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監督自身が演じる主人公の彷徨がパリ、ニューヨークに及び、ジャック・タチ風のシュールなコントで結ばれることで、それぞれの地に居場所がないことの不安を感じさせる。主人公の撮る作品に民族的な切迫感が希薄だという評価を与えられる場面が痛烈で、ある出自に対して限定的なものを求めてしまいがちな、われわれ観客の盲点を突いてくる。とはいえ、それは現在の世界が思想的な後退を見せているからこその要請だともいえ、スレイマン監督の孤独が癒されることは当分ないのだろう。
主人公が現状を打破して一歩前に踏み出していく……。そんな映画が数多いなか、むしろなかなか踏み出せない状況を温かく、ときに崇高であるかのように描くという点が挑戦的な作品。日常を丹念に描いていくだけなのかと思いきや、少女ギャグ漫画『お父さんは心配症』のような笑える展開になっていくのが面白く、ユーモアのセンスが相当ある監督だと思う。牛舎の中を映し出す場面では、作業道具を手前に置いた不自然な構図が、昔の大映作品を見ているようで、ここでも笑ってしまった。
山水画のような風景と、そこで暮らす人々の営みを、季節とともに絵巻物のようにとらえていくというシンプルかつ大胆な試みが素晴らしい。娯楽的な要素は少ないものの、絵を観るように楽しめるという意味で、文字通りの“アートフィルム”と呼べるものとなっている。また、監督の家族や知人らを集めたというキャストがリアリティを醸し出し、彼らの達者な演技にも驚かされる。一方、ドラマ自体はかなり類型的。監督はこれが初長篇作ということなので、今後は人間描写の強化に期待したい。
監督のマチアス・マルジウが手がけている原案、脚本は、ロン・ハワード監督の「スプラッシュ」のリメイクと言ってもいい内容。現代劇ながらレトロな要素が作品に散りばめられ、ジャン=ピエール・ジュネ監督作品を連想させる世界を表現しようとしているように見えるが、完成度がそれほど高くないのが残念だ。音楽でも監督のバンドが参加しているなど、監督が一人でいろんなことができるマルチタレントであることは認めるけれど、どうもすべてがいま一歩行き届いてないという印象だ。
普通の日常のようなシュールなような。ユーモラスなようなシニックなような。シリアスなようなコミカルなような。スレイマンの新作はなんとも不思議なテイストをたたえている。自身が主演して、ナザレ、パリ、ニューヨークと移動するなか、セリフの少なさと状況説明のなさで、想像力を動員して読み解く楽しさはあるものの、誰もが面白がる類の作品とも思えない。でも、今、この世界に天国なんてそうそうあるものではないという、この監督特有のメッセージの伝え方をしかと受け止めた。
セリフが初めて発せられるまで、映画が始まってから10分弱。日々のルーティンワークをこなす叔父と姪を見つつ、この間の無言に軽い戸惑いを覚える。同時にこれから動き始めるはずのドラマへの期待も。固定カメラによる画面はすべてのシーンの人物の感情表現も抑えられ、映像も簡素さで統一され、ドラマは観客を二人と同じ場所にいて彼らを観察しているような心地にさせる。ドキュメンタリーの風合いを持つ映像から揺らぎながら形を現す人間味。期待以上に、豊かな映画である。
老母を家長と仰ぐ四人の息子と彼らの銘々の家族(四男は独身だが)の日々の営みが、都市と自然に溶け込んで一体となっている様を写した映像が素晴らしい。むろん映像だけに止まらない。無理、あるいは不自然さを感じさせないストーリー、人物の造型にも長篇初監督というグー・シャオガンの才気がほとばしる。クルーを組んで撮ったのも初めてだそうだが、ロングショットを含め、画面から立ちのぼる優雅さと落ち着きは驚異的。人の暮らしを、不変と可変の事象によって芸術にした。
登場人物の設定もエピソードも、俳優陣の顔ぶれもそれなりに整っている。美術などビジュアルの設えはいかにもファンタジー。演出も過不足がない。けれど見終わるとなにか物足りない。そうだ、恋する主役の間に、異界の生物に対して、身に染みて強く感じる互いへの思いが希薄だったのだ。歌声で男を虜にしてその男の命を奪って生き延びている人魚に対して、特に男からは命がけの思いが欠乏している。その思いを表現してこそのラブ・ファンタジーなのに。監督の器用さはよく分かった。
監督が主演を兼任し台詞が与えられていないノホホンとした中年男が主人公、とくればジャック・タチの「ぼくの伯父さん」シリーズが想起されるも、描かれているのはパレスチナ問題に対するアイロニーっぽいナニか、って感じで、学のない自分がこの映画の本質を理解できたとは言い難いのだが、シンメトリーと集合体を基調とした画づくりとユーモラスに動く人物たちの様子は、位相の離れた並行世界を眺めているようで滅法楽しかったし、そこには間違いなく映画を観る幸せが溢れていた。
毎日同じ朝食をとり、畜舎で同じ作業を繰り返し、同じ時間に床に就く、という単調な日常を頑ななまでにカメラを動かさず雑味を排した画面で切り取ってゆく手つきは、世間との繋がりを僅かニュース音声にとどめていることも含め、渡辺紘文率いる大田原愚豚舎映画のようで、開巻早々にして大好物確定であったし、ヒロインに恋心が芽生えたことにより少しずつ変わってゆく生活の中で寡黙に紡がれてゆく彼女とその叔父の互いへの不器用な思いやりが、もどかしくも切なく胸に迫ってきた。
中国映画の美点を煮詰めたような映画で、デビュー作からすでに巨匠の風格が画面に滲んでいるのは凄いと思うし、素人役者の芝居を映画に溶け込ませる演出力も見事だと感じるのだが、観た者の多くが語るであろう中盤の河から船へと続く驚異の長回しは、その計算され尽くされたカメラワーク自体は技術的には素晴らしいとはいえ、あのシーンでやる必然性があるのかは個人的に疑問で、かような映画監督としての野心が透けている力みすぎな部分に関しては手ばなしで賞賛する気になれない。
人間を次々と死に追いやる殺人人魚の物語とはいえ、ホラーな雰囲気はそこそこにとどめ基本的には美男美女が繰り広げるロマンチックラブストーリーに仕上げている口当たりのいいデート映画であり、画や歌の完成度は素晴らしいのだが、「二日後の夜明けまでに海に戻らないと死ぬ」という映画が自ら決めたオリジナルルールをさほどのエクスキューズもなくうやむやにして3日目に突入させてしまう作劇には疑問を感じるし、心をなくした男が恋に落ちるにはエピソードが不足している気も。