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こういう日常を切り取る映画は大好きで歌も上々なので壊滅的な★ではないが、設定はつめの甘さを露呈する。ガンの親父さんが大変な決意のもとに長男を呼び戻したのは分かるのだが、その病気の容態すら結構あいまいで、これじゃ息子もどうすりゃいいのよ。親父の手仕事の特殊技能を息子がさらっと習得しちゃうのも理由が分からない。もとから出来る人だったのかな。昔の彼女との関係というか互いの位置取りもヘン。キャストが良いし、地方色も楽しいだけにもう一息、と苦言を呈する。
何と図式的な、と誰もが冒頭で思う。細田は「千と千尋」をやりたいのかな、と。しかしやがて違いが見えてくる。この世とバケモノ世界とのリンクや乖離という描写がスリリングで、若者の成長譚も基底に確かにある。あるのだが細田の描く世界には元々「きちんと育ってもヒトは孤独」という感覚が流れており、天真爛漫なバケモノ世界にまぎれこんだ人間の二つのありようがドラマを引き起こす。これを見たらつくづくヒトこそがバケモノだと誰もが思い知るだろう。渋谷ロケもスリリング。
「群青色」同様地方色映画だが、この好キャストでこの出来じゃ問題だ。故郷に戻ってかき氷屋さん、という「昨今ありがちな女子」風の菊池さんに観客は態度保留するしかないが、ちゃんと「元彼」ユウキチくんはシラけておる。正しい。でもって、その先がない。頭が悪い設定は原作、脚本、演出、誰の責任か分からない。みんな私の好きな人なのに。さらにケロイドを負った三根の設定もよくない。彼女に軽口をたたく若者を見て、こいつら殺す、と私は頭に血が上ったが三根は立派だったな。
一言だけネタバレ。タイトルの意味は日本では「風の馬」として知られるもの。焼身自殺のネット情報というハードなメインテーマだが、随所に見られる抒情の一端がこの習俗描写に現れる。主人公の建築家兼活動家兼ヨガの行者(みたいな人)のキャラも可笑しい。行者の修行の件はすごすごと撤退したそうで本人も痛し痒しの態。いや笑っちゃいかん真面目な題材なんだが、監督のタッチというか語り口にユーモアがあって息苦しくない。それにしても人民に自殺を強いる体制って一体何なのか。
設定もキャラクターも全てお馴染みで、格別なドラマがあるわけでもないが、全体にキチンと作られているのでサラッと観ていられる。10年ぶりに帰ってきた故郷に、どこか居心地が悪そうな主人公の何げない描写など、佐々部監督らしい演出が随所にあり……。実家が小さな町工場で、毎朝、働いている人たちが社歌を歌うくだりなど、妙にリアリティがある。難を言えば主人公役の桐山漣が若く見えすぎること。1985年生まれだそうだが、どう見ても20歳そこそこ。歌もそこそこだ。
タイトルにトリックあり!? この作品では人間の方が〝バケモノ〟的なのだ。実際、渋谷の超空間で暮らす動物顔の〝バケモノ〟たちは、人間特有の邪念などとは無縁の生きもので、問題を起こすのはバケモノのもとで育った人間の子ども。後半、その黒い邪念が人間界を襲う場面は、細田作品にしてはかつてなく破壊的、暴力的で、このくだり、かなり強引な気もしないではない。とはいえ、それぞれに個性的なバケモノたちや、限りなくリアルに描き込まれた渋谷の街並みはもう最高で、拍手、拍手。
海水浴客も観光客もほとんどいない寂れきった海辺の町で、自分好みの〝カキ氷屋〟を開くとは、まるでオママゴト。そんなヒロインの日常を、フォトストーリーよろしく、小ぎれいにスケッチしていくという、実に人畜無害な作品で、どうぞ勝手に。リアル味ふうに、ヤケド顔の娘のエピソードや、夜逃げする元カレ一家の話もチラッと描かれるが、ヒロインがガツンと向き合うわけではなく、全て曖昧にやり過ごすだけ。演じる菊池亜希子にクセがないからボーッと観ていられるが、それっきり。
チベットのダイレクトな実情ではなく、チベットの人々に肩入れをする中原氏経由のチベット・ドキュメンタリーというところがいまいち引っかかる。中原氏が政治的な弾圧や差別を受けているチベットの人たちを献身的に支えようとしているのは伝わってくるが、チベット人の究極の抗議である焼身自殺がらみの中原氏の言動は、いささか勇み足というか、ちょっと痛いものがあり、そんな中原氏に池谷監督、あなた任せふうにカメラを向けるだけ。監督自身が咀嚼したチベットを見たい。
日本映画の一大ジャンル〈地域おこし映画〉だが、監督と撮影が熟練なので見られるものにはなっている。父の病気で長男が久々に実家に帰ってくると、いい年をして交通費と称した小遣いを貰い、ちょっとしたことでやたらと両親が褒めそやすという、ぬるま湯の如き家庭を覗き見せられるのには閉口。こんな男が後で懸命に父の看病したと偉そうに言うんだろうなと思ってしまう。各挿話が単発的で有機的なつながりを生まず、主人公にとっての音楽も場面のムードを形成する程度の彩り。
細田守、そして父になる。という私生活の影響か映画に骨太な父性が漂う傑作に。異世界へ迷いこんだ主人公が擬似家族の中で成長することで現実の家族関係に変化が生まれる。「時かけ」でタイムスリップしまくることで躍動を生み出したように、ある時を境に2つの世界が往来自由になることで映画のタガが心地良く外され、鏡面として世界が作用しあいながら主人公の生きる道を見つけ出す作劇に感動。効果的な食事シーンの多用、修行で古典的なギャグを巧みに用いているのも嬉しい。
『菊池亜希子ムック マッシュ』的世界というか、古本屋(「森崎書店の日々」)の次はかき氷屋ですかと思っていると、6割方は凡百のスローライフ映画と大差ないが、残りに毒がある。過度に田舎暮らしを賞賛する菊池に幼なじみはそれが美化されたものだと詰る。それで目覚めて無個性なありきたりの店になってしまうわけではなく、程よく大衆的になるぐらいなのが良い。この手の映画のパターン通り収支の話は出てこない。挑戦的なメニューのかき氷屋(600円也)だなあと思うのみ。
できるだけ多くを道連れにする派手な〈自爆攻撃〉と違って世界平和を願って行う〈焼身抗議〉は自己完結的というこちらの思い込みを解きほぐすように個々の死に尊厳を持って向けられる眼差しがいい。中原一博というチベット在住で焼身の模様をレポするサムライを通して描かれるので、日本にいる我々の視点からも事態を俯瞰しやすくなる。見知らぬ大勢の死者にすぎなかったが、エンドロールの最初に〈焼身者の氏名〉が出演者のようにズラリと流れるのを目にして重みを実感する。