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私自身、「リディック」の演技でヴィン・ディーゼルの魅力に興奮させられたクチだが、彼の最大の魅力は、“遊俠”精神の表現にあると思う。今回のような実存的な迷いと復讐心を燃やす内省的な役柄の彼には、あまり輝きを感じなかった。とはいえ、義体による身体機能拡張のギミックや、エレベーターシャフトでの重力を利用したソリッドな戦闘描写は、ビデオゲーム出身で視覚効果に携わってきた監督の力量が発揮され、娯楽アクション映画としての見どころは最低限押さえている。
お化け屋敷から出られなくなるという恐怖、殺人鬼に追われる恐怖を合わせ、ジャンル映画としてスッキリとまとめた脚本の手腕は評価できる。反面、演出にはそれほど特徴がなく、ジェイムズ・ワン作品の映像的快楽や豊富なアイディア、80年代風の郷愁から新しさを生み出すアダム・ウィンガードのセンス、「ババドック 暗闇の魔物」のジェニファー・ケントのような強いメッセージのある恐怖表現など、同時代の天才的な監督の仕事を、テクニカルな部分を超えて学んでほしい。
世界的映画監督が、肉体の衰えや病気、心の傷にさいなまれながら、モチベーションを維持して活動を続けようとするという、アルモドバル自身の実感や課題が題材となっただろう、直截さとリアリティが素晴らしい。アントニオ・バンデラスが監督を演じ、劇中でそれをさらに役者に演じさせるという入れ子構造の狂気も興味深く、マノエル・ド・オリヴェイラ亡き後、このように大人や老いを迎えた年代の観客のためのアーティスティックな作品が、ますます貴重になっていると感じる。
口元のシワに反骨精神がにじむ、ジェシー・バックリー演じる主人公の魅力が炸裂! 彼女が人間的成長を遂げる描写が柱となっていて、善き人間へのステップを段階的に踏む丁寧さが良い。一方で、スコットランドのカントリーシンガーという設定が、かろうじて作品の社会的意義を成立させながらも、音楽への具体的見解が希薄なため、他の文化でも代替可能に見えてしまう。カントリーという題材が映し出すはずの英国の移民問題については消極的表現にとどまった。
タイトルに恐ろしげな想像をかき立てられる。が、いざ始まってみるとマッチョな主人公とその周辺人物のキャラクター設定は、美女がいて悪役がいるといったステレオタイプ。ストーリーにも目新しいアイディアはなく予想どおりに展開し、終わる。ただテクノロジーを駆使したヴァーチャルな映像世界を楽しむにはいいかも。その分、アクション映画に特有の俳優の肉体が発する熱は極めて低いので、ゲームの画面を見ているよう。想像するに“オンライン飲み会”とはこんな感じだろうか。
ハロウィン・パーティのおふざけの続きでお化け屋敷に入った6人の男女の恐怖体験だが、絶叫を聞かせるアトラクション・ホラーとは違う様相のスリラーなのだと徐々に気がつく。そうか、原題が「HAUNT」だもの。恐怖の核心は、6人の中のハーパーの幼児期のトラウマに絞られる。それで、お化けの正体は見てのお楽しみとして、その正体とトラウマを関連づけるのはいささか強引だ。ギミックを楽しむことも幼児体験の挿入の仕方も、いまひとつ。中途半端なまま閉塞感だけは募る。
記憶と創造でつづるある映画監督の告白的人生論だ。少年時代の性の目覚め、恋人との情熱的な恋愛や仕事上の諍い、母との思い出など、歳月に熟成された記憶の時間軸を巧みに交錯させながら、新作映画の製作につなげる――。達意の表現、お馴染みに加え、達者な俳優たちの演技、そしてアルモドバルの特徴のひとつでもある色彩。特に主人公の住まいは、劇中の30余年ぶりに再会した元恋人の台詞ではないが、まるで美術館。創造の原点となった記憶を集成しつつ次なる段階へ進む作品とみた。
英国のグラスゴーでカントリー・シンガーを夢見る女性が米国ナッシュビルでデビューを果たすまでのサクセス・ストーリーと思いきや、まるで違う。嬉しいことに、話はそれほど平凡ではなかった。日常の決して甘くない現実をいっぱいに詰め込んで描く、在るべき場所を探すことが主題の、生活感あふれるミュージカル。主題にたどり着くまでが少々まわりくどいが、この間、ヒロインのJ・バックリーの魅力がそれをカバーする。そういえば「ジュディ 虹の彼方に」でも存在が光っていた。
血液中の生物工学ロボットが人体の傷を瞬時に修復してしまうというトンデモ設定はいかにもアメコミ原作という感じだが、生半可な科学的説明や、ワサワサ動く血中ナノロボットを可視化させる欲張り描写等が作品世界のリアリティの輪郭をぼかしてしまっており、内輪揉めに終始する物語の方も盛り上がりを欠いた既視感だらけの展開とあっては、もはや見どころはCGとアクションだけで、そちらはハリウッドのお家芸なので確かに凄いとはいえ、全体を引っ張れるほどの新しさはなかった。
タイトルを見て誰もが想像するであろう「ウエーイな若者たちがお化け屋敷をひやかしてやろうと思ったらガチのやつでした!」という物語が全くその通りに進んでゆくB級ホラーの王道とはいえ、恐怖や痛みの演出は思いのほかしっかりしており、人体破損描写も娯楽として観られるギリギリをわきまえている印象で、カタルシスばっちりなラストも含め気楽に楽しめるのだが、屋敷運営サイドのツッコミどころと謎の多さはこの手のジャンル映画の許容ラインを超えてしまっているように思う。
どこまでがアルモドバル監督のパーソナルなのかは定かではないが、自伝的要素の強い作品と思われ、少年期のごく短い期間と映画監督としてのピークを過ぎた現在の日常が毎度おなじみアルモドバルのちょっと変な感じで描かれており、劇的なことはさほど起きないにもかかわらず主人公の人生のすべてを覗き見た感覚になる豊潤さや、これぞアルモドバルともいえる幾何学的な構図と家具や壁紙、衣装に至るまでこだわり抜くことで実現されている色彩配置の素晴らしさは相変わらずの名人芸。
刑務所帰りの音楽好き不良シングルマザーが歌手になるまでのサクセスストーリーの軸として描かれるのは子供を持つ女性が夢を追うことの難しさで、結果、母親としての成長物語にもなっている本作は、彼女の荒くれぶりとは対照的な柔らかい光に包まれた画面設計とジェシー・バックリーの歌声の美しさが印象的な音楽映画の秀作ではあるのだが、予め用意されているかのような結末に向かって障害を乗り越えながら進む物語は一本道で、終盤の駆け足展開にもやや都合の良さを感じてしまう。