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8名のうち生存している2名にインタビューをしていく間に、まるで死者たちが生き生きと雄弁に語り出す瞬間がある。いや寧ろ生きている2名が死者の世界へと泳ぎだす。映像とは死と寄り添うことだ。そして政治イデオロギーがいつのまにか情念によって溶解していき、亡命者の魂は故郷に恋い焦がれ昇華する奇跡。しかし、現代では生まれたときと全く同じ故郷へ帰ることは不可能で、すべての人間が故郷喪失者である。8人を追った映像ではあるが、これは監督自身が描かれている。
こんなにもウディ・アレン的な映画があるのか。原点回帰。自分の映画をブラッシュアップしてみせた。「現実は夢を諦めた人たちの世界」という台詞が登場するが、この映画に出てくる世界は決して現実ではない。夢や恋に破れ、失業しても輝き続けている。まるで縫い合わされたような誰かの部屋の中のNY。NYは何も変わらず微動だにしない。デュラス映画の編集ドミニク・オヴレーのアレン論を思い出す。巨匠ヴィットリオ・ストラーロ撮影のなんと美しいことか。それだけで満足。
最近の韓国映画にしては冒頭からの空撮演出が90年代の日本のノワール風で、多少クリシェで幼稚な印象を受ける。はみ出し刑事と筋を通す任俠ヤクザのコンビはヴァイオレンスエンタメとして最後まで振り切っている。脚本はさることながら、熱量や持久力、根底のマンパワーに感心。哲学派殺人鬼は「セブン」さながら人間の原罪を法廷で語る。殺人ドラマはどこまで犯人の動機が強いか。その必然性を逆算していくのだが、現代社会では親からの虐待が一番説得力があるのも不思議。
アートワークはミニマルからウィリアム・モリスまで、色彩設計も素晴らしい。マヤ・デレンの音楽を担当した故伊藤貞司の楽曲を使用。雅楽のような音源は特に西洋人にとってはミステリアスな効果を生むのであろう。善悪が未分化で、神道や能や狂言にも通じる世界観は光と影ですら相対的な非二元論。一本の映画がこのように鑑賞者の意識を気付かぬうちに変えることもあるだあろう。「柔らかい殻」からの大ファンであるリンジー・ダンカンが重要な精神科医役で出演していて嬉しい。
50年代の北朝鮮とソ連の政治動揺に翻弄された映画留学生が人生の波乱を回顧する証言映画だが、パイロット版を見せられているような未完成品の印象。登場する証言者が少ないうえ、モスクワの映画学校の教程や学んだ知見を語らないのはテーマからして決定的な欠落だ。その後彼らが定住したカザフスタンで映画界に貢献する経緯は刮目だが、同国の政治体制や映画産業の像が不明瞭だし、ソ連解体時の激動や北朝鮮の現在に言及がない点も作り手の取材不足や問題意識の薄さと感じる。
小粋なラブコメだが異様でもあり、観賞中、脳裏にロールシャッハテストのどす黒いシミが広がる。若い娘たちの誘惑と酒や博打にまみれた甘美な都会の一夜は84歳の瘋癲老人がチラシ裏に綴った妄想とも、確信犯的に示す現代人の倫理の踏み絵ともとれる。監督は意地悪く絵本を開き「君たちも正直こういうの好きだろ」と悪魔の囁き。黒人もアジア系も失業者もいないロマンチックでノーブルなニューヨークに重なる影は性的シンボルか排除された人々の嘔吐か。観客の認識が試される。
ヤクザ・刑事・猟奇犯と近年の韓国映画の得意要素を絶妙にブレンド、残酷描写を一般客がドン引きしない濃さに調整した仕上がり。ゴリラ可愛いマ・ドンソクは直球ド真ん中の極道組長を演じると思いのほか善人っぽさが前に出る不満はあるものの、狙いは若いカップルのデートにも対応するエンタメノワールだろうし、暴力もマンガ的な「笑える恐さ」レベルにうまく抑えて後に引かない。終盤に至りライバル集団が一丸となり全力捜査する展開は日本のドラマ『下町ロケット』あたりの影響か?
なるほど「ルルドの泉で」の監督10年ぶりの日本公開作か。バイオ操作植物が生存戦略で人体と社会を侵触する導入は中高年の脳内に「怪奇大作戦」のテーマを響かせるも、一筋縄でゆかぬ監督はお約束めいた殺人劇へ進まず、静かな映像とニヒルな構成で観客を作中の花粉のごとく煙に巻き、人間の不可解な深層やウィズコロナ時代の感覚変化へ意識を導く。色彩設計が素晴らしく、オシャレ怖い映画として「ミッドサマー」のように当たるかも。「007」ファンはQの女あしらいに注目。
モスクワ国立映画大学に留学した北朝鮮の青年8人。取り上げられる彼らが異能の才人ばかりで、どんな悪環境に流転しても悲劇性は際立つだろうという印象がまず強い。最近の、テーマにインパクトがあるドキュメンタリーにありがちな、題材の発見でほとんど作業が終了してしまって、映画的な演出の面白みは後回しにされているタイプの作品だ。インタビューと写真や記録映像をつないだものがメインでは、登場人物が興味深くて80分という短めの尺でもいささか飽きてくる。
ファニングの役柄が軽薄で、若さと美貌を積極的に活用し世渡りしていく、恐ろしいほど内面を描かれない少女になっていてアレンの女性観かなと。昔の作品と比べ複雑さを失った女キャラが、些末にこだわらない老人力を物語る。作品自体はいままで通りのアレンのテイストに貫かれていて、クリエイターたちの雑然とした集いのシーンなど大人の魅力に溢れる。ただ、現在慎ましく暮らしていても、若い女が好きというアレンのメッセージは昔から気持ち悪かったし、本作でも変わらない。
ヤクザたちも刑事らも良い顔のオンパレードで、この手の韓国暴力映画が好きな人には無条件でオススメできる。マ・ドンソクは過剰な筋肉に目を奪われがちだが、頭が切れて善悪どちらに転ぶかわからないヤクザ役の、狂暴さと思慮深さを微妙な表情で使い分ける演技力が、複雑な物語を屋台骨となって支えている。苦境に追い込まれた、立場が相対するうえに信用に値しない男たちの駆け引きという主軸に加え、意外にも連続殺人鬼の追跡が大きな要素となってくる設定も新しくて面白い。
人工的な閉塞感を作り出した数多の映画の一本であり、その系譜としては決して突き抜けた出来ではない。しかし(もっと硬質なニュアンスでいいのに)と思っていたら、非常に内面的な、心理に分け入る内容だったので、演出にどこか漂う柔らかさはテーマとマッチしていたことに驚いた。女性が母性を持っているとは限らず、愛の量が周囲と比べ少ない場合もあるという、男性の夢を壊すようで言いづらい真実を明かしてくれていてありがたさを覚えた。スリラーとしての変容も地味だが秀逸。