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変わった戦争映画だ。仏領インドシナで、兄夫婦を惨殺され独り生き残ったウリエル扮するロベール。ヴォー・ビン・イェンへの復讐とヴェトナム人の美しい娼婦マイとの逢瀬。しかしその両輪は次第に盲目的な復讐へと傾斜。国家間の争いが戦争であるが、個人的な動機や本能しか原動力として機能しなくなる。そして最終的には復讐する相手の顔すら輪郭がぼやけていく。目的を忘却した個人はもはや彷徨い続ける哀しい亡霊のように永遠に迷宮に残留する。まるで日本の能を見ている様だ。
画面の外、いわば部屋の外は完全に戦争状態。密室劇でもあるし舞台劇でもある。外的作用が内的影響を及ぼしていく過程。戦争による直接の砲弾や射撃はさることながら、苛酷な状況下において個人により判断や行動が異なり、共同体で分裂や分断が起きてしまう。これは現代のコロナ禍でも同じ状況で、人によって捉え方の温度差に激しく分裂が生ずる。戦争経験とはあらゆる人間に降りかかるが、決して同じ様相には映らない。武器での死傷より共同体の分断は人の心を深く傷つける。
政府職員キャサリンの「政府は変わる。私は政府ではなく国民に仕えている」という言葉。今の日本の政府と政府役人のことを想うとあまりにも胸に突き刺さる。組織に従うだけではアイヒマンと同じではないか。国と世界の平和を想う彼女の姿勢。イラク戦争を起こした米英の状況下、実在のキャサリンの起こした行動と周囲に起きた実際の出来事を、よくここまでエンタメサスペンス風に脚本を書き上げた。登場人物たちの様々な生き様。国家とは名前と顔のある個人の集合体なのだ。
ベロッキオ81歳。マフィアではなく、直訳すれば「俺たちのもの」というコーザ・ノストラと自分たちを定義。家族を神聖なものとし貧しきを守る理念。イタリア80年代に366人もの逮捕状が出た歴史的な実話。一見、一族を斬殺されたトンマーゾ・ブシュッタの改悛劇であるが、コーザ・ノストラの生き様を固守した男の物語だ。復讐はあくまで法治国家国民として。劇的なアクションはないが、イタリア的叙情で叙事を描写。家族を尊ぶ姿勢はイタリア人には普遍的本能か。国技か。
ヘルツォークをさらにゲテモノ化した味つけ。アート映画風でありつつ、見てはいけないものを見てしまった虫唾感を残すエモい怪作だ。ヴェトナム戦争の前段、フランスが敗退するインドシナ戦争開戦前数カ月の仏軍兵士の日常軍務と溶解する内面を悪趣味映画的手法を交えて幻想的に描写する。東南アジアの密林を汎神論と女性性の領域とし、侵略の象徴として男根が何度もモロに大写しに。そこにキリスト教世界と男性性の敗北の比喩があり、フーコー哲学的でフランス映画らしい。
激戦化しつつあるシリア都市部のマンション住民を室内だけで描いた一幕劇。裕福で名声もあったろう人物の所有する部屋数が多く複雑に移動できる広い物件がシェルター化し、娘の恋人や上階住人まで共棲、平時のユルい日常をひきずる普通の人々の点描が巧みで逆説的に戦下の厳しさが迫ってくる。名女優ヒアム・アッバスの含みの多い演技が魅せるも、中盤以降の展開に工夫がまったくなく平面的。娯楽性の薄い映画祭向け映画をコロナ禍の暗い世情のもと、あえて見よと推すのは躊躇される。
イラク戦争直前、米国が英国に依頼した謀計を国家情報部職員が内部告発する実話。背景にあるブレア首相とCIAの関係をポランスキーの「ゴースト・ライター」で予習すると理解しやすい。内容が生真面目すぎ、主人公の造形も単純で映画的旨味が小さいのが短所。この題材なら直情型ヒロインの前のめりと周囲の過剰な支援が偶然実を結びハッピーエンドと描くほうが似合う。主人公逮捕後の措置をわが国と比較すると日本司法の人権侵害がよく分かる。我々だったら確実に長期拘留だ。
コッポラやスコセッシからマフィア映画をイタリアに取り返した、という感じの優雅で血生ぐさい秀作。このジャンル好きには文句なく薦める。80年代、シチリアの組織に大打撃を与えた大物ブシェッタの自白の過程とその後を描く実録篇は、P・ファヴィーノの悠然たる大物演技が魅力的で裏社会に生きた男の虚ろで複雑な「正義感」が胸をうつ。時制が錯綜し筋が分かりにくい弱点はネットフリックスの記録映画「裏切りのゴッドファーザー」やちくま新書『イタリア・マフィア』で補完を。
グロ描写とセックスが最近のフランス映画らしい。戦争中とは思えない心理ドラマの幕も開けて、謎めいた青年ロベールの物語が立ち上がる。ただ過去のトラウマとなった出来事や、追い回す仇敵について視覚的な情報が少ないため、ロベールがどんな狂気に駆られているのかはピンと来ない。動機に寄り添えず、戦争状況も見えないのでどこに突き進んでいるのか把握しづらいのが瑕。ウリエルの佇まいが良く、戦争という非日常の中で現れる甘美で退廃的なドラマは心惹かれる。
一種のシチュエーションスリラーとなっていて「ある建物の一室から出られない人々」の設定がうまく機能している。一家の大黒柱となっている主人公と、彼女と絡む助演の2人は女性で家事や子育てを行う。この建物に残された男は老人と子どものみで、ただ生きているだけ。肝心の能動的な男性たちは、この建物へは強奪と凌辱目的でやってくるという、性別による役割や好戦性が表立って描かれている。戦争の攻撃が間欠的で、日常生活に銃声が侵入してくるため緊張が続く。
最近実話ベースで、出来も予算も中レベル程度の映画が量産されているのは、昨今の世界情勢の慌ただしさにまつわる予感と結果報告なのだろう。本作は映画内で何度も主人公が、他者から直接的なエールを送られる場面がある。まるで映画自体も、自分の主義や理想を声高に訴える中心人物に思えてくる。キーラ・ナイトレイが正義感に駆られ感情的に思想を語ったかと思えば、我に返って恐怖からメソメソし始める弱さもリアル。レイフ・ファインズの登場で映画の格調が上がる。
俯瞰的に物語が追えるか、ドラマが動いたその都度を説明できるかと言われたら自信がない。重要事項がセリフだけで説明されたり、大量の登場人物の顔と名前が一致する前に、時間が座標もなく経過していったりするので困惑する。前半と後半のリズムの違いも大胆だ。ベロッキオは「肉体の悪魔」で法廷内の檻が極めて印象的だったので、本作での再登場は目が覚める思い。風変わりなベロッキオがさらに老人力を身に着けて撮っており、通常の理解では補いきれない長篇になった。