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この状況で映画を撮る目的、そのための工夫、メッセージ性、演者の力量、監督の作家性などを兼ね備えた、ウィズコロナ時代のお手本のような作品。斎藤工が演じる俳優のサトウタクミと各人の、パブリックイメージを利用したトークが非常にリアル。特にのんとのやりとりは、初共演とは思えないほど自然かつ、ストーリーにおいてスリリングなアクセントになっている。カプセル怪獣の育成日記が、SFホラー映画「ライフ」のように展開することを期待した自分は多分不謹慎なのだろう。
映画とは監督のものであるのに、主人公を演じたDEGの素材力に頼りすぎている。この大きな負荷は、彼にはやや酷。自分の殻を破って涙を流すシーンや、新曲をフルでパフォーマンスする披露宴のシーンは、劇中で友人の映画監督(本作の監督が演じている)が言う「今しか撮れないもの」がたしかに映っていた。その生々しさを素材とした上で、もう少し調理したものを見たかった。現状は、長篇映画の一部分を切り取った、プロトタイプやラフスケッチで終わっている。
「もったいない」をキーワードに、フードロスを解決するヒントを探る構成には、オリジナリティと多くの発見がある。監督&通訳コンビの取材旅行があまりにも段取り良くオーガナイズされていて、ドキュメンタリー映画というよりも、タレントが“エコをテーマに旅をする、日曜日の午後の旅番組”のよう。この「意識高い系」に響きそうな洗練が魅力なのかもしれないが、ある料理シーンで、スポンサー(クックパッド)を持ち上げるやりとりにゲンナリしたので★ひとつ減。もったいない。
「スポットライト 世紀のスクープ」に通じる、調査報道の醍醐味に興奮しながら、ジャーナリズムの力を信じたくなる余韻が残る。不正を追求された議員たちの、「虚偽発言→証拠を提示されてしどろもどろ→謝罪会見→辞職」のループをテンポ良く処理。ある議員の自宅を取材中、玄関先でたまたまそこにあった狸の置物のショットをインサートする皮肉なユーモア。狡猾な政治家vs愚直な記者の対決の構図を俯瞰で捉える、記者のナルシシズムに酔わないスタンスと編集の勝利。
岩井俊二さんもこんな肩の凝らないものを撮るんだな、と楽しくなった。全篇ほぼリモートで撮られたこということで、その限界を感じさせると同時にそれまでとは違った面白がり方ができる。脚本は岩井氏だが、斎藤工やのん等役者陣はほとんどアドリブで喋っている感じがする。コロナ禍での新しいライフスタイルを提案する長い長いプロモーションムービーといった趣きである。ズームでの対話の合間合間に差し挟まれる仮面をかぶった女性たちの踊りや怪獣の飛翔をやたら美しく感じた。
西葛西の駅前の楠の木には椋鳥の大群が巣喰っている。最近、西葛西を訪れる機会がちょくちょくあって、夕闇の中、椋鳥が一斉に飛び立つ光景は何か不吉なものを感じさせる。インド人が日本一多く住むとタクシーの運ちゃんから聞いた。が、西葛西のラッパー・DEGはそれとは何の関係もなさそうだ。DEGと彼らの仲間たち。どこにでもいる若者たち。彼らの中では通じる熱情やスピリットが我々には少しも伝わって来ない。お好きにどうぞ、という気にさせられてしまう。
新しいライフスタイルの提唱である。エコは、食物、命、自然、そしてその地その地に住む人々へのリスペクトから成り立っていることがよくわかる。それにしても日本にこれほどまでに食文化の多様性があることに驚く。野草を天ぷらにするおばあちゃん、こおろぎラーメンを供する昆虫食青年、廃棄食材で炊き出しをする西成のおっちゃん、ネギ坊主から取った出汁でご飯を炊く福島の料理人等々。イマジネーションの結晶である。日本がいい意味で変わるのはこういう人たちによってであろう。
保守王国・富山の市議会の不正疑惑を追及したドキュメンタリー。「はりぼて」という言葉が懐かしい。しばらく聞かなかった気がする。それにしても滝田洋二郎、久世光彦を生んだ富山県が「有権者に占める自民党員の割合が10年連続日本一」とは知らなかった。不正は、政務活動費の私的利用などの御なじみのもの。それが次々に発覚し、議員たちが芋づる式に辞職していく。が、議員たちも追及するテレビ記者たちも、妙に人間味がある。これが良くも悪くも日本人の顔なのであろう。
カプセル怪獣を通販で買ったYoutuberが、日毎の変形に一喜一憂するのと、同じく通販で宇宙人を買ったその女友達が宇宙人に感化されて、ダメな人類を救うため宇宙留学に行くと言い出す六末を、配信動画やZOOMの映像を通して描くフェイク・ドキュメンタリー。コロナ下の日常のような非日常を微妙なくすぐりで捉え、希望のメッセージで終わる。詰まらなくもないが薬にもなるまい。全篇モノクロ、怪獣=女性が躍る意味不明なイメージ映像等、いかにもスカした岩井スタイル。
自信のなさ、自分の空虚さが露わになるのが怖くて、人に迎合して愛想笑いすることが習い性になっているラッパーが、自分の弱さをさらけ出す覚悟を決め一歩前進する。空気を読むことに長けた現代的若者の寓話。スタジオで練習中自分の情けなさに言葉が詰まり、泣き出し、しかし無口なギタリストがふと奏でだした音に、みっともなくても歌い始める場面が本作の白眉。ラストの舞台、曲をその人に向けて歌う相手が来なかったのをどう受け止めるのか、そのサスペンスは解消してほしかった。
一年の消費量と同じ量の食品廃棄物を出す日本、その中で、もったいない精神で新たな道を探っている人々を描く。それぞれ個性的で、その意識改革には賛同するのだが、問題なのはコミュニティ像の転換なのではないかと思えてくる。近代資本主義の分業化が進み、中間業者の介在で肥大化したコミュニティを、より密接な中小規模コミュニティに再編してゆくこと。個々人の個性を捉えたことは美点なのだが、個人に還元しすぎで、本来持ちえたより広い射程を捉え損ねているようにも思う。
市議が政治資金不正利用疑惑を直撃されて言葉に詰まると、その直後に辞職の記者会見で頭を下げるという展開が繰り返されて、スラップスティック・コメディかと。しかし自民一強、公務員までTV局の取材を市議に内通するという忖度ぶりを見ていると当然現政権のことが連想されるし、また全国どこで同様の不正が行われているものか想像して暗澹たる思いにもなる。粘り強い取材には敬服するが、報道方針を巡る闘争がTV局内部であったならそこにも踏み込むべきだったのでは。