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人は歪な多面体。長年連れ添っている夫婦だからといって相手の本質を見抜いているとは限らない。会ったこともない素性の知らない相手だからこそ、その人の本質の一部を理解していることもある。そしてその逆や勘違いもある。この作品はそんな様々な外部の解釈によって、人間の像は出来上がっていることを教えてくれる。すべてが虚構という妄想に取り憑かれた元政治家が出てくるフェリーニの「ボイス・オブ・ムーン」が流れる。虚構さえも現実や人間の一部なのかも知れない。
上手に演技をこなす役者であればあるほど、それは「役」に徹する「偽物」だ。だとするとスタントは、役者の演技領域の外部に存する「本物」(=現実)を生きていることになる。代役であったはずの彼女たちこそが、劇中唯一無二のリアリティを獲得する。どんな職業でも長年一線を渡ってきた女性ならば誰でも、背景の社会構造や移り変わりと無関係ではいられない。しかし社会に翻弄される関係をよそに、スタント撮影中の彼女たちのあまりにも輝いている生の発露が眩しすぎた。
冒頭からロメールを彷彿する陽光は、普段バラバラな家族が母親の誕生日に一同が会するロメール風物語を紡ぐ。次男のロマンが映像、孫娘のエマが演劇、そしてこの映画自体が歌わないミュージカルの構造となっている。難破船から人魚が救出してくれる物語であるが、この一家もまた常に荒波に揉まれている。問題児の長女クレールは、家族を危機に直面させる嵐であり、救いだす人魚でもある。人間の喜怒哀楽の新鮮な表情を見事に並べ、まるでヌーヴェルキュイジーヌだが仏伝統料理だ。
我々日本人にとって戦後とは1945年以降だが、朝鮮半島はいまだに停戦状態。日本による植民地闘争において正反対の立場がここまで分断を生むとは。タブララーサを迎えたとき、人は何を欲するのか。歴史とは勝者が書き変えていくが、ひとつの出来事を全く別の物語で語ること。もはやこの半島では勝者も敗者も不在だ。ただただ辛酸を再度味わいたくはないとする決意か自尊心の維持だけだ。この断絶が消滅するとき、巨大な経済津波に襲われ、日本の戦後も終わるのかもしれない。
90年代初頭のソ連解体と湾岸戦争を背景にした「ニュー・シネマ・パラダイス」だ。イスラエル映画らしい毒の効いた小品で、同時代経験がある世代にはダイヤルQ2や海賊版ビデオを持ち出す趣味が懐かしくも楽しい。私も90年代、新大久保の中国ビデオレンタルで多く学んだと思い出した(Q2については内緒)。当時はグレー商売にも間違いなく「映画の夢」があったのだ。移民と脱法産業がつながり生まれる社会の多文化化。黒い笑いからお前も内なる国家を解体しろと挑発される。
女性スタントの歴史と主張にスポットを当てる題材は派手で趣旨も明快。白人男性優位集団のハリウッドで裏方女性が地位を得てゆく過程は胸が熱くなる。一方で語りの内容を映像素材で対照する編集がうまく機能せず口述場面ばかり続き、近年のドキュメントにありがちな出演者の早口多弁を字幕が訳しきれない課題も残る。「女性ががんばってますよ!」一辺倒な構成にも不足感。P・ヴァーホーヴェンが出てるなら彼の男目線な辛辣発言がほしかった(未使用素材にたっぷりありそう)。
本作のドヌーヴはNHK朝ドラの祖母役みたいな分別ある賢女像で面白味がない。招かれざる家族の帰還テーマはかなり既視感あるし、起きる波乱もお約束ばかり。嫌がられつつ家族にカメラを向ける自称映画監督の次男坊が撮影する映像が重要な伏線かと思いきやそうでもない。短所ばかり目につくが、邦画にもよくある同題材作品と違い、着地点を厳しく描き現実的課題をつきつける。逃避していないぶん後味はだいぶ悪い。逆に食事シーンは旨そうに撮れており食欲を刺激するのが皮肉。
朝鮮半島史になじみ薄い欧州人向けテレビ作品の前後篇一挙上映。戦後75年、南北分裂の激動を2時間に圧縮、かなり駆け足ゆえ半島史ビギナーは理解が難しそう。逆に現代史通に新たな発見はない。北朝鮮を仮想敵とする大前提がないのが日本的視点との差異で、金日成の意外な高評価、帰国事業や拉致問題のスルーなど興味深い独自性が。製作はNHK・BS1『BS世界のドキュメンタリー』でたびたび作品が放送される仏独共同テレビ局アルテ。NHKが意に沿わず買わなかった番組か?
オフビートな雰囲気もまとっているが、上品ながら結構際どい設定になっていて明け透けなユーモアに引き込まれる。もう若くはない移民が暮らしていく厳しさに迫りつつも、中心となっていくのは夫婦のマンネリ化や心の移ろいだ。伴侶に嘘をつくスリリングさも善悪の裁きに持ち込まない裁量で、破壊には至らない一時の衝動の話として生々しい。アルトマンの「ショート・カッツ」で起きる地震のように、飽和状態に至った物語を爆発させるのが、イスラエルでは空襲警報なのだろう。
影武者ゆえに、裏方の中でも特にフィーチャーされずにきたスタントマンの、さらに女性に光を当てた着眼点が素晴らしい。最初期に女優自身がスタントをやっていたことや、女には危険だからと女装した男性にアクションがとって代わられる、極端な状況はフェミニズム的な問題の端的な現れ方だ。内容も多種の話題にわたっていて飽きない。老いて引退したスタントウーマンたちのインタビューが、ちょっと意外な楚々とした落ち着きと、刺激的なスタントへの郷愁が漲っていて胸を突かれる。
「観ていればそのうちわかる」と言わんばかりの、いまいち相関図がわかりにくい登場人物たちが一堂に集うシークエンスから慌ただしく始まるのが、フランス流大人の語り口というか。そして全員が何かしらの精神的、性格的問題を抱えているのも家族映画の本領発揮ぶり。その迷惑さが生々しくてイラッとくるキャラは演出の上手さだが、中にはいかにも常套句的にトラブルを起こすキャラも混在していて、監督の思い入れの違いだろう。突き詰めれば全部金という夢のなさは息が詰まる。
正統派ドキュメンタリーで強面な感触もあるが、朝鮮の複雑な歴史をダイジェストで学べる。強権を持つ複数の国の意向によって、国が南北に分けられる理不尽さ。分断されてからそれぞれの道のりを経て、南北で異なった個性を得ていく過程を観ることができる。インタビューが可能だった人間と、対外的な装いを持つ北朝鮮の独特さを考えると、逆にこの映画によって本当に真実を知ることができたのか、疑いが芽生えてきてもどかしい。隣国の背景を知る足掛かりとしてまとまっている。