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理由なく殺人を犯す悪魔の所業と思わせておいて、論理性が次第に明らかになる過程が圧巻。自分を異常者とは別だと信じる大多数の観客の思い込みを切り裂き、不安を感じさせる傑作だ。83年製作にもかかわらず、本作から多大な影響を受けただろうミヒャエル・ハネケやギャスパー・ノエの表現よりはるかに純粋かつ斬新で、公開当時あまり理解されず各国で上映禁止の憂き目に遭ったのも分かる。描写自体は過激だが、犯罪や偏見に肩入れした内容でなく、むしろ健全な部類に入る作品。
一家の亡命計画を当局がすでに感知していて、逃亡側と捜査側が、ある程度お互いの手の内を知りながら頭脳戦を繰り広げる。そのあたりが「四十七人の刺客」を想起させる、本作の脚本的な面白さだ。同時に冷戦下の東ドイツを題材とする時代ものでもあり、自宅の風景や、ベルリンのホテルの大掛かりな描写、くわえてバルーンの組み立てなど、当時を再現する美術が素晴らしい。一方で、演出自体にはそれほど際立った特徴はなく、見やすい映画といえるものの、強い印象は残らなかった。
監督としても俳優としても、久々にエミリオ・エステヴェスの仕事を見ることができた。公共と人命の問題は、いま最も扱うべき意義のあるテーマだといえるし、それをユーモアと善良な人々の描写によって楽しませながら見せていく手腕も確かだ。劇中で表現される「怒りの葡萄」のテキストに託された弱者の悲痛な感情と、それを拾い上げようとする、地味ながら優しい図書館スピリットが胸を打つ。いまの日本も知性が軽視され、自己責任論が蔓延している状態。本作の精神をぜひ学んでほしい。
サッカーを知らない63歳の女性が、突然田舎町の子どもたちにサッカーを教えるコーチに就任するという、場違いな展開が面白い作品だが、物語が進むにつれ、だんだん設定に無理が出てくるのは否めない。そこは、フワフワした雰囲気の原作を実写映画化したところにも原因がありそうだ。「スター・ウォーズ」シリーズの役が素晴らしかったペルニラ・アウグストを主演に、自立心の成長を描く試みそのものは共感できるが、今回の役には特別応援したくなるほどの魅力を感じなかった。
3日間限定で仮出所した主人公が、その足で凶行におよぶ様子を描いたこのサイコ・ホラーを最後まで正視するのは、かなり不快な映像体験。実在の殺人鬼である主人公の異常性に加え、彼の表情や動きを張り付くように捉えた手持ちカメラが、異常さを際立たせる。セリフを最小限にして、多くを主人公の独白に委ねたことも大きい。一時期タンジェリン・ドリームのドラマーだったクラウス・シュルツェの音楽も不気味さを増幅させる。出来栄えはともかく、苦手な分野なのですみません。
わずか40年前の実話であることにある種の感慨を覚える。ベルリンの壁が崩壊したのも、思えばこの話の10年後だものなぁ。一度目の失敗にくじけず、シュタージの監視をかいくぐりながら、二度目を決心したことが要点。それだけに、話の起点となる主人公ペーターとギュンターが西側への脱出を決意する背景にふれて欲しかった。確かに結末に至る間にハラハラさせるエピソードをいい具合に配置してスリリングな効果もあり面白く見られるが、話の起点がないので、根っこが脆弱の感もある。
図書館員が主人公のこの映画は解りやすい。物語を構成する図書館利用者の権利、貧困、警察のあり方、野心的な検察官、主人公の過去を調べ上げて報道するメディアの姿勢。これらはいま現在の、日本の私たちにも社会問題として、共有可能。80年代にもて囃された青春映画の若手俳優たちブラット・パックの中心にいたE・エステヴェスは、当時話題の「ブレックファスト・クラブ」では図書館で懲罰の課題に取り組み、今回はソーシャルワーカーの役割を果たす。社会の混迷は、より深刻に。
福祉国家スウェーデンでも、結婚してこの方、専業主婦を貫いた63歳ヒロインに、仕事がそう簡単に見つかるはずはあるまい。でも彼女の自立ありきの物語ではない。なので村の寂れた施設の管理人の仕事も、任された少年サッカーチームのコーチも、初期段階でこそ突飛な設定に感じるが、ニュートラルな立ち位置で、守るべき価値観を守りながら変わるべき自分を受容する柔軟さに共感する。その意味で邦題よりも、原作と同じ原題「ブリット=マリーはここにいた」が、主題にしっくりくる。
ステディカムにより強制的にブレを抑え込んだうえで乱暴に動き回る異様なカメラワークは、はた目には理解不能な無軌道ぶりでも自身は理知的な計画に基づいて行動していると思い込んでいる主人公に重なるもので、安定と不安が同居を果たす混沌の恐怖をかような形で表現し、なおかつ手法的なあざとさや露悪から逃れている清々しさは、ホンモノの狂気を生のまま捉えたこの映画の狂気もホンモノである証左で、世の中にはまだこんな傑作映画が埋もれているということもまた、恐怖である。
東西分断時代のドイツの実話ベースの物語でありながら歴史的背景などは必要最低限しか描写されていないため、社会派エレメントを期待すると肩透かしを食らうかもしれないが、気球を使って壁を超えるという脱出サスペンスとしては満点の出来で、脱出組VS秘密警察の攻防を家族愛で味付けした展開や、たまさか仕掛けられるミスリードなどは至りて古典的であるにもかかわらず、剛腕ストレートな演出力で最後までまったく飽きさせることなく観せきる、単純に無茶苦茶面白い映画だった。
公共図書館に立て籠るホームレスたち、それを擁護する館員、締め出そうとする警察、民衆を煽るマスコミ……それぞれの立場と正義が拮抗するたった一晩の物語の中に民主主義が抱える問題やキリストの矛盾を突く鋭い視点が詰まっている思考実験的な要素の強いこの作品に真の正解など用意されているはずもなく、さすれば映画としてはどこに落とし込むかが問題になってくるのだが、想像の斜め上をいく着地を決めることで極めて映画的な多幸感を味わえる一級品に仕上げているのは見事だ。
折り目正しい生活に誇りを持っている60過ぎの女性が夫の浮気をきっかけに自立し、新しい人生を踏み出すという物語が開始数分ではっきりと輪郭を見せるストーリー捌きはお見事なもので、全篇通して淀むことがないスッキリ観やすい大衆娯楽映画ではあるのだが、このテンポ感を生み出しているモノローグ、モンタージュ、音楽の多用が諸刃の剣となり肝要なところまでもを流してしまっている印象で、終盤の少年サッカーの試合シーンのカタルシス不足の誘因にもなっているように感じた。