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親は50人や100人子供を産んで育てれば親としてプロだろうが、せいぜい多くて5人程度。親は「親」としては一生アマチュアだ。一方子供は、全員プロの「子供」。親はどこまでも不利な存在なのだ。世界中ダブルバインドの価値観が横行している。テレビやマスコミ、他人だったら容認できるが、身内では決して非容認。カミングアウトで引き裂かれたどの親子関係の亀裂にも宙づりの絶対愛が残る。衝撃的なシーンばかりが目につき、監督自身が見えてこないのが作品として弱いか。
これほど魅力的な生涯を送った人間だったとは。ひとりの人間が「ディエゴ」と「マラドーナ」と二項対立として描写されるが、ふたつの領域を侵犯することが、人間の不安定で危うい本当の魅力なのではないだろうか。実況中継が「なんということでしょう、泣きたい気分だ、ああ神様、涙が止まりません」と叫び続ける。このように個人と公の立場が混ざり合い、危うく不純物のない誠実さ。人々が愛したのは、歓喜し憤慨し悲嘆し落胆する愚直過ぎる正直な公私のない彼の姿だった。
実際の事件を基にしているが主人公ノラは実在しない。またいまだにスザンヌの「死」も確認されていない。中心不在。容疑者の影は薄く、証人たちが際立つ。フーコーやベンヤミンはギリシャ悲劇のうちに裁判の原型を指摘した。裁判という場こそ演劇的で、事件をどのように再物語化するかの争いだ。そしてtheatreの語源であるギリシャ語theatronは「見る、思索する場所」という意味。あくまでも結果ではなくその過程を見せる手法は、観客にとことん思索させる仕組みとなっている。
これは凄すぎる。「超越」しか相応しい言葉は見当たらない。アフロフューチャリズムを根底に、サイエンス、ユートピア、宇宙時空間、社会批評をフリージャズという魔術で料理してみせた。いや逆だ。フリージャズと呼ばれる音楽の一ジャンルを様々なファクターで分解して見せた。ケネス・アンガーばりの描写もあるが、たとえばJBのステージには惑星の配列、北島三郎のそれにはキングギドラが登場といった、有無を言わせない超越した異次元性。そして昨今の米社会にも響く批評性。
2019年にNHK BS1で放送されたドキュメントで54分の短尺。中国の同性愛者二名の親へのカミングアウトをシンプルに撮影、出演者がカメラの前であけっぴろげに感情を見せるのが魅力。一方、見せ場はそれのみで中国社会全体のLGBTs理解度や当事者団体による行政へのアプローチに言及しないのは映画として不足だ。とはいえストレートな内容ゆえ現実に目の前にあるカミングアウト問題でひとり悩む当事者への励ましや参考にはなろう。そのために劇場公開するのだろうし。
当初予定の公開がコロナ第一波で延期された間にディエゴが急逝、感傷的に見ざるを得ない。「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」同様、膨大な映像素材中の一瞬の表情から隠された本心を抽出する監督の手腕は素晴らしい。TVニュースが切り出すディエゴとはまったく違う顔の彼がここにいる。二度のW杯を含むナポリ時代の美技がたっぷり見られ、サッカーの狂熱やスター選手の栄光と苦悩が生々しく伝わる。それは本作がほかならぬあなたの映画だからだ。ディエゴよ、安らかに眠れ。
丁寧に演出された法廷劇。音声記録を重要なモチーフにする点は「カンバセーション…盗聴…」や「ミッドナイトクロス」に似て、不可視要素でサスペンスを重層化する映像魔術の快感がある。淡々としてビジネスライクな中年男性弁護士と、証拠分析に没入し日常が崩壊する女性ボランティアのコントラストも面白い。ただ針の穴の盲点発見に期待した私は結末に「えぇ〜!?」だった。実話ベースなので仕方ないかもしれないが、それが本旨なら中盤まで違う設計にしたほうが効果的だったろう。
カルト的ジャズ奏者サン・ラーのファンには輸入VHS時代から人気だった74年製作のチープでサイケなブラックスプロイテーションSF映画。劇場公開は今さら感もあるものの、字幕付きを大画面・大音量で観られるなら意義は感じる。深夜にアルコール+αの入った体調で観ないと満足を得にくい内容ゆえ、夜間営業自粛のもと日中、素面で観賞するのは作品にとっても不幸。上映館はケチケチせず彼の主張と音楽の記録映画「サン・ラー/ジョイフル・ノイズ」と2本立て公開してほしい。
取り上げる人材が二人という質素な作りがもったいなく、映画の規模に拡大したものが観たい。親にカミングアウトした際、同性愛者に対してありがちな誤解がぶつけられる様子を、カメラが余すことなく捉えているのは監督の引きの強さだ。「根気よく同性愛を治していこう」という無理解や、親戚の手前、嘘をつくよう求められる典型的な反応。中国に限ったことではない、要所を押さえた親のリアクションのバリエーションが観られる。監督と登場人物たちの距離感も気になる。
サッカーに詳しくないけれども、マラドーナがお騒がせ有名人で毀誉褒貶が激しいのは視界に入ってくるし、引退後も波瀾万丈だった印象があるので、本作で焦点を当てて取り上げる期間が狭く限定されているのが物足りない。区切った分深掘りしているならまだしも、先述のイメージを裏付ける程度の意外性のない逸話や写真が多い。現役時代の有無を言わせぬ見事なプレーは見ごたえがあるが、タイトル通り二つの顔があってサッカーの天才でありつつ俗物だったという範疇を出ない作りだ。
実録犯罪映画の妖しい魅力があり、法廷劇としても観客が求める見せ場が用意され満足度が高い。主人公の女性がある裁判にのめりこんでいく過程を、編集で巧みにスキップしながら追っていく語り口が絶妙。事件は言葉による説明のみで再現映像はなく、駆けるような展開ながら迷子にならずに観られる。真犯人について強めの匂わせをするが、あくまで推定無罪についての映画のスタンスを守るのもわきまえている。弁護士役のオリヴィエ・グルメの素晴らしさ! 重厚さと繊細な演技に感嘆。
自分を土星からの使者と言い、不思議キャラクターで押し通した自意識の塊のアーティストなわけだが、音楽もこの映画も普通に楽しめるのがサン・ラーの良いところだと思う。もちろんシュールな独自の哲学が勝っているものの、端々の演出が卑近でとっつきやすい。ヤバくないホドロフスキーにルチャシネマ風味とでもいうべきか。手作り感覚のSFテイストは癒し要素も持っている。黒人という鋭利なテーマを掲げつつも、それを表現する方法がブラックスプロイテーション映画で楽しい。