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知られざる偉人にフォーカスを当てる大河もの。功績だけでなく、はるとのロマンス、龍馬との同志感、若き日の伊藤博文や岩崎弥太郎との友情などが駆け足で描かれていて、メリハリがない。「史実に基づいたフィクション」と断りを入れるなら、役者の熱量の高い芝居を活かすためにも、思い切って先のどれか一つを膨らませてもよかったのでは。船上で、龍馬が「日本の夜明けぜよ!」と叫ぶ日の出のシーンのあまりにも人工的な照明や、ひねりのない劇伴なども足を引っ張る。
安藤サクラの「百円の恋」、蒼井優の「百万円と苦虫女」、松岡茉優の「勝手にふるえてろ」に類する、出ずっぱりの主人公とともに演じる女優が覚醒する本作は、のんにとってようやく誕生した代表作。脳内の相談役“A”とのマシンガントーク、Aの意思に操られるときの動き、抑え込んでいた怒りの感情を吐き出す爆発力など、技術と感性が高い次元で融合している彼女の一挙手一投足に、文字通り目が釘付けになる。ただ、彼女の魅力をもってしても、133分は長いと感じた。
ドキュメンタリー映画には、主題に対しすでにある程度の知識を持つ人に向けたもの(A)と、一人でも多くの関心をそのテーマに向けさせるために作られたもの(B)とがある。旅情を誘う実景映像、デモに参加する若者たちの切実な言葉、警察が市民に過剰な暴力を振るう凄惨な場面から成るミニマムで強烈な映像ジャーナリズムである本作はBタイプ。劇場でAを求める人には食い足りないし、一人でも多くの人の目に触れて欲しいので、一刻も早くサブスクで配信されますように。
パーティーに参加した七人の関係性を観客に伏せたことで、彼らへの好奇心が持続。スマホ公開ゲームが各人の秘密を顕にし、パーティーが混沌を極めた末に、脛に傷持つ者同士がお互いを許し合い、なんだかんだでいい話に着地する。か弱いふりをしてゲームを提案し、他の六人を煽って追い込むゲームマスターの邪悪さを誰も追及しない。キャラクターのこの扱い方も、幕引きのぬるりとした優しさも非常に日本人(日本映画)的で、他国のリメイク版と比較してみたくなった。
五代友厚という人物を広く知ってもらうというのが映画の意図なら、こういう作りになるのは当然だろう。薩摩の若き志士が、維新を経て経済日本の礎を築きあげていく。愛した娼妓に死なれ、盟友の坂本龍馬が殺され、世の嫌われ者となりながら、新しい日本を作るという志を決して棄てることはなかった。その生涯を余すところなく、まっすぐ描いている。文句をつける気にはならない。が、何か物足りない。五代が直面した一番大きな局面、そこに焦点を深く絞っていたらどうだったのか。
脳内相談役という設定は面白いが、それが足枷にもなっている。みつ子という女子が相談役を必要としているような大きな葛藤を抱えているようでもないし、おひとりさまではありながら、決して孤独ではなく、そこそこ充実したシングルライフを営んでいる。だから、相談役が無用な雑音にしか聞こえない。あの絶妙な「勝手にふるえてろ」と同じ原作・監督コンビながら、あまり気が行かないのはなぜか? キャストだって、のんをはじめ万全なのに、語り口を間違えているとしか思えない。
「光復香港、時代革命」を旗印にした香港のデモの参加者は2019年6月には103万人に達したという。香港の人口が750万と言われているので、どれだけ多くの人々が、特に若者たちがデモに参加したのか想像を絶する。決死の覚悟で監督が写し撮った若者たちを見ると胸が熱くなってくる。涙が出てくる。警官たちに殴られ蹴られ殺される彼らは歌を合唱する。〈アメリカ国家〉そして〈イマジン〉。人間にとって自由というのは、人間の存在意義そのものなのだとしみじみ思い知らされる。
予備知識なく観ていたら、舞台劇の映画化なのかと思った。しゃれた設定で、岡田惠和さんはこういう脚本も書くんだなと興味深かった。が、2016年に日本でも公開されたイタリアの大ヒット映画のリメイクだそうだ。ワンシチュエーションドラマゆえに、どうしても舞台臭さは残る。だが、ささやかな一通のメールから夫の、妻の、友人の、娘の、父の、母のそれぞれの人生とその綻びが見えてきて、とても心地よく観させてくれる。加えて、俳優陣がいい味を出してくれている。
相も変わらぬ明治維新神話。五代自身が傑物だったことに異論がないにしても、彼がいかなるヴィジョンを持ち、何を成し遂げたのかが具体性をもって描かれていないので、光も陰もある人間というよりは完全無欠な英雄にしか見えない。周囲の人物も何の衒いも疑いもなく、皆恥ずかしいほどに無邪気で多幸的。維新という日本人にとって幸福な成功体験(本当にそうなのか、列強に追いつけ追い越せの精神のその先に何があったのか)の記憶を自慰的にリピートしているだけの映画。
自分の声(男声)との会話で、三十路ながらそれなりに快適な一人生活を維持する女。その脳内の声がモノローグでなくダイアローグであるという点が本作の興味深い点だ。自分を悪い方向に走らせたり、突然消えたり、結構迷惑な存在なのだが、それも今のままで良いわけはないという自分の無意識の発露なのだ。声は自分であり、自分の中の他者である。しかし、そうしたギミックなしでも、かつての親友との微妙な関係をきっちり描ける演出があるからこの声も生きているわけだ。
ヴェンダースの「東京画」は、異邦人の見た東京として、見たこともない東京を見せてくれたが、この「香港画」は、私たちがTVのニュースで見るものと大差ない映像の集積に過ぎない。確かに香港警察の暴力は酷いものだが、その暴力の依って立つ根拠=国家の暴力性(中国に限らず)まで踏み込んではいない。その本当の怖さが見えず、だからこそ戦わねば、と意志を奮い立たせることもない。プロパガンダとして中途半端、ましてドキュメンタリーの多層性は望むべくもない。
日本版がどれだけオリジナルな点を有するのか、元を知らないので分からないが、いずれにせよ携帯をオープンにするのは使用者の誰にとっても危険な事態であることは疑いようがなく、それをあえてやろうとする筋立てには初めから無理がある、とはいえそれを言っては話が始まらない。怖いもの見たさということも人間にはある。秘密が暴かれるが、雨降って地固まる展開なのだろうな、とは予め想像がつき、そのTVドラマ風安定のパターナリズムが好きな人には面白いのだろう。