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フリージャーナリストの堀潤氏は、シリア、辺野古、福島、パレスチナ、香港、プノンペン、平壌などでカメラを回し、今そこにある大きな問題に、市民の立場から抗う一個人を取材する。それぞれに異なる問題を繋ぐ、キーワードの「分断」とは? そこを考えることで、各問題と、自分が暮らす社会への理解が深まる、観客巻き込み型のドキュメンタリー。最後に映し出されるテロップによるメッセージの、文字色が異なる二つの単語に、堀氏の裏メッセージが読み取れた。
この映画は「バカ映画」(※作品資料より拝借)を作ることがゴールになってしまっている。だから脚本を煮詰めず、空虚な台詞が飛び交い、おいしいとされる料理がそうは見えず、特撮のグリーンバックが目に浮かぶ。拙さの言い訳として「バカ映画」というフレーズが便利使いされているようにしか見えない。「いい大人なのにバカ映画を作っちゃう俺たち、粋だろ~」というプレイの鑑賞に、時間とお金を費やす余裕のある人向け。巨大なシーフード怪獣のデザインは味わいあり。
ボルダリングで真っ直ぐ上だけを見つめる小寺さんに、進路希望用紙が白紙だった4人が熱い視線を注ぎ、4人がそれぞれに変化する関係が、アイドル(推し)とファンのそれに重なった。頑張っている推しに影響されて、自分も何かを頑張ることで成長し、同じ推しを持つファン同士が繋がり、世界が広がる尊い関係。アイドル性だけでなく、アスリート的な身体能力と哲学者のような探究心を併せ持つ小寺さん像に到達できたのは、元モー娘。の工藤遥の資質があればこそ。漫画の幸福な実写化。
タイトル通り、舞台となるのは甲子園の観客席の端の方。ど真ん中に当たるグラウンドや選手は一度も映されることなく、強制的に応援に駆り出された高校3年生の会話劇が繰り広げられ、ピラミッド型ではなく、真ん中と端っこという構図のスクールカーストが浮かび上がる。端っことはいえ、微妙に立ち位置の異なる彼らのベクトルが重なるクライマックスの爽やかな感動を、画面に一度も登場しないある人物が、伊坂幸太郎的なミラクルで軽々と超えていくシナリオの妙。
デモをする若者に警官が発砲し、死につつある若者を尚も後ろ手に縛って拘束すると、デモに通行を阻まれていたタクシー運転手が拍手をする。「国家安全法制」に支持表明をしたジャッキー・チェンも若者も警官もタクシー運転手もみな香港人。分断を見てほくそ笑んでるだろう権力者はさながら半グレのボス猿の面構え。世界で起きている分断を追う元NHKのキャスター堀潤氏は言う、「大きすぎる主語には注意が必要だ。真実を見極めるためには、主語をもっと小さくする必要がある」。
これがなぜ映画になったのか不思議と言うしかない。この手のシャレがわからないのは野暮というものなのかもしれないが、僕にはシャレになり切っていないと思えて仕方がない。おふざけ映画は大好きだが、ふざけ方も中途半端だし、笑わせようとしている工夫が、工夫と言えるものになってないと思う。ギャグはデジャブ感満載で、忘年会で上司のオヤジギャグを延々聞かされているような感じ? 往年のテレビコメディ『クレクレタコラ』が妙に懐かしく、改めて好ましく思ってしまった。
この映画を「爽やか」と形容すると、失礼な気がする。観終わって襟元を正したくなった。コロナ禍のなかで観たからそんな気がしたのか、小寺さんや近藤君の流す汗粒が、真珠のような気品のある渋い光沢を放っているのではないかと思った。小寺さんはボルダリングのウォールをひたすら登る。わざとらしい気負いは何もなく、凜としていて美しい。近藤君は彼女に恋をし、影響されて卓球にのめり込む。人が等身大であることの心地よい充足感がここにある。
野球を観客席からのみの視点で描くということだけでも優れていると思ったら、舞台の映画化だという。全国高等学校演劇大会の最優秀作。キャストは舞台の時のままの俳優陣だという。甲子園の第一回戦の試合はまったく見せず、観客のリアクションだけで試合の模様を伝えているが、余計に緊迫感を感じさせる。応援に来たスタンドの少年少女たちのキャラクターが、実際のモデルでもいたのか、きめ細かく瑞々しく描き込まれている。胸のすく思いを抱かせる映画である。
政治事象を巡って様々なところに見られる「分断」、最終的に浮かび上がってくるのは、無知=無関心と知ることの分断だ。この分断によって「由らしむべし、知らしむべからず」の権力者が最も得をする。人災としての3・11や、沖縄基地反対の真意を知らしむべく、発言を始めた二人の女性を中心に「分断」を超えようとする努力を描く。ただ、世界各国に飛び回る堀氏のジャーナリストとしての幅広さを示すあまり、裾野を広げ過ぎて総花的、焦点が明確に結ばないのが残念ではある。
タコ、イカ、カニが開発中の薬品によって巨大化、食ってみたら旨かったので怪獣グルメが流行るという、怪獣ものとグルメ番組を合体させた映画。「三大グルメ」の怪獣が、「三大怪獣」のグルメに、言葉遊びレベルの発想だ。デジタル化の弊害だろうが特撮、というか合成の質は限りなく低いし、有名人カメオ出演のグルメ番組演出も凡庸、登場人物の三角関係も端的に図式的、事後のドキュメンタリー番組で説明してしまう説話もどうなのか。安直な発想に見合って演出の全てが安直である。
無我夢中でボルダリングに励む女子、自分の好きなことに真っすぐな彼女に惹かれて、周囲が次第に感化されてゆく。自分が何をしたらいいか分からない、他人の目が気になって好きなことを好きと言えない等、周囲の生徒たち(そのキャラも多様で飽きない)の思春期の不定形な心理をうまく掬い上げている。主人公男子が頑張り始めると、それまで一緒にダラダラ過ごしていた仲間がちょっと距離置いたりする辺りの微細な葛藤も面白いが、あまり展開されていないのが少し残念だ。
アルプススタンドのはしの方で、試合に対しそれぞれの距離感で試合を見ている四人の会話から、それぞれに抱えている屈託が明らかになってくる。はしの方だけでなく、応援席メインの吹奏楽部の三人、応援席を縦横に動き回る教師など、次第に空間、人間関係が広がってきて、最終的にオフの空間(フィールド)のエース・ピッチャー=ソノダや万年補欠ヤノの存在感がにわかに際立ってくる展開が意外性に満ちていて見事。原作脚本の出来がいいのは間違いないが俳優の顔がみんないい。