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社内恋愛を描いた作品とはいえ、長篇映画の尺のなかで、主人公たちや登場人物のほとんどが恋愛や結婚、浮気に絡んだことしか頭にないように見える世界観は異様。恋愛の先にしか自己実現はないと言っているかのようだ。また、飲み会のシーンの多さは驚異的。ノミニケーションに高い価値を置いている観客ならば、毎晩浴びるように酒を飲んで管を巻く主人公たちに感情移入できるかもしれない。前進を続ける韓国映画にも、まだまだ保守的なロマンスの需要があると意識できる一作だ。
人の死という、きわめてシリアスな事柄を扱いながら、不謹慎なユーモアを次々に繰り出す謎の怪作だが、「スイス・アーミー・マン」の監督が撮ったと知れば納得できる。本作はとくに、余韻を持たせる文学的で重厚な演出によって、くだらなさのなかに奇妙な精神性が生まれているように感じられ油断がならない。マーティン・マクドナー監督の「スリー・ビルボード」も、じつはこの手法で撮られた実質的なコメディであり、本作の存在自体が、その種明かしになっているといえよう。
ハリウッドでも奇行で有名なシャイア・ラブーフの自伝的な脚本だという。清々しいほどにクズな父親の存在と、息子への虐待行為が赤裸々に描かれ、それがラブーフの精神状態に影響を及ぼしたという流れに。その意味では、これは彼のリハビリの一環だととらえることができるし、同時に一種の暴露本のような役割を持つ作品でもある。それ故にまだ心の整理がついてない部分も見られ、家父長制の暗部を扱った分析的な傑作アニメシリーズ『FはFamilyのF』と比べると幼さが際立つ。
命の危険から祖国を脱出した不法移民という立場から、頭脳一つでチェスチャンピオンを目指す少年が主人公という設定、そして実話ベースというところで、応援せずにはいられない。可愛げある父親や、ドパルデュー含めチェス教室の個性的な面々、ライバルの憎たらしさ。そしてチェスの奥深さの片鱗と、それを主人公の成長に重ねる脚本の手腕。演出は大人しめで印象が薄いものの、それぞれの要素が上手く機能し、フランス政府への提言につながっていく構成も小気味良い良作といえる。
画面から酒気が漂い出るくらいしょっちゅうお酒を飲んでいる彼らの、どこが“最も普通の恋愛”なの? 見終わってまずこう思ったが、考えてみれば、主人公が失恋直後の、傷も痛みも癒えていない男女で、二人が出会い恋に発展する物語なのだから、一筋縄ではいくまい。彼らにはこれが最も普通なのだろうと納得。特段ドラマチックなエピソードで展開するわけではないが、コン・ヒョジン演じる恋の幻想などすっぱり捨てた女がときおり発揮するしおらしさ等、細部の描写には好感がもてる。
ミステリーなのかコメディなのか。ディック・ロングの死の真相が明かされる前と後では、映画がまったく違って見える。ともかく女性警官のセリフ「人間とは底知れないもの」に、激しく同感。が、後で考えてみれば劇中にはさりげなくヒントが映し込まれていて、この“してやられた”感が気持ち良い。さてミステリーかコメディかとなると、常軌を逸した死因が周囲に知られれば、ディックの家族、そして悪友二人にとって、地方都市に特有の好奇の目は悲劇に違いあるまい。喜劇に潜む悲劇。
人気子役として家計を支えた主人公は、歪んだ愛情しか示せなかった父親を、「父がくれた価値あるものは痛みだけ」とカウンセラーにぶつける。この父親役こそ脚本家S・ラブーフ。つまり治療中にセラピーの一環で書いた実体験が映画化され、自身のトラウマの原因になっている父親を演じているわけで、当人の感情はいかばかりか。ともかく物語のために考え抜かれたものとは異質の、刺しこむような痛みに襲われるのは、このせいだったのだ。ラブーフがトラウマから解放されたのならいいが。
亡命者と滞在国。快活な息子と、異国の暮らしに苦悩する父。厳しい(チェスの)指導者と、心優しいチェス教室の主宰者。終始、二項が二重奏を奏でながら展開する物語は安定感を醸し出し、主題の人権が浮かび上がる。フランスにおける亡命者の政治的保護の問題はG・ドパルデューとI・ナンティの、ベテランの実力俳優がそれぞれの存在感をもって主題に貢献する。人権はかの国だけの問題ではない。市民の声を[真摯]に受け止めた首相に希望が見える。オーソドックスで見心地が好い。
甘さ控えめ、程よい苦みの大人のラブストーリーで、SNS社会における恋愛というテーマが妙に強調されているがゆえに逆説的に男女の恋愛の普遍性が表出した不思議な感触もあり、ここに今泉力哉的なエグみが加味されればかなり面白くなるのかもしれないが、それはそれで失う魅力もあるのだろうから、このくらいの塩梅がジャンル映画としては丁度いいのかもしれない……が、本音を言ってしまえばこんな美男美女の恋愛を心から応援できるほど自分は人間が出来ていない……のが悲しい。
なんの予備知識もなく観はじめ、開始早々からそこはかとなく透ける安普請感に、コイツはなかなかの低予算映画っぽいぞ、と仲間意識が芽生え俄然応援モードになったのだが、そもそもの作劇がどう考えてもまともではないうえ、終始邪気のない天然の香りを漂わせている得体の知れない面白さで、観終わってタイトルの意味に失笑しながら一体この変態監督は誰かと調べてみれば、あの世紀の大珍作「スイス・アーミー・マン」のダニエル・シャイナート監督だったので、大いに納得した次第。
撮影、照明の仕事は完璧だし、ダメ父ちゃんと子供の芝居もいいし、これはきっと素晴らしい映画なんだろうな、と思いながら観たのだが、過去と現在を交互に見せる脚本は整理はされているものの、シーケンス個別には推進力が付加されていないため、行ったり来たりするばかりで前に進んでいかないのがどうにも退屈で、肝心の内容自体も自分にはあまり刺さってこないがゆえ、90分そこそこの尺が長く感じた……とはいえ、恐らく多くの人にはイイ映画だと思うので、星はあてになさらず。
バングラデシュ人親子が自分と息子と同じくらいの歳だったこともあり、妙に感情移入してしまったし、彼らに対するフランス人たちの思いやりが綺麗ごと一辺倒ではないリアルな温かさなのが嬉しく、親子愛映画、社会派映画としては勿論、チェス映画としての面白さにもぬかりはないうえ、実話ベースのドラマチック展開に加えスパルタ先生や子供たちのキャラも魅力的に、その配置や動かし方も美しいとあっては、まるで名人のチェスのようだ……なんて、チェスはぜんぜん分かりませんが。