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いくら破壊しても忘れた頃に再生してくるウルトロンというAIの怪物は、マーベル・コミックでも最も凶悪な存在で、私はいつもはらはらしながら彼の登場を楽しんできたが、この映画の彼はコミックよりはるかに進化した現実味のある恐るべきキャラクターとなっている。またハルクは前作よりさらにパワフルであまりの強さが笑わせるし、彼にからむスカーレット・ジョハンソンがいい雰囲気を出している。さらに私が好きな哲学者めいたアンドロイド・ヴィジョンの登場が嬉しい快作。
これは〈沈黙〉をめぐる映画である。まず、最も苦しみ多き人であろう主人公のセリフは極力抑えられているし、映像も色彩を削ってしぶい。沈黙をはらむ風景(現実か追憶か幻想か)が次つぎと提示される。根をまるでタコの足のようにひろげている巨木の前で、ふたりの男の運命的なわかれ道が描写され、それがすべて革命による権力者の位置の逆転の出発点だったと見ているうちに私は気がつく。語らない主人公の顔の大写しと彼のこころのなかのような脱色した映像は圧倒的だ。
おなじみアメリカの湖でひと夏をすごそうとやってきた自分勝手な若い男女の一群が、ゾンビ化したビーバーたちに襲われるというおはなしを、あれこれ手をつくして見せてくれる低予算映画。かつてディズニー・アニメ「わんわん物語」に出てきた気のいいビーバーとは大違いだが、なかなか良くできていて笑わせる。この映画のなかにもその意味に触れたセリフが一回出てくるが、beaverとは女性器を示すスラングでもある。あなたはビーバーの味方か? 77分と短くていい。
「二度と道化になるんじゃないぞ」と言われて男が出所する最初の場面で「では男はまた道化になるんだな」と、観客にはすぐわかる。こうした映画の定石通りの作りかたは、むしろ心地よい。もちろん途中には意外性とユーモアがたっぷりで、特に最後の裁判場面での弁護士と検事のやりとりには笑った。来日した監督によると「実際の裁判記録も読んだが、こんな調子だった」と言うのだから、おかしさはさらに増す。事実に基づくのどかな傑作。おとなたちより賢い少女の登場も定石だろう。
各ヒーローがチームワークを学んで結束していく前作の陽気なノリと比べると、大人っぽいムードで幕開け。主要陣はアメコミ・キャラで登場しているのだが、むしろ普通のドラマに出演時の俳優の魅力が前面に押し出されている感じ(いっそ、このままドラマやってほしいと思うほど)。後半のアクション・シーンは怒濤の勢いでさすがにすごいのだけど、長い。2時間に収めてほしかった。人工知能の悪役を素敵な俳優たちが演じていて、姿がわからないのは勿体ないような、贅沢なような。
イスラム革命で運命を狂わされた男女の数奇な人生を、映画のためにイランを亡命したバフマン・ゴバディが手掛ける渾身作。政治的なテーマが語られる一方で、かなりラヴストーリーの色合いが強い。しかも濃厚。30年の歳月が肝となる物語を、配役も無理なく、ダイナミックに描いている。それにしてもモニカ・ベルッチ。美しい人は熟すとますます美しいのか。老けメイクでも味がある。映像を観ていて目に焼きつくのが、深く神秘的な黒とブルー。その内にひそむ生の情熱にしびれた。
ゾンビ化して凶暴になったビーバーたちが、湖畔にやって来た若者たちに襲いかかる。セリフに携帯やインターネットの話題が見られ舞台は現代のはずなのに、匂いはアナログ感たっぷりの70年代。チープさを逆手に取りながら、70年代ホラー映画にオマージュを捧げつつ、お約束通りにきちんと展開する作りで普通に面白い。役者たちも、おバカとエロと絶叫をしかと担っていてナイス。最後には×××だし。77分のちょうどいい尺。レイトショーで観れば、笑いと恐怖で疲れも吹っ飛ぶかも。
チャップリンが亡くなった1977年が舞台の物語。小悪党ふたりの犯行の手口も背景も当時だからこそのもので、しかも音楽はミシェル・ルグラン。多分にノスタルジックな空気が漂っている。コメディー色は意外と薄く、しっかりと見せる墓堀りシーンなどにはノワールな匂いが。人間ドラマとして丁寧に描きながら、チャップリンの芸の功績を見つめ直す。大衆と共にある映画の在り方を、掘り下げ、掘り起こし、問いかけているのはなかなか新鮮だった。主演の男優ふたりが芸達者で楽しい。
開巻からもう飛ばしまくりのキメまくり、協力しまくり。諸君、ひと通りの説明に時間を要した前作は長い予告篇だったのかもしれないぞ。ドヤ顔ならぬドヤショットの連続はもはや歌舞伎の外連味。都市破壊描写も抜群にすばらしいのだが、コラテラル・ダメージ(民間人被害)にこれほど気を遣うSFもめずらしい(政治的正しさの担保)。そして気を遣いつつ思う存分破壊する二枚舌に「アメリカ」がでんと横たわっている。スカジョハがいっそうの活躍を見せてくれるのは極私的加点材料。
「日本よ、これが映画だ」が「アベンジャーズ」第一作の惹句なら、「これは映画ではない」と題さざるをえなかったのはジャファル・パナヒである。イラン国内に幽閉されたパナヒに対し、ゴバディは国外へと放逐された。亡命先のトルコで完成されたこのフィルムは、いわばゴバディにとっての「ノスタルジア」(タルコフスキー)である。この映画のすべてが郷里への想いに衝かれて泣き出しそうにふるえている。ふれることのできないものへ向けて、そして詩はつむがれ、肌に刻まれている。
別荘、水着、乱痴気騒ぎ、電話線遮断、などパニックホラーのチェックマークを着実にクリアし、来たるべきモンスターの出現を待つのだが、ゾンビとビーバーを組み合わされても「そうですか」という感想しかない。もうゾンビと掛け合わせられるものがなくなってきたのだろうか。それだったら人間がゾンビだったらいちばん怖いんじゃないかと頭をよぎったが、よく考えたらそれはただのゾンビだった(ロメロは偉大だ)。最後のショットはたいへん気に入ったが、NG集はたぶん要らない。
音楽にルグラン、撮影にシャンプティエというごほうびのような作品ではあるけれど、喜劇としても喜劇王へのオマージュとしても二流以下のできばえ。チャップリンを貧しき移民としてとらえ、墓泥棒をかすがいにして現代のフランス移民の問題までを射程におさめようとする意志は感じられるが、あまりに不徹底でいっそう問題を見えなくしている。ルグランの音楽ともまったく釣り合いがとれていない。チャーリーの墓をあばいているのは、じつにこの映画自身なのではないのか。