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日本でも大人気の『梨泰院クラス』でお馴染み、あと、あの「パラサイト」にもチラッと顔を出していたパク・ソジュンの主演アクション作。格闘技の世界チャンピオンがヴァチカンの神父と悪魔祓いに奔走するというかなり荒唐無稽なプロットだが、興味深いのは10〜20代がメインターゲットのこのような作品においても、韓国社会に根付いているキリスト教の価値観が前提にあること。しかし、ご都合主義で奥行きのない設定と展開には、監督自身によるオリジナル脚本の弱さが露呈している。
ジャンルへの自己言及を好むのはホラーの作り手の万国共通の傾向だが、「エクソシスト」から「ブレア・ウイッチ・プロジェクト」まで多くのホラー映画のタイトルが飛び交う本作もそんな系譜にある一作。もっとも、直接的なレファレンスとして頻出するのはJホラー、特に中田秀夫の「女優霊」や「リング」だったりするのだが。筋立てと序盤はいいのに、肝心の恐怖描写にオリジナリティがなく、展開も尻すぼみになっていくのは近年の韓国ホラーに多くみられる課題だ。
劇中から無自覚な「政治的誤り」が漏れ出ている作品は批判を免れない昨今だが、本作ほど腰が据わった反動性に対しては、観る側が居住まいを正す必要があるだろう。ユーモアや共感性を排除して、敢えて人種的ステレオタイプを踏み抜き、ノワールやピカレスクロマンの美学に溺れることなく、ひたすらリアリズムに奉仕する長回し主体の159分。S・クレイグ・ザラーが反抗しているのは時流に対してだけではなく、現代アメリカ映画の「スピード」そのものであることがわかる。
劇団イヌカレーの作風にも少し似た、背景の細部まで創意とギミックに溢れたアバンギャルドなアニメーションに加えて、終始饒舌にモノローグを続ける主人公の犬マロナ。かかっている手間や時間も、そして作品のナラティブそのもののも、どう考えても短篇のテンションなのに、それが90分以上も続くことにまず面食らう。犬と一緒に暮らしてきた立場からすると、犬の過度な擬人化については要所要所で疑義を挟みたくもなるのだが、それを言うのは野暮というものだろう。
神の死者と闇の司教の対決を盛り上げる、美術や特殊メイク、CGなどの技巧より、むき出しのアン・ソンギの存在感が光る。アン・ソンギ扮するアン神父と出会い、父の死後、神への憎しみを、強さの糧に生きてきた主人公ヨンフ(パク・ソジュン)の変化を、シンプルに描いたシーンが印象的だ。目の前を去りゆくアン神父と最後に見た父の後ろ姿が重なり、ヨンフは自然と神父の相棒となる。理屈は要らないのだ。アン・ソンギの魅力がパク・ソジュン、ウ・ドファンら若い俳優を輝かせる。
ホラー映画のヒロインとして、百点満点のソ・イェジの佇まい(声のトーンも低くて素敵)に魅せられて、ストーリーにぐいぐい引き込まれていく。ヒロインに「生きてること自体がホラー映画になるぞ」と迫る、伝説の映画監督を、チン・ソンギュが鬼気迫る怪演で体現する。劇中に登場する、廃墟と化した映画館が、実際に心霊スポットとして知られる場所と知れば、恐怖度も増すというもの。警告を象徴する赤いランプが印象的に使われるが、ホラー映画なのに、照明と音設計が雑なのが残念。
チラシに書かれた「肉フックに吊られたような緊張感」という言葉に引っかかりながら観始めたが、警察組織の正義に絶望した、万年ヒラ刑事・ブレット(メル・ギブソン)の拳銃を手放せない弱さも、漁夫の利を得たヘンリー(トリー・キトルズ)のラストシーンも、二人を繋ぐライオンの暗喩も、どこかで見たことのある描写だ。目的のためなら内臓をえぐり出すのも厭わぬ犯罪者のやり口をはじめ単純に暴力的なシーンが多い中、ブレットの相棒(ヴィンス・ヴォーン)の最期が恰好いい。
マロナ誕生の瞬間から、アニメーションならではの表現にワクワクする。曲芸師マノーレのしなやかな曲線の動きも、イシュトヴァンの年老いた母がパンケーキを焼く、軽快なシーンも、ソランジュ少女と出会った時の、あかるい黄色い世界も、表現の豊かさに魅了された。しかしマロナ(およびマロナを取り巻く人々)の人生は淋しい。振り返って、昔が楽しかったから(今が)淋しいのではないと気づくと、マロナが可愛いよりも可哀想で(敬礼するマロナに涙)、呑気な猫が羨ましく見える。
子供の頃、神への信仰を失った男が、何かに導かれ悪魔祓いの能力を授かるも、神は信用できない、とうだうだして、それが最後の最後まで続く。神の存在と真に対峙するにはそれくらい時間がかかる、ということだと思うが、あまりにも長い。続篇を匂わせる終わり方だったが、そもそも“ビギニング映画”は説明が先行して、それが物語を縛ってしまいがちだ。ライミ版「スパイダーマン」、「ダークナイト」や「キャプテン・アメリカ」も2作目が傑作だった。ということで続篇に期待。
「映画制作についての映画」というお馴染みのメタフィクションだが、これがホラー独特の後味の悪さとはまた違う、実に嫌な作品だった。本作は、ジャンル問わず、映画を作ること、公開することで制作者が対峙する葛藤、そして“恐怖”を再現している。某映画公開10年後に巻き起こった「面白ければ何をやっても良いのか」という議論も思い出したが(本作の劇中映画も10年前の作品という設定だ…)「映画」の罪深い側面を「映画」で突きつける多重のメタ構造が見事。
やたら確率を気にするメル・ギブソン、何かあると「アンチョビ」と呟くヴィンス・ヴォーンの停職中の刑事コンビ。世渡りがうまい上司はドン・ジョンソンで、昔はメルの相棒だったという設定が泣ける。登場人物それぞれの日常の断片、繰り返される意味のない会話、脇役ですらないキャラの背景、それら「素材」を荒々しく繋ぎ、劇伴も全くない。その構造はまるで無骨なドキュメンタリー映画のようでグッとくる。最後まで妙なズレ方をしていて、その脱カタルシスが心地良い。
一匹の犬が自分の人生(犬生?)の終わりにそれまでの物語を巻き戻し、自ら語って振り返るのだが、この声を担当するリジー・ブロシュレのハスキーヴォイスが良い。動物を飼ったことが一度でもある人間には沁みまくる言葉の数々。2Dと3Dを融合した前衛絵画的アニメーションの世界観、色彩感覚が素晴らしく、監督のめくるめくイマジネーションを忠実に具現化していて、その没入感が気持ち良い。しかし常に不穏な空気が漂っているのは、死と生の境界線を描いているからだろう。