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幼少期に教育の機会を得られず90歳を過ぎて小学校に通うようになった、ケニアの小さな村に住む女性の日常を追うドキュメンタリー。たまに棒読み気味になるセリフっぽい会話や、作品に不似合いな西欧音律のスコアが気になるが、それ以外はナレーションを排した被写体に集中を促す誠実な作りで、とても大事なことが語られている。口を開けば世を憂うことばかり言ってる人は、「いい時代さ。正しい方向に物事が進んでるよ」という彼女の言葉を噛み締めたほうがいい。
「名もなき生涯」のような作品を監督する一方、その同じ年に亡くなって間もないリル・ピープのドキュメンタリー映画のエグゼクティヴプロデューサーを買って出たりするテレンス・マリック。世間に流布するイメージとは異なるその俗っぽさは心得ているつもりだったが、それにしても本作の俗っぽさにはのけ反ったし、帳尻合わせ的な着地にも笑ってしまった。白人の特権性や欺瞞を隠そうともしないその潔いスタンスは、今やアメリカ映画では貴重だ。良くも悪くも。
冒頭約30分、イ・レ演じる少女ジュニが驚きのドラテクを駆使して主人公たちを救出するあたりまでの編集のスピーディーさ、ビジュアルのシャープさ、ストーリーテリングの巧みさは、さすがヨン・サンホ。同じくアナザー・ハリウッドを標榜するヨーロッパ・コープあたりのアクション作品と比べても確実に一枚上。シチュエーションを分散させたことで物語が停滞してしまう中盤以降は、ほぼ完璧な脚本だった前作と比べるとどうしても分が悪いが、課題は脚本だけとも言える。
「え? 原題も英語題も邦題も同じなのにサモ・ハン・キンポー版のリメイクじゃないの?」とわかったようなことを言いたくなるが、ジャッキー映画に夢中になっていたクラスメイトを横目に、子供の頃からカンフー映画(特にコミカルなもの)が大の苦手だったことを告白しなくてはいけない。往年のカンフー映画のフォーマットに、日本のトレンディドラマ的なふた昔くらい前のテイストをまぶしてみせた谷垣健治監督の方法論は、オリジナリティという点では成功している。
ひ孫娘たちの手本となるべく、小学校入学を決意した、94歳のゴゴ。寄宿舎生活を送りながら授業を受け、100歳までには初等教育修了試験をパスしたいと神様に祈る、その心意気も若やいでいる。修学旅行で初めて村を出て、初めての旅にはしゃぐ姿は、うんと年下の同級生たちと変わらない無邪気さだ。しかし耳は遠く、目も見えにくくなる老化現象をはね返す「特別なばあさん」は、彼女ひとりの力では生まれない。お年寄りに敬意を払い、同じ歌で盛り上がれる村の文化に支えられている。
この既視感、何だっけ? と思えば、「聖杯たちの騎士」(15)のマリック&ルベツキコンビ作だった。タイトル通り、まさに音楽を聴くように、感情の赴くまま、作品世界に身を任せて、感じることで、一体になれる、独特な映画である。パティ・スミスやイギー・ポップら、本物のミュージシャンたちが大勢出演し、趣向を凝らした音楽の中で、マーラーやボブ・ディランの使い方が面白い。メキシコ(?)の海で戯れる男女3人夏物語に、物乞いの老婆を挿むくだりに、ルベツキの手腕が光る。
大ヒットを記録した前作から、4年後の世界が見事に構築されている。カン・ドンウォン演じる、主人公のジョンソクを筆頭に、主要な登場人物たちのキャラクターも見応えがある(完璧なキャスティング!)。中でも、監督があてがきしたと明かすジョンソクの義兄チョルミン(キム・ドユン)と、因縁の母ミンジョン(イ・ジョンヒョン)、それぞれの選択する結末がいい。たとえカッコ悪くとも、世間の常識に抗って、生きる努力をする。人間の素朴さを讃えた、素晴らしいヒーロー映画だ。
その場にあるものをうまく利用するアクションの軽やかさが、映画全体に行き届いている。麻布警察署の外観や築地観光など、訪日外客的な視点で捉えたJAPAN情報をビビッドに取り込み、セットとの絶妙な調和を図る(甘栗屋の設定も面白い)ことで、東京タワーでのラストバトルの臨場感&迫力の倍増に成功。マギーのヘリネタまで、華麗に回収する脚本の完成度も高いが、冒頭、マスク姿の銀行強盗犯たちに「風邪ですか?」と声をかける行員の親切心がもはや通用しない時代とは切ない。
被写体の立ち位置がバッチリのマルチカメラ、アングル違いのカットバックの多用、それらの演出が「ドラマ」過ぎて、そればかり気になってしまった。監督の解説を読むと、時間をかけて被写体の人たちと関係を結んだのでその手法が可能になったということだが、あらかじめ全体像を想定して組み立てていることが“あからさまに”見えるドキュメンタリーをどう捉えるかによるかな、と。もちろん「教育の重要性を訴えたい」という意図は伝わったし、主人公のゴゴは魅力的ではあったが。
ルベツキのエモーショナルな映像、俳優たちの自由な演技、そして自己対峙のポエティックなモノローグ――冒頭からお馴染みの手法で「関係性の本質」をあぶり出すマリック節全開。8時間あった(らしい)最高の素材は、全篇、浮遊し絡み合うように断片的に繋がれ、観る者を翻弄し続ける。音楽業界に生きる人々を描くために、実際の野外フェスで撮影し、有名音楽家も多数出演しているが(P・スミスの言葉が泣ける)、リアリティは感じられず、贅沢なエチュードを観ているような感覚に。
冒頭こそ、コロナ禍真っ只中の今、感染爆発から派生する差別描写などにリアルを感じたが、その後は「ジュラシック・ワールド/炎の王国」「ニューヨーク1997」「マッドマックス 怒りのデスロード」なんかをごった煮にしたトンデモ展開に突入。フュリオサばりのハンドル捌きを見せる13歳、イ・レの憂いのある眼差しにグッとくる。前作同様、ヨン・サンホ監督の展開、キャラクター描写ともに無駄のない演出が冴えるが、ラストの選択のシーンだけやたら長くて惜しい。
ドニー・イェン、谷垣健治監督の師弟コンビが送る東京を舞台にしたアクションコメディ。そもそも主人公が太っている意味があるのかとか、日本のヤクザと警察の描き方が雑だとか、ヒロインがうるさいし心狭すぎとか、そんなつまらないことに引っかかる人は、このジャンルを心から楽しめないだろう(私だ)。歌舞伎町、東京タワーを再現したセットは素晴らしいし、その中でのドニーのアクションもキレていた。個人的には、次回、このコンビでシリアスなアクション映画が観たい。