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前半は交錯し運命に翻弄される群像劇だが、後半から一青年をして現代美術史の再現、その軌跡の入門的な解説映画となってしまった。歴史上の個性的な有名人のモノマネではなく、映像にしかできないことをやらねばならない。リヒターはその後「サスペリア」でも魔女と並行で描かれるバーダー・マインホフ事件のフォトビルト技法をして歴史画を問題にする。近年ボイスのタタール人のエピソードも神話性作りの捏造説もある。Wiki程度の情報で脚本を書いている気がしてならない。
火、水、風、土の様相と人間の相貌を美しいモノクロームで昇華させた。少年の成長物語と言えなくもないが、国家と少年の体験が複雑に混ざり合い翻弄される。一度は誠実な司祭によって救済されるが、彼は肺を患い死去。傷ついた少年の存在を語り継ぐ者は皆無。しかし傷ついた世界を語り継ぐことができるのは少年だけだ。描かれたのは一少年の半生ではなく、世界からはみ出してしまう人間や動物の過剰な「生きる(死ぬ)」というリビドーの余剰とその背後の不可視の欲動だった。
素晴らしい気品に満ちた映像。まさかナイマンの音楽で攻めてくるとは。15世紀のメッシーナによる名画『書斎の聖ヒエロニムス』を彷彿させる“断面絵画的”な画作り。ヴィクトリアン様式の住宅空間を丁寧に時間と空間によって細かく積分し連続して映し出す。窓からの光が総てを貫通する様は、サンフランシスコの黒人の歴史をその尊厳と誇りが貫いている姿勢そのもの。その土地固有の時間と空間から紡ぎだされた物語と映像は、タイム&サイトスペシフィックな手法で現代的。
クアラルンプール空港ロビーで起きた北朝鮮最高指導者の兄金正男の暗殺。日本では容疑者二人の逮捕が大々的に報道されて以来あまり話題に上らなかった。誰もが主役で情報発信源になれるSNS時代。「国家」という最も大文字の存在と「一般国民」という最も小さな存在が、同じ空間で異次元に共存する瞬間があったとしたら。世界中で報道されたニュースや映像は、何を語り何が語られないのか。ネットが世界中を覆うのと相似形にコロナ情報に覆われている現在、情報の本質とは?
才能に恵まれた主人公が理解ある人々に囲まれ成功するだけの出来の悪い朝ドラみたいな凡作。テレビドラマ並みに“善き人”だらけな話をわざわざ劇場まで出向いて見たいか? 加えて初期リヒターの有名作の下手糞な模造ほか画面に映る美術作品がコントの書き割り級に安っぽく監督の美術センス欠如が露呈。たとえ小道具でも観客をハッとさせないと現代美術をテーマにする意味がない。不評を危惧したか、やたら裸と性交を見せるサービスで3時間超。★2でもいいが無駄な長尺を減点。
子供に対する虐待の残酷や恐怖を芸術性で希釈しようとの目的だろう、痛ましい展開の多い中盤までは詩的な静止画風カットをやたらインサート、上映約3時間はだいぶ間延びを感じる。全篇モノクロ仕様も物語を少年の記憶として幻想的に見せる方向には効果的だが、本作の重いテーマはカラーで窮状と苦痛を生に再現するほうがまっすぐ意図が伝わるはず。苛烈な歴史の再現で話題をとりつつ観客をあまり不快にさせたくない監督の姑息な計算が透ける。映画祭での評価が主目的なのだろう。
文科系アメリカ黒人の感性を散文詩的に並べ、きわめてミニシアター的な空気を作り出す個人史映画。80年代のスパイク・リー登場に似た新しいサムシングを感じた。ギャグなのか比喩なのかローカルな符丁なのか解釈に困るシーンが多くあり、なんじゃこれ感覚に浸っているうち格差・分断の克服を問う主張と諦念が静かに染み込んでくる。客席で共有する微妙感や終映後の感想会話へのときめき。こうした映画でミニシアターの経営が健全に成立すれば日本は文化的な国なのだろうけど……。
金正男暗殺事件は日本ではすでに充分詳しく報道されていて、この映画に驚くような新事実の発見はないが、事件の全体像を簡素にまとめ、復習として104分飽きずに見られる。また日本では報道されない元被告女性の釈放後の姿があるのは新鮮だ。金正男の政治的利用価値についてもっと踏み込んでいれば私好みだった。全篇に不安や感涙を煽る情緒的BGMをかぶせすぎなのはテレビ的で嫌い。映像ソースの多くが監視カメラ画像という点から現代社会の大衆監視システムの恐さに気づく。
前半と中盤以降で異なる映画を観ているような不思議さ。ナチスのユダヤ人や同性愛者への迫害を描いた映画はあるが、精神疾患者への断種を取り上げた映画は珍しい気がする。主人公クルトが美術学校に入ってからは恋愛を中心に、画家としての道を模索したりアート談義をしたりといったシークエンスが多く、イマイチそれが面白くない。確かに数奇な設定はあるものの、クルトの美術作品はどこに向かっているのか測りかねるし、クライマックスで彼が編み出した手法も感銘を受けず。
世に溢れる文学からどれを映像化するかの選択で、この映画はあらかた存在理由が決まっている。人間はヒトラーに加担しナチスを巨大化させた程だから、愚昧さや悪意を元々はらんでいて性悪説で語れる側面を持つ。だが善意も持ち合わせている複雑さが真実なので、本作のように悪だけをつらねて描くのは寓話性が強くなる。子どもが辛酸をなめるため「だれのものでもないチェレ」を思い出したが、チェレがリアリズムであるのに対し、本作はグロの抽出が露悪的で鼻につく。
監督や主役俳優は初々しいはずなのにとてもこなれていて、独特なタッチはまるで70年代前後のシュールな演劇的映画を観ているようだ。黒人の老若男女の日常と孤独と家へのこだわりといった一連の絡まりが、ハル・アシュビーの「真夜中の青春」を思い出させる。ストーリーの軸は2時間を引っ張るにはいささか浅く拍子抜けもするが、撮影や編集、音楽のそれぞれが水準以上で魅力的。特にオープニングは二人の青年がスケボーで街を走っているだけゆえに編集の鮮烈さが際立つ。
金正男の死は、珍しく暗殺の瞬間の映像が残った毒殺事件であり、異母兄弟の骨肉の争いが、世界中へ報道されるに決まっているのに堂々と行われたのが衝撃だった。実行犯である若い女性二人の逮捕後の展開は知らなかったので、ゲスな表現だがまずは好奇心が満たされた。コンパクトに無駄なくまとめられており退屈しない出来だ。一風変わった裁判劇としても面白い。海外で拘留されていた人自身に責任を問うSNSの風潮など、日本と変わらない光景に改めて性悪説を感じる。