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「インセプション」のような公開時だけでは解釈しきれない様々な寓意が込められた作品ならば、トリビュートしたくなる気持ちはわかる。しかし、10年近くも経って、そこに新たな視点を提示するのではなく、細部の剽窃に終わるのなら、それはやはり怠惰な作品と言うしかない。若い頃のメル・ギブソンから色気を抜いたような主演俳優も魅力薄。いきなりクライマックスから始まって、1時間以上そのまま押し通し、ようやく背景説明に入るストーリーテリングはなかなか面白い。
リタイアメントコミュニティで暮らすお婆さんたちが、チアリーディングチームを組んで大会に挑む。これがヨーロッパのハートウォーミングコメディならば「はいはい、またこういうやつね」なのだが、何しろそのお婆さんたちはダイアン・キートンやパム・グリアやジャッキー・ウィーヴァーなのだ。アメリカ映画の特権は、そんな作品の外部に広がる記憶やコンテクストの豊かさだ。冒頭のキャロル・キングからクライマックスのシャーリー・エリスまで、選曲もいちいち気が利いている。
「80年代のメキシコ富裕層の妻たち」という題材に興味がない人にとっては恐ろしいほど退屈な前半。しかし、不敵なほどゆったりとした一人称的語り口で作品が進行するにつれて、本作が一人の女性の精神が崩壊していく過程を描いたユニークな作品であることが判明する。まるで、「ブルージャスミン」からユーモアを根こそぎ抜いたような辛辣さ。有名テレビシリーズ及びその日本版で流通しているのと同じタイトルを、原題から離れて邦題としてつけた不親切さには疑問を覚える。
女性の監督による「馬」映画といえばクロエ・ジャオの傑作「ザ・ライダー」が記憶に新しいが、本作が長篇監督デビュー作となったレイチェル・グリフィスの関心はあくまでも馬に乗る人間にあって、馬の描写には驚くほど無頓着。もっとも、役者監督ならではの勘所を押さえた手際のいい人物演出は、メジャースタジオ作品でも十分に通用しそう。その際はアドバイザーもついて、有名ポップソングの数々をぶつ切りでたれ流すような時代遅れな音楽の使い方もきっと改められるだろう。
昏睡状態に陥った人間が送り込まれる“昏睡の世界”の世界観が面白い。主人公の男が目覚めた時、かすかに感じる違和感を、脳を刺激するような、不快な音が的確に表現する。黒い怪物=死に神(リーパー)の正体も斬新だが、重力や時間の表現については一考の余地があるかと。作中、主人公が何故その世界へたどり着いたのかという経緯は明かされるが、思わせぶりな物語は遅々としたまま、一向に展開しない。そういう意味でも「知れば知るほど、問題が生じる」という台詞が印象に残った。
ダイアン・キートン、ジャッキー・ウィーヴァー、パム・グリアらが、平均年齢72歳のチアリーディング・チームを結成、コンテスト出場を目指す! これだけでも、元気の湧く映画だ。思うように体が動かない分、人生経験に裏打ちされた知恵を駆使して、老若男女から拍手喝采を受けるパフォーマンスを披露するに至る、見事な人生讃歌。自分の人生を受け容れて、自分を応援する彼女たちのチアは、すがすがしい。パム扮するオリーブの、相変わらずセクシーな役どころにも、ときめく。
喝采の音で、女王の代替りを示唆するなどのユニークな音楽と、ヒロインの心模様を活写したようなリズミカルなカメラワークで、三人も子供を持つ大人でありながら、未だに姫様に甘んじていたいソフィアの内省的な変化が、好感をもって描かれる。D・ラドローのカメラは、ソフィアが夢想する“世界の恋人”フリオ(〈人生を忘れて〉の選曲も秀逸)の歌声のようにやさしい(母親と電話するシーン!)が、カメラを正面から見つめるソフィアの目はクールだ。特に二度目はこわいくらいだ!
一見忍耐の多い人生に映るが、運命の馬プリンスと初めて海辺を駆けるシーンや、伝説のメルボルンカップ・レース直前のミシェルの様子を俯瞰で捉えるカメラ即ち神の眼差しに祝福されたヒロインである。何より馬に愛されている。頭蓋骨骨折後、再び馬に乗るなど想像もしない人間をよそに、馬が迎えに来るシーンにはときめいた。懐かしのCranberries〈Dreams〉や、タイトルを彷彿とさせるWILSN〈Fight Like A Girl〉などの軽快な音楽も、障害の多い半生をなめらかにする。
昏睡状態の人間の脳内世界が舞台、という何でもアリ設定の度が過ぎて全篇ほぼ緊張感がない。夢は記憶と潜在意識の産物という前提で物語は進むのだが、「インセプション」をはじめ、「マトリックス」「X-MEN」「ターミネーター4」などこちらが観てきた多くの映画の〈記憶〉が次々と否応なく呼び起こされる。それが作品のコンセプトに合わせ、意識してちりばめていたのであればもっと楽しめたかもしれない。世界観のアイディア自体は悪くないが、あまりにも既視感に溢れていた。
老女たちがチアリーディング・チームを結成、奮闘する。ベタな設定と展開だが、主人公である独り身の老女をダイアン・キートンが演じるだけで「孤独な高齢者」ではなく「都会で好きに生きてきた女性と捉えられ、物語に活気と品性が生まれる(冒頭、NYの自宅前で自分の“遺品”セールを行う彼女の姿はアニー・ホールのその後を想像させる)。キートンは年を重ねても彼女自身のライフスタイルが役にさらりと反映され魅力を放つ稀な女優という事を再認識。
82年のメキシコ経済危機を、大富豪の妻として贅沢三昧の「バラ色の人生」を謳歌していたソフィアの視点で描いているのだが、一寸先は闇を地でいくその凋落ぶりがとにかくエグい。貧困層の視点とはまた違うそのねっとりとした崩壊は、資本主義の醜悪な側面を浮き彫りにし、いま世界中の人間が直面しているリアルと重ねてしまう。終盤、富裕層仲間に呼ばれたパーティでの彼女の自意識と絶望の揺らぎを、時系列を少しずつズラしたカットバックで表現したシークエンスが秀逸。
メルボルンカップを制した初の女子騎手の実話だが、実在の人物の軌跡を描く作品にありがちなダイジェスト感は否めない。姉の死、父との確執、自身の大事故、そして復活、などドラマチックな展開もいちいち引っかからず、レースの駆け引きをめぐる面白さ、疾走感もあまり感じられない。だが、クライマックスのメルボルンカップ当日、これまでの鬱憤を晴らすかの如く急に全てが繋がり、輝き出す。今までの展開はこのレースを描くための布石、ここに賭けていたんだな、と勝手に納得。