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口づけすら交わされないが、至近距離で微笑み合う女子高生二人の間に流れる、友情を超えた感情。その想いに突き動かされて世界線を超えていった先のディストピアで、どんなにひどい世界でも、好きな人と一緒にいることを選ぶ本作は、『「百合映画」完全ガイド』の続篇が刊行されるなら、間違いなく収録されるだろう。荒廃した世界をサヴァイヴする女子高生たちの「汚し」の甘さに脇の甘さを感じる。映画としてよりも、若手女優カタログとしての利便性を追求したのだろうか。
国民的大ヒット曲をもとに作られる映画は、国内のマーケットだけを前提に、老若男女の味覚に合わせて開発された、ファミレスの王道メニューのよう。同様の本作を、コマーシャルだと一蹴するのは簡単だ。しかし、平成元年生まれの男女が紆余曲折を経て、令和に切り替わる瞬間に結ばれるというまるでSFのような筋書きを、ロケ地でメリハリを付けながら見せきる豪腕はプロの仕事。シンガポールの夜、カツ丼を食べながら泣きじゃくる小松菜奈だけでも観る価値がある。
孤独を抱える青年と女子高生が、薄汚れた窓越しに出会い、それぞれの一歩を踏み出すまでを描くボーイミーツガールもの。青年が引きこもるガレージの“聖域”感を作り出した美術を筆頭に、スタッフワークのクオリティがもれなく高い。少女が青年に修理を頼んだ猿の玩具が、部品が手に入らないために修理ができないという展開に、彼らの欠落感や苛立ちが重なる。CM出身の監督にありがちな、パッケージは整っているが中身の薄い作品とは違い、骨太かつ普遍的。長篇が楽しみだ。
ファンタジー部分のヴィジュアルがショボすぎる。予算が少ないなかで工夫を試みる心意気は微笑ましいが、お面や被り物、衣裳、アニメーション、音楽のどれもがあまりにも観賞者の世界と地続きで、異世界感が皆無。平板で薄暗いだけの映像も、ダークではあるがファンタジーではない。存在を否定はしないが、私服姿の役者たちのリハの記録映像もしくはビデオコンテのような本作は、観客のお金と時間を奪う「商業映画」のレベルには達していない。「観て」とは言えない。
パラレルワールドと来れば、普通あっちの世界は楽園と思いたい。が、死んだ親友に会いたくて行ったあっちの世界は、震災後の山間に閉ざされた、息の詰まるような高校だった。そこは、女生徒と教師しかいない閉ざされた世界なのだ。食糧はやがて底をつく。女生徒の一人が、誰かを外界へ偵察に向かわせようと提案。それは体のいい追放なのだ。その誰かが投票で決まり、みんなに見送られて学校から出ていく。元々の舞台作品が震災設定を得て、面白くなったようだ。
例えば心に残るのは、「エデンの東」の観覧車でのキャルとアブラとの一切手を動かさないキスシーン。キャルの心情が手に取るようにわかるのだ。母親の愛人から顔面に痣ができるほど暴力を受けている葵だが、漣と「小さな恋のメロディ」のように軽やかにキスをする。男そのものに対して怯えを感じている筈の葵があんなキスをする? そこから違和感が始まる。つい最近、これとものすごく似た話の映画も観た。お金をかけているようだが、なんとももったいない。
最近は日本映画を観ると気が滅入ることが多かったが、この映画には光を見た。花火事故で父親を亡くしてテロリスト呼ばわりされている青年と聴覚障害の孤独な少女との心の交流。二人はそれぞれ社会からの心醜い攻撃にさらされている。が、二人を結びつけるものはそれを跳ね除けるほど強く、愛らしい。ゼンマイ仕掛けの猿の玩具は、まるで二人を模したかのようだ。彼女のたった一つのセリフ!! 一時間足らずの長さだし、お金だってかけてないが、まさに映画なのだ。
なんとも形容に困る一品である。「不思議の国のアリス」を狙ったんだろうか。それとも「オズの魔法使」なのか? ダンサーを夢見る女子が兎を妊娠したと言うが、父親は誰なのか。兎か? その兎もまったく出て来ないので、想像妊娠? だが、医者は妊娠しているという。それでこれまたその医者が女子の幻想世界でのいじわるな門番として再登場する。ファンタジーのつもりなんだろうが、 こんな世界を夢見る気にはなれない。観ているうちに、小馬鹿にされているような気になってくる。
一種の異世界転生ものと言えるだろうが、当該ジャンルでは主人公が、現実世界の特性を持ったまま異世界で生きてゆく、その経験が主題となる。異世界だろうが、それなりの制約下で生きてゆくその過程こそが重要なのだ。しかし本作では異世界の中で主人公はただ周囲の出来事を消極的に眺める視点に過ぎず、その中で真に生きていない。これでは異世界の意味が全くないし、よってディストピアめいた設定も白々しいのみ。異世界は単に死んだ親友を生き返らせるためのギミックに過ぎない。
平成元年生まれの男女が平成最後の日に劇的な再会を果たす話だが、見終えてなぜ平成なのか、平成をどう捉えているのか全く見えてこない。プレスによれば平成の名曲にインスパイアされ、平成に人気の子供の名前を用い、平成を代表する職業につけたというが、そんな官僚的な想像力から何が生まれるというのか(菅田の職業がチーズ製造なのも、北海道だから牛だろ、乳だろ、チーズだろ、程度の発想に見える)。瀬々監督にはこのような映画で時間を無駄にしてほしくないと心から思う。
父親が起こした死亡事故のせいで引きこもりになった修理屋の青年と、難聴でいじめられ、心を閉ざした少女が出会い、周囲の無理解に打ちひしがれながらも、一歩を踏み出す物語。尺が短いだけあって、いじめっ子女子や、娘と青年の関係を誤解する娘の母などの造形が一面的で通俗的なものにとどまっている。直せないはずの玩具が直っていたり、青年が携帯電話を持っていたり、またその電話番号を何故か少女が知っていたり、語らずに想像させるのだとしても若干違和感がある細部が多い。
兎を妊娠するとか、夢の中で夜空を飛ぶ兎を探しに行くというぶっ飛んだ発想、アニメ、影絵、ミュージカルを使用した語り。あまり万人に勧めようとは思わないが、官僚的な発想から遠いこういう映画があることが日本映画の幅を広げてくれる。ヒロインがファンタジー的な旅の終わりに出会うのが、シビアでリアルな現実であることで、民話ないし童話の残酷さに通じる映画と判明する。地味目な女子なのに、踊りだすとオーラを発揮する主演女優の振れ幅、存在感がこの映画を成立させている。