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脚本も手掛けた監督が間髪入れず、異なる国でセリフまで全く同じの映画を二本撮ったなんて前代未聞。これは単体で鑑賞するのではなく、やはり両翼、鏡像として見るべきだろう。全く同じ様な出来事や体験が別の世界でも起きているかもしれないという事実。これは可能性のある現象である。昔、ロンドンのクラブをハシゴした際に、日本のドラァグクイーンたちとほぼ同じ立場のクイーンたちがいて驚いた。その中にはロンドンの「ヴィヴィアン佐藤」もいたのである! 世界はパラレルだ。
数々の名曲。天才たちが奇跡的に集結しただけではなく、その陰には品質管理会議という、ライバル同士が相手のために互いに意見を出し合う民主的な場が設けられ、ダンスやエチケット、仕草などの徹底的な教育も行われていた。ベリー・ゴーディ創始者のビジネルモデルはフォード譲り。音楽だけではなく誇りや威厳、自信や自尊心の育成という哲学があった。これは現代の経営者や起業家にこそ響く内容ではないか。社会との関係を客観的に自己分析する能力。単なる音楽映画ではない。
ウェブコミックの存在を意識しつつ、実写で魅せるというイメージはDCコミックの影響か。昨今、日本で公開される韓国映画は脚本・演技・監督・編集などどれを取っても完成度が高いが、こちらは珍しくレベルが低い。実際の極秘エージェントの体験を本人がコミックで描き、劇中アニメーションとしても動き出す。媒体の変化や次元の関係性など、この映画の哲学的肝であるところが脚本で練られていない。クォン・サンウのコミカルな三枚目演技を見たいファンには充分過ぎる作品か。
前作「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」で一区切りついた感の、アンファンテリブルと言われたドラン8番目の作品。デビューから特殊でスペシャルな人物を描き続けてきたが、今回は市井の人間を照射することに与してみた。しかしあくまでもマージナルな存在。センス溢れるスタイリッシュな映像は影を潜め、等身大の生身の人間をリアルに丁寧に描いてみせた。これから映画監督的には正念場突入か。そろそろ苦悩の中のドラン版「8 ½」が見られる日も近いのかもしれない。
「ラストレター」と同じ脚本の中国版なので、日本版を見ていないか、比較に意味を感じるなら見る選択はあり。中国版は映像の陰影が深く日本版と味わいが違う。また俳優が抑えた演技をしていて、アイドル俳優がテレビドラマ調の演技をする日本映画が苦手な人にも向く。善良な美男美女のナイーヴ純愛劇を私のような縁のないハゲ中年がディスると全て嫉みと思われそうだが、男性主人公の一女性への長年の執着には違和感を禁じ得えない。私が映画と同じ挙動をしても許されるだろうか?
モータウンのタコ社長ゴーディJr.と副社長スモーキーがシルバー漫談風に語る実録ドリームガールズ。麗しのオールディーズを聴きつつ60年代黒人音楽史を学ぶカルチャー番組ノリを期待すると専門性に困惑する中級者向け講義だ。デビュー時のS・ワンダーほか貴重映像多々だが、証言者の多弁を字幕が翻訳しきれておらず、都度、資料に照会したくなるので劇場よりDVDで観たい。モータウン興亡史の「興」ばかりで「亡」がない不足も。予告篇にないニール・ヤングの証言が衝撃!
世界の定番“パパは昔エージェント”ものの韓国版。妻や娘との関係修復まで約束どおり。新味は父の現職が不人気マンガ家という設定だが、彼の作品がどうダメか、なぜブレイクしたか説明が雑だし、作品世界を伝えるアニメの質と実写への混ぜ方が半端で効果が弱い。また主要登場人物がほぼ清潔なイケメンばかり、どこかにベタな出オチ系汚れキャラを使うほうが喜劇の爆発力になったと私は思う。主人公のアクション含め全体に中庸感が満ちるも、あえてそういう狙いの映画なのだろう。
つまらない原因は題材が男の同性愛だからでは断じてなく、物語の最終地点が恋愛感情の告白というちっぽけな行為だからだ。二人は相思相愛の気配だし、関係を阻害する物理的障壁もないから、さっさと告って重なっちゃえばハッピーエンドだ。それをしないもどかしさの間を埋める演出が若者のやかましい飲み会や映像・音楽の小洒落たセンスの披露で、そこに乗れるか否かが評価を分つ。趣味性に左右される要素が強い映画。私はこの監督のセンスや価値観には共感できなかった。
軽やかな演出や映像でありながら、端々に重く暗い影がチラチラよぎるという、極端なバランスで均衡を保つ作品。モラハラや一生引きずる失恋、大事なものとして扱われる古い手紙が呪縛のように登場し、そういう岩井俊二らしい偏執的なモチーフがくすぶりつつも、やはり透明感には魅了されてしまう。相変わらず少女がフィーチャーされるが、男性二人の話し合いや少年の喪失感を描いたシークエンスが絶対的に面白いので、少女以外の手段を使い男性の世界を撮ってほしいと思う。
レコードレーベル、モータウンの社史を映像で観る映画。創立60周年記念作品ということで、ほぼ創業者ベリー・ゴーディの語りで構成されている。まだ元気な伝説的ミュージシャンの姿を見られるのはありがたいが、協力者の暗部は当然描かれない。モータウンの健全さをアピールし、所属アーティストの私生活はあまり言及しない当たり障りのない作品に仕上がっている。第三者の批評性も、ドキュメンタリーとしての個性も必要としていない。映画というよりテレビ番組のよう。
韓国映画のコメディは時々スベリ散らかしてるのがあって、本作も最初はヤバそうだと危惧したものの、途中で慣れてきたのか面白く観られた。主人公が家庭を持っている年齢設定や、気が強くアルコール依存気味な妻と不愛想な娘のキャラクターもアンサンブルとして良い。主人公の描く漫画のタッチが、1作目から2作目でアメコミ風に変貌していき、ベタな笑いの直前で映画の風向きを変える。アクションが充実しており、後半が擬似兄弟のような男性3人で展開するのも微笑ましい。
いわばドラン版「君の名前で僕を呼んで」なのだが、何気ない休暇の描写とともに恋愛が展開する「君の名前で〜」に対し、ドランの新作は恋がなかなか実らない中で日常を描く。じつは、後者は圧倒的にアプローチが損だと思う。何も起こらない日常を演出して座持ちさせるには、並々ならぬ感情の濃密さが必要となる。そのため頻繁に、母子や友人との罵り合いという表現に頼ってしまっている。抑圧した恋心のストレス暴発を、藪から棒に人に絡むという設定にするのも簡単すぎる。