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マンブルコアの実践者としてキャリアをスタートさせ、A24での自伝的作品(「レディ・バード」)で大成功。そのままインディー系人気監督の座に収まるかと思いきや、ハリウッド・メジャー初進出の本作では、これまで散々コスり倒された古典に現代的な視点を盛り込み、最終的にはパーソナルな表現として成立させるグレタ・ガーウィグ。その的確な狙いと野望の大きさに圧倒された。名手ヨリック・ル・ソーの撮影も功を奏し、文芸作品にありがちな堅苦しさからも解放されている。
韓流ドラマ的というよりも、この牧歌的で弛緩した作品の空気感は韓流ドラマにも少なからず影響を与えてきた日本の90年代トレンディドラマ的と言うべきか。演出も脚本も、間違えてテレビの世界から映画の世界に迷い込んでしまったかのような緊張感のなさで、冒頭のシーンの時点で誰もがラストシーンを予想できてしまう。おそらくはクォン・サンウのファンムービーとして消費されるであろう本作だが、かつて日本でも活躍していたイ・ジョンヒョンは相変わらずチャーミング。
「エクスペンダブルズ」が軌道にのった今、わざわざこの錆びついたフランチャイズを引きずり出してきた意図は不明だが、中身は「ランボー」というより「96時間」。スタローンの映画人としての歩みが偉大であることは疑う余地がないが、ようやく安らぎを得た古き良きアメリカン・カントリー・ライフの対比として、トランプの時代にメキシコを欲と金にまみれた悪の巣窟として一方的に描くこの鈍感さこそが、ランボーイズムの継承ということか。唐突なゴア描写は新鮮味があった。
被写体の力とそれをカメラで捉える側の力が拮抗して、ドキュメンタリーは初めてスクリーンで観るに値するわけだが、本作は後者の力が及んでいない典型的な作品だ。そこで鳴らされている音楽への驚き、パフォーマーの肉体や表情への没入を阻害する、煩雑な編集や安易なスプリット画面。各部族が伝統を忠実に受け継いできた音楽と、それを現代的な解釈で発展させた音楽を並列で紹介していて、その文脈や歴史の流れは示されないので、アカデミックな興味も満たされない。
塩漬けライム代に困るエイミーや髪を売った夜のジョーにそっと寄り添い、見事な姉っぷりを発揮するメグの姿に、子供の頃、熱心に読んだ原作の魅力を思い出した。親以外の、自分以上に自分をよく知る他者の存在に憧れていた(本作ではメグのガーリーな部分まで網羅)。クリスマスの朝のシーンも想像以上に素晴らしかったが、心弱るジョーに「それは愛じゃない」と断言する“これぞ四人姉妹の母”の強さ(L・ダーン!)に痺れた。原作者と原作をつなぐ構成、すみれ色の衣裳も美しい。
制服姿(!)のクォン・サンウとイ・ジョンヒョクが、高校の屋上で殴り合う回想シーンのデジャヴ感は、「マルチュク青春通り」(04)から来ていたのか! なつかしの小ネタも含め、俳優陣のプロ意識の高さが、冒頭の離婚式のコント感を薄めて、大人のラブ・コメディへと舵を切る。サンウから「キレ子」と名づけられる元妻が憎めないのは、偏にイ・ジョンヒョンのチャームに因る。素晴らしい酔演を披露する。いただけない犬ネタも「夫婦喧嘩は犬も~」というオチを導く意味ではお見事。
史上最悪の残虐描写がいまだ鮮烈に記憶に残るが、12年ぶり!のシリーズ5作目となる本作(監督はA・グランバーグへバトンタッチ)。爺さんになっても、アンチヒーロー・ランボーの絶望は薄れることなく「一生悲しみは続く」のだ(否応なく巻き込まれるカルメンに、詰め寄るランボーの言葉の重さ!)。余念ない準備が見事に結実する、ラストの復讐戦では、ラスボス以外の人体破壊描写に一切のカタルシスがない分、スーパーソルジャー、ランボーの揺るぎなさを頼もしく感じた。
16の島国の伝統音楽が数珠繋ぎになって太平洋を渡る、さながら音楽の船旅だ。マダガスカルのヴァリハ奏者ラジュリーが、コブ牛に捧げた「オンビー」(傍の鳥まで踊っているように見える場の力!)に聞き惚れていたら「哺乳類の60パーセントは家畜」というテロップが。後半顕著になっていくこの構成は、歌が心地よい分、ショックも大きい。雄大な船旅に環境問題を取り込んだことで、いまこの映画を作る意義は強まったが、コンセプトが曖昧になり音楽本来の魅力が損なわれた感は否めない。
自伝的作品「レディ・バード」の後に、自身が影響を受けたオルコットの自伝的小説『若草物語』を映画化したガーウィグ。主役であるオルコット自身を反映させたジョー役には、またも“分身”シアーシャ・ローナンを起用、常にクリエイトする己を捉え、「女性の生き様」を追い続ける。原作の1部と2部を大胆に現在と過去(もしくは現在と未来)として再構築し行き来して描く手法は、それぞれのエピソードが反映し合い、この普遍的な物語の時代設定を変えず、新たな感触で楽しめる。
最初から最後までなぜ主人公カップルが結婚し、離婚し、また恋愛していくのかよくわからなかった。それが「恋愛して結婚する」ことの本質を描いているのかもしれない。そういう意味ではコメディ版「ブルーバレンタイン」と言っても良い。とにかくサンウが楽しい。おなじみの肉体美を披露しつつ、42歳にして高校時代も自分で演じ、まさかの排便シーンまで。それでも下品にならず、全て笑いに変える彼の可愛げだけが本作を恋愛コメディたらしめている。
スタローンは、アメリカとそこに生まれた個人、その栄光と凋落を体現し続けている稀なスターで、ロッキーは彼自身の生き様と重なり、ランボーは近代アメリカ史の負の象徴だ。前作のラストでランボーは裏切られ続けた故国に戻り、これ以上ないシリーズの終焉を迎えたのだが、過酷な運命は彼をまたも戦場へと駆り出す。一時代を築いたモノにしか許されない大いなる蛇足。だが、老いてなお泥臭い“らしさ”全開で、どう思われようが「やれるからやる」を貫く姿にやはりグッとくる。
考古学では、文字が残っていない文明を研究する際、その地に伝わる音楽や踊りを分析し、ルーツを探る。約5千年前に台湾先住民を原郷とし太平洋、インド洋に広がった 「南島語族」の“航海の記録”を本作はまさに音楽そのもので表現している。詳細な説明はなく、ただ世界16カ所、それぞれの地で生きるその末裔たちが伝承されてきた音楽を演奏し歌い、一つの壮大なアンサンブルとなる様を描くのだが、これが圧倒的なグルーヴを生み出し全篇気持ちが良い。音響環境が良い劇場で観るべき。