パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
このタイトルから、ひたすらに真面目なドキュメンタリーと思ったら、実在した精神科医を柄本佑が演じる、優良ヒューマンドラマだった。柄本が、相手に届く最低限の声量で、優しく語りかける言葉は名言だらけ。生真面目な演出とカメラワークから、医師の人間像や彼が放つ言葉が際立ち、作り手が彼を心底尊敬していることが伝わる。傷ついた心を癒やすことへの希望が、震災から復興した神戸の町並みを映し出すエンドロールに託されている。この作品にも、人を癒やす力がある。
同じ価値観で結ばれた大学生の男女が、仕事と生活への向き合い方ですれ違っていく。男は、震災後にひたすら貧困化した日本社会の被害者だろう。芸術の才能を安いギャラで使い捨てられ、就職活動に苦戦し、労働に忙殺され、感性が摩耗。それが大人になるということなのかもしれないが、ポケットに入れておいた夢が、日々の洗濯で溶けて消えたのは、果たして彼だけの責任なのだろうか? 膨大なカルチャーネタへの言及も含め、ある恋人たちの物語から、日本の5年間が見えてくる。
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、自身の存在を証明する言葉。本作では、「我撮られる」を超えて、「たくさんのいいね、ゆえに我あり」の地獄で女性が迷走。白いスーツと赤いドレス、傷を介した触れ合い、カマキリの交尾と共食いの接写、レタッチで原型を失っていく写真など、言葉ではなく視覚とオールアフレコの音がモザイクとなり、現代人の承認欲求や、生の実感を得ることの難しさを批評する。残念なのはやはりアフレコのセリフ。狙いだとしても、役者の技量不足に見える。
衝撃的な事件や設定を扱う“問題作”を原作に、謎めいたネタをちりばめてざっくりと回収し、しかつめらしい家族ものに仕上げる、堤監督らしい一本。主人公と父親殺しの容疑者が、苦しみ葛藤した末に、晴れやかな表情を見せて映画は終わる。父親から受けたトラウマを彼女たちが乗り越えるいい話のようにまとめられているが、彼女たちを苦しめた存在や問題に対する、作り手からのステイトメントが伝わらないのはいただけない。感動ポイントでわかりやすい劇伴を流すのにも萎える。
これはNHKのテレビドラマの再編集であって、厳密には映画とは言えない。だが、とても質の高いドラマである。脚本の良さが際立つ。セリフの一つ一つがまるで祈りのようである。そのひと言で、その人物がどんな人間かが手に取るようにわかり、そしてそれが人を動かす。そういうのを完璧なセリフと言う。脚本の桑原亮子という人の名前を心に留めておきたい。話は無理なく編年体で語られていくが、決して飽きさせない。あざとさと無縁の、とても静かで品のいい演出もいい。
「恋」という文字がタイトルにあるからには恋愛映画なんだろうが、そうでない気もする。焦がれる眼差し、高鳴る鼓動、言葉にできないもどかしさ、息を詰め、煩悶とし、そして突っ走っていく。恋愛ものに付き物のそれらはどこにもない。どこにでもいるような男と女の、いくらでも見かける恋愛模様。名脚本家が敢えてそれにチャレンジしたのだろう。が、日常と地続きの話を映画にする難しさを改めて知らされた。日常を映画にしてきた小津安二郎や成瀬巳喜男の偉業は今や奇跡なんだろう。
その昔、「かまきり」という韓国映画があって、シリーズ3まで作られた。カマキリのメスが交尾中にオスを食べるという習性をモチーフにしていた。この映画にはカマキリが全面に出てくるが、彼と彼女がその習性とリンクしているとは思えない。見合い写真の修正を頼む女が、「現実の自分より写真の自分のほうが人の印象に刻まれる」などと言うが、なるほど現実の物語より頻繁に出てくるイメージショットのほうが印象に刻まれる。が、劇映画にはリアルな物語がほしいのだ。
回想で描かれる事件は恐ろしく不自然だ。女子大生は「父を包丁で刺してはいない。包丁が刺さったのだ」と言うが、そもそも駆け寄る父親を前に決して包丁を離さなかったのを見ても、殺意がなかったと言えないはず。未必の故意ではなかったのか。ことさらに彼女の罪のなさを強調しようとしたせいか、空回りした二時間サスペンスのような趣になっている。映画にするにはいい題材なはずなのに、なぜこうもぞんざいな印象を与えるんだろう。胸に迫るものがどこにあるのだろうか。
心など訳の分からないものではなく、役に立つ学問をしろという実業家の父に対し、だからこそ知りたいという主人公が、回り回って有益になる逆説。役に立たないもの、目に見えないものを軽視し、それへの想像力を欠くことがいかに有害であるか。心のケアとは誰も一人ぼっちにしないことと主人公は言うが、コロナ下での現状を鑑みるに、未曾有の災害を多々経験しながら、日本が安氏の教訓を生かせているのか心もとない。災害時の心的外傷がどう現れるのかその諸相をもっと見たかった。
本や映画や音楽の趣味、履いている靴まで同じ二人が恋に落ちる。自分たちはみなとは違うと趣味の良さを特別視するのも厭らしいが、それよりも、その二人も趣味の延長のままでは生きられず、仕事するようになってすれ違い、別れるにいたるという身もふたもない展開。花束みたいな、つまり地に足のついていない恋などいずれ破綻するのだという、「大人」からの呪詛に満ちた映画。どうせかなわないなら夢など見るだけ無駄。こんな保守的な映画を若い人が好むとしたら絶望的だが。
主たる登場人物三人、少ないが意味深い台詞、的確な構図とショットの連鎖具合も見ていて気持ちがいい。写真の加工が容易になった現在、真と偽の境界の揺らぎを物語の核にした寓話。見合い写真をいじる悪い加工もある一方、死んだ娘の年を取らせることで父が救われる良い加工もある。逆に、傷をあえて出した真実の写真が、「いいね」狙いの悪い真実であったりもして、その是非は判定が難しい。ただ、もっと深い所に行けた哲学的=美学的な寓話をカマキリの怪異譚に着地は少し惜しい。
心理師と弁護士が、女子大学生による父殺害事件の真実を探求、心理師と大学生はそれぞれ幼少時に父を始めとする大人の性的欲望によって陰に陽に心を傷つけられている設定で、その類似は面会時、ガラスに重なる二人の顔で象徴される。他にもドローンの多用、雲間から覗く太陽など、象徴的な画面が多く、思わせぶりが鼻につく。裁判ものの面も持つが、真実が小出しにされて、裁判で劇的にすべてが明らかになるわけでもない作劇が中途半端。終わってみると題名の意味が曖昧なのも難。