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「バグダッド・カフェ」をより分かりやすくしたような物語は新味に欠け、主人公が新天地で心の傷を癒すという展開も使い古されている。だがこの手の作品に多い、ぶつ切りの寄せ集めに感じるシーンは少なく、長尺の場面でドラマやサスペンスがしっかりと展開する堅実なつくりになっていて、好感を持つと同時に引き込まれてしまう。異文化に戸惑う人物のいたたまれなさを示す演出や、料理人として腕を振るう場面の伏線として食材に出会うシーンを用意するなど、細かい計算が決まっている。
事情があるとはいえ、無軌道な不良少年を大事な一人娘にわざわざ近づけさせる両親の選択が描かれるが、このように社会的に物議を醸す展開を用意することで作品に注目させる手法は、低予算映画では常套手段になっているといえる。むしろ興味深いのは、10代の近視眼的な視点が映し出す世界のせつなくユニークな表現である。そして個人という存在が世界にいま存在するという現象の不思議をとらえ、観客に伝えているところだ。長篇映画は初の監督。このテーマを掘り下げていってほしい。
ドラァグクイーンの息子を嫌悪し、彼の葬儀で仲間たちのパフォーマンスが始まると席を立って帰るくらいに偏見のある母親が主人公。そのつもりで観ていたら、息子への後悔の念が芽生えたとはいえ、そこからゲイバーを経営しだしたり、従業員のため暴力男に命懸けの抵抗を示したりと、突然革新的で気骨ある人物になってしまうのに戸惑ってしまい、せっかくの進歩的なメッセージがすんなり入ってこない。設定の近い「ヘンダーソン夫人の贈り物」の無理のないバランスを参考にしてほしい。
韓国の新人女性監督による少女の日常をとらえた初長篇作品ということで、「はちどり」と比べる向きもあるが、こちらの映画は新時代の波というより、90年代の日本映画を想起させる雰囲気で、ちょっと大人しい。少女の弟の即興ダンスが家族をなごませる場面の面白さや、決定的な場面に居合わせられない主人公を映し出す描写など、おそらく実体験に基づく説得力ある表現が見られるのは素晴らしく、強いテーマと表現力を身につけられれば、大きく化ける可能性のある監督だと思われる。
昔の恩を返すために上海からフィンランドに、中国人の親子がやって来たという義理堅い話に始まった映画は、甘々のエピソードが物語を貫く。主人公2人の関係は予想どおりの結末に向かって進み、緊張感は少し物足りないが、それでもちょっと風変わりだけども憎めない登場人物の個性が、ドラマのスパイス。異文化に心を開くことが結局人間関係の出発点であり、それを食文化の違いで見せるのが大変にわかりやすい。美味しく体にも良い料理と美しい風景で程々の満足感が得られる。
原作が舞台劇だけに、少ない登場人物による人間関係の濃密さはたじたじとするくらい。加えてヒロインのミラの場面はクローズアップを多用し、向こう見ずな言動も難病の彼女が恋をして生きている喜びとして丸ごと捉え、感傷とトンガリのあわいで自在に戯れる青春映画の趣きを醸す。タイトルの「乳歯」が、娘を自分の愛情に閉じ込めておきたい親の心情か。乳歯が抜けるように大人になる娘と両親の葛藤(成長)をカラフルな映像にしたこの作品、インディーズ映画の風合いもある。
映画では、例えば息子がゲイである場合、父親が拒絶反応を示すケース多い。大抵は母親が間に入って緩衝の役目を果たす。ところがこの映画は役目を果たそうにも息子は他界。結果、初老に差しかかった母親のサクセス・ストーリーになっているが、J・ウィーヴァーのパワフル、かつ確信的な前向きさが肝。それは息子に先立たれた母ならではの哀しみ、そして年の功からくる包容力が話の芯にあるからこそ。ショーの華やかさと相まって、特別な一本とまでは言えないが、感じが良く楽しい。
最近の韓国映画で10代の少女の視点では「はちどり」の孤独が記憶に新しいが、この映画のオクジュは家族の存在が重い少女。祖父、父、弟、叔母。それぞれの生活をリアルに描写しているだけに、どれをとっても関わりが彼女には鬱陶しい。例えば、同級生の男の子とは普通に話しているのに、父親と車に乗っているシーンでは目を合わせない。この効果的、かつ秀逸な心情描写には感心させられる。三世代家族の中の少女の夏時間は切り口の巧みさで、懐かしさとともに忘れていた痛みも体感させる。
料理が健康に作用するという概念すらない(ホントか?)フィンランドの田舎に流れてきた子連れ中華料理人と一人で食堂を切り盛りする女が出会い……という「タンポポ」的設定を手垢まみれのエピソードの羅列で展開させてゆく妙に気の抜けた映画で、人物描写や音楽の当て方なども類型的なのだが、決してつまらなくはなく最後まで幸せな気分で観られてしまうのは、皮肉屋の弟アキ・カウリスマキと対照的なミカ・カウリスマキが愚直なまでに映画と正面から向き合っているからだと思う。
ストーリーだけ切り出してしまえばなんていうことのない難病モノだし、想像を超えてくるような意外な展開はとりたててないのだが、それぞれに欠陥を抱えた登場人物たちがみな愛おしく、この手の映画ではありがちともいえる揺らぐカメラワークなども小手先の技術ではない切実さで人間の心の不思議さを生のまま優しく掬い上げており、嵐のように訪れた初恋に文字通り命を燃やしてゆく少女を演じたエリザ・スカンレンの危うさと可愛らしさが同居する不均質な魅力も素晴らしく、泣いた。
娯楽映画のクリシェを駆使した効率的な語りでこのストーリーを90分に収める手際の良さは見事で、ルーシー・リュー扮するシングルマザーのキャラクターなどが映画に軽やかさを与えていて観やすくはあるが、ドラァグクイーン文化に息子の命を奪われたともいえる母親がゲイバーの経営に乗り出すまでの葛藤の描写が芯を食っておらず、セクシャルマイノリティや薬物中毒の扱いはひと通り表面をなぞっているだけの印象な上、主人公の恋愛描写もおざなりで、これでは結末に納得できない。
子供の頃の夏休みに親戚やおじいちゃんの家に行ったときの非日常な楽しさと居心地の悪さがないまぜになった何とも名状しがたい感情が蘇ってくる映画で、デビュー作にしてこの空気を画面に焼き付けることに成功しているのは立派だと思うも、それだけで押し通せるほどの凄みは感じられず、やりすぎない抑えのきいた演出にある種の小賢しさを感じてしまったのも事実で、こういう作品が「イイ映画」のアイコンになってきている気がするシネフィル界隈には僅か反発の思いが芽生えている。