず者と描かれている。しかし映画は彼らの暴虐の根源にある米国の中東政策やグアンタナモ収容所問題にも触れる。それを同盟国として日本が支持している責任について思い至らなければ本作を観る意味はない。
2013年の作品で状況が一昔前だし、監督が欧州人のためか福島原発の汚染水、汚染土、廃炉瓦礫など切迫した核廃棄物問題を抱える日本で見るには内容が悠長で楽観的な印象。また廃棄物の保管工程や健康・環境への影響に関する科学的データが説明されず、この作品を観ても有用な知識を得られない。北海道の寿都町や神恵内村が最終処分場誘致に手を上げている問題に関心のある者には初歩的知識になるかもしれないが、結論保留のような本作の描き方に意義はあるのだろうか。
戦慄的怪作。観賞中、T・ハーディは本作でラジー賞獲ってしまうかもと困惑させる。歴史上もっとも有名なギャング役は役者冥利、しかも最晩年の認知症状態を演じる挑戦に燃えない俳優はいないだろう。二枚目に期待される像と対極にあるオムツ姿の徘徊や便失禁中の恍惚表情の出来にハーディ自身は「俺はやったぜ!」と満足したかも。けれど、そんな彼の姿をどれだけの観客が望むのか。脚本もひどい。監督の狙いは自分を干したハリウッドにクソを投げつけることではと裏読みを誘う。
ノーブルな雰囲気漂う知的ドキュメント。新発見された有名画家作品の真贋判定や売買の裏側は時おりNHK BSで西欧制作の番組が放送され、あちらにはそのジャンルのニーズがあるのは知っていたが、本作では購入者や所有者の金勘定を越えた深いレンブラント愛に踏み込んでいる点で唸らせる。庶民感覚からは隔絶された世界だが、それでも少しは大衆的視点を交えてほしかった。意地悪な批評家が登場して痛烈な皮肉をコメントしていれば私はより満足できたかもしれない。
※真魚八重子さんは、しばらく休載となります。