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ドキュメンタリーともモキュメンタリーともフィクションのドラマとも違う本作は、一関の自然、生活、文化に密接なドラマを、ここに暮らす人々が演技をして、形にしたという。その結果、登場人物の実在感と、生々しい感情が抽出されている。中心に立つ中3のユナが、祭りの練習で流す汗や、卒業式で見せる涙はリアルだとして、親友の兄に好意を示すときの頬を赤らめた表情は、どこまで演出によるものなのだろう? 小松監督は、いつかとんでもないものを撮りそうな気がする。
交通事故で亡くなった仲間の名誉を守るために、男子高校生4人が挑むミッションがくだらないからこそ、証明される友情の純度が高い。大人が用意した葬儀ではなく、彼らなりの弔いの儀として、故人のタバコを回し飲みしていちいちむせる4人に胸が熱くなる。喧嘩も反抗もクサいセリフもなく、優しい男子5人の誰も傷つけないやりとりで魅了する、令和時代の青春映画。それを支えるのは、演出、役者の演技、撮影と録音など、各部の高いクオリティだ。ヒロインも可愛い!
東日本大震災の風化に、ユニークなアプローチで警鐘を鳴らすシナリオは、「綺譚」というタイトルにふさわしい工夫がなされている。しかし、戦争体験者と被災者に共通する「誰かの命を犠牲にして生き延びてしまったことへの自責の念」や、「生きるためにつらい記憶を忘却することの是非」というシリアスなテーマを、登場人物からセリフで訴えられて胃もたれが。主人公の「薄情」な性格も、タイトルに謳った「横須賀」というロケーションも、活かしきれておらず、いろいろと消化不良。
前の住人が残していったカセットテープに吹き込まれた日記を聴いているうちに、スランプに陥っているシンガーソングライターの想像力が刺激されていく。パレットの上で異なる色の絵の具が溶け合うように、2人の人生が混ざり合う奇妙な展開に、困惑しつつも心が躍る。アロハシャツの使い方や、ラストシーンでの驚きのある配役からも、映画における「見せ方」の可能性を探る監督の遊び心が見てとれた。佐藤玲と笠松将が演じる男女が、団地の部屋にとてもチャーミングに存在する。
ドキュメンタリーのような作りだが、最初からそうではないとわかる。かつて震災に見舞われた岩手県一関が舞台だが、これは震災を描いたものではない。そのずっとずっと前からあるこの地の「もち」文化をもとに、ここに暮らす人々のささやかだが切実なドラマを展開させている。妻を亡くしたお爺ちゃん、その孫の少女が通う学校は閉鎖される。彼女はひそかに恋をするが、その相手の青年は東京へ行ってしまう。誰もがドラマを抱えているが、あえて映画にするべきドラマだったかどうか。
主人公は変な髪型の高校生。変な奴なんだろうと思ったら、しごくまっとうで平凡そのものだ。ただ、何かが足りないと自分でも思っている。クラスで唯一人進路を決められないでいるが、気のいい友達も数人いる。その友達もみんな彼と似たり寄ったりだ。偉業を成し遂げそうな気配は微塵もなく、暇にあかして自分たちの形見は何だろうなどと考えたりしていると、中の一人が本当に死んでしまう。だが、主人公の呼びかけで、彼らは彼らなりの「偉業」を成し遂げるのだ。中々の映画ですぞ。
東日本大震災をモチーフに選んでいるが、そうはなり切っていない気がする。ヒロインのキャラクターを補足するためだけに使われている。それにしても、出てくる人物、人物、よくわからない人ばかり。主人公の春樹は狂言回しでしかないし、ヒロイン・知華子に至っては、ほとんど意味不明女である。それもすべて夢ということで落とされ、何か行き場を失くした気にさせられた。唯一共感できそうだったのが元闇金屋役の川瀬だが、知華子への執着で厭らしさを露呈してしまうのだ。つらい。
世の中には、陽の目を見ない素晴らしい企画や脚本が五万とあるし、はち切れんばかりの思いを抱きながら、撮らせてもらえない監督も書かせてもらえないライターもいっぱいいる。そんな中でこういう映画が出てくると、つい涙が出る。「何悩んでんの? こうすればいいんじゃね?」てな感じで出来たんだろうか。映画になっているとは思えない。映画が侮辱されているとさえ思った。何も感じさせず、虚無感だけが胸の中に広がっていく。埋もれている才能の数々を思い、やはり僕は涙する。
祖母も、自分の中学も、友達も、好きな先輩もいなくなってしまう中、伝統芸能の神楽を練習し、祖父の祖母供養の餅つきを手伝う経験を通し、忘れないためにはどうすれば、と考えてゆく。しかし中学生にとって大事なものがみな消えていくことは不条理であり、まずは混乱、動揺し、怒りすら覚えるというのが自然な反応ではないか。忘れないように、という発想は中3というより、大人(監督)のもので優等生的に見える。ドキュメンタリー的でリアル志向だけにその根本の不自然は難に見える。
世界や宇宙の終わりは容易にイメージできるのに、今の時間が無限に続くように思えて、自分の将来とか身近な未来は想像しにくいといういかにも思春期的な逆説の中にいる高3生が、親友の死によって直近の未来を考えさせられる。その年代らしいリアルを捉えていて好感は持てるのだが、では主人公が自身の未来という厄介なものをどう受け止め、どう変わったのか変わらなかったのか、という難しい描写をオミットしているのが残念である。真に描くべきはそこだったのではないか。
震災で死んだはずの女性が働いている介護施設を手伝うことになるが、その女性は震災の記憶を持っていない。またそこには戦争で妹の死を目の前にして、その記憶に苛まれつつ、それを忘れることは妹を殺すことと記憶し続けようとする老女、一人を救うため一人を見殺しにしたことを忘れようとする男がいる。記憶すべきなのか忘れるべきなのか。確かに難しい問題だが、綺譚と称して宙づりで終結するのは疑問だ。作り手自身が一つの選択を引き受けるのが作品を作るということではないか。
前住人が置いていったものの中にカセットテープの日記があり、それを聞いて彼の存在を感じているうち、彼が現実に現れる。今描かれるのが、テープで語られた過去なのか、ヒロインの想像なのか、そもそもそのカセットで語られる彼の物語もヒロインが働く喫茶店の常連劇作家が執筆中の話と同じと、現在と過去、現実と虚構が交じり合って、その不確かさは深刻にならず、ファンタジーとしてそつなくまとめられている。トンネル、団地などのロケーションもデザイン的に面白い。