パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
子どもにも容赦のない陰惨な表現や、子を想う母親の愛情を強調するのは一部の韓国映画の傾向だが、本作もあざとく感じられるほど特徴に沿ったものになっている。くわえて田舎の人々の閉鎖性や暴力など、悪意すら感じる激しい表現で観客に義憤をもたらそうとする箇所は、極端すぎて安易に思える。とはいえ、そのような醜い人間たちの姿と、優れた撮影による雄大な自然の姿を映像として対比することで、一種のダイナミズムを生み出し、普遍的な感覚にまで到達したところは見事。
イランと日本の共同制作映画ということで、イラン人の母と娘の関係に日本が絡んでくる珍しい設定。母の過去を解き明かしていく部分が一種のミステリーとなっているが、その真相は驚くほど肩透かし。また、ところどころで両国の保守性や女性の生きにくさを伝えるような描写が顔を出すものの、消極的な表現にとどまる。日本の外国人技能実習制度の闇に触れることもなく、オリエンタルな情緒を醸し出しながら登場する日本文化が、親子の情を象徴する鯉のぼりだというのも陳腐だ。
伝記的な作品は星取りレビューでもよく扱っているが、本作は一つの到達点として多くの作り手に見習ってもらいたい。主人公の多面的魅力、実感こもる経済格差の表現、そして人間の存在に迫る奥行き。その充実した内容は、原作者ジャック・ロンドンによる、人生を一つの論としてまとめあげる剛腕があってこそ。映画で人生を見せるには、このような役割を担う者の存在が必要だと思い知らされる一作。主演俳優の燃えるような演技と、70年代を思わせるヴィンテージ風の映像が美しい。
在りし日のイサドラ・ダンカンに思いを馳せる4人の女性の姿を、3つのパートでドキュメンタリー風に追っていくという構成。そのかなりの部分が、思索に耽ったり資料に触れている地味な描写ばかりだ。しかしそこには、ものごとを真摯に考え抜くこと自体に神聖さが宿るという、作り手の熱い信念が通底している。逍遥しながら情報を咀嚼していく豊かな時間は、表現にとって必要不可欠で、それがなければ形骸的な事務作業に堕してしまうということをうったえているように感じられる。
夫婦が失踪した息子を探すスリラー、と思って見ていたが、ほどなく様子が変わる。親心につけ込む悪意の悪戯情報に振り回された夫は交通事故死。その保険金が目当ての親戚。悪徳警官。怪しげな家族と野卑な村人たち。児童に対する肉体的・性的な虐待等々。登場人物は人非人揃い。ここまで子どもを無慈悲にいたぶる必然性は説明されないまま。なので最後、せっかくのどんでん返し(ネタバレなので伏せる)も、すっきりしない。カタルシスもなく、評価の気力が消沈。すみません……。
娘が知りたい母の秘密。母につき通している娘の嘘。秘密と嘘のふたつを物語の動力にしたドラマは、かなり思わせぶりなエピソードで展開する。母と日本との関係は? 母がホテルでこっそり会っている日本人との関係は? もしかして彼が娘の父親? けれど明かされた秘密は、母性から取った母のある行動。その当たり前な母の行動に胸をなでおろすも、前半の思わせぶりからすれば、いい話なのにストーリーに食い足りなさも。街並み、室内を問わず、陰影を繊細に映す映像が美しい。
うまい! 誉めどころはいくつもある。貧しい漁師が、ブルジョワ階級の娘に恋をするロマンチックな出だしでは、ボードレールを知らない無教養さや食事の仕方や服装などのエピソードで、米国とは違うイタリアの階級社会をきちんと押さえている。さらにナポリの街並みや住人たちの生命力に溢れた暮らしぶりなどを捉えた画面には、伝統のネオレアリズモの雰囲気も。主演L・マリネッリの熱演に加え、彼を支えるマリア役のカルメン・ポメッラが◎。堂々たるイタリア映画に仕上がった。
チュニックを着て裸足で踊るダンスの祖、イサドラ・ダンカンが遺した創作ダンス『母』をモチーフにしたこの作品は、祈りに似ている。イサドラの自伝から、『母』の創作のきっかけを紐解き、4人の女性がそれぞれに痛みを表現する様は、世界に散らばっている痛みを吸い寄せて胸に抱き、苦しみを緩和するために静かに祈る母の姿。感情を肉体表現に乗せる努力を捉えたドキュメンタリー風であり、内部に含み持つ感情を呼び覚ます母親たちの物語とも見え、アイディアと周到な構成○。
失踪した我が子を探す母の執念を描いた喪失と再生の物語のつもりで観ていたのだが、映画は進むにつれ次第にリアリティを失ってゆき、釣り場の連中に人間の体温が与えられていないと気付くに至り、こいつはまさかの田舎ホラーか? と鑑賞の軸足を改めたものの、そのジャンルとしてもどうにも中途半端で、終盤は「人魚伝説」的なリベンジスプラッタに展開していくと思いきや、そっちにも転ばずで、結局何がやりたかったのかよく分からないまま胸糞悪い児童虐待描写だけが心に残った。
中盤まではサスペンス風味で煽ってくるも結局は母子モノに収束してゆくドラマはもったいぶったわりには薄味で物足りなく感じるうえ、妙に硬い画で人物を真正面から捉えたカットバックや、回想の日本ロケパートに必要以上に和風な劇伴をあてる演出などは一般的な審美眼で観るとやや野暮ったい印象を受けてしまうのだが、この愚直とも実直ともいえる質感は本作ならではの美点でもあるし、「パターソン」でも思ったが異国の地に溶け込む永瀬正敏というのは何とも言えない味わいがある。
マーティン・エデンさんの生涯を描いた伝記映画と思いきや、さにあらず、エデンはあくまで架空の人物で、ジャック・ロンドンの自伝的小説をもとにピエトロ・マルチェッロ監督が舞台をアメリカからイタリアに置き換え大胆アレンジしたという、自分のような無教養人間には何のこっちゃな感じではあるのだが、まあ、この映画で描かれているのは教養を得ても幸せは得られないということであろうし、破滅型のエデンが妙に愛おしく、何より16㎜フィルムのテクスチャが素晴らしすぎる。
イサドラ・ダンカンのダンスを継承しようとする者、あるいはその魂に触れ救われる者たちを多角的視点から覗き、通常の作劇ならクライマックスに置かれるであろうダンスシーンをフレームから外すにとどまらず、レッスンシーンですら決定的な具体を描かない手法によって、舞踏、ひいては芸術が持つ形而上的な何かが人から人へ伝播し、各々の精神に浄化作用をもたらしてゆくさまをこの上なくシンプルかつ美しく表現している、映画に娯楽を求める輩など切り捨て御免の気高きアート映画。