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「ババドック 暗闇の魔物」で、優れて奇抜な演出を見せつけたジェニファー・ケントが、比較的落ち着いた演出でオーストラリア史を描いている。しかし映し出されるのは、映画祭で途中退席者を出すほどの地獄の光景。とはいえ、それは観客を驚かせるための露悪というわけではなく、主人公の白人女性と先住民との共闘関係と尊厳をうたいあげるシーンによって、歴史の事実をそのまま描くんだという強い意図と信念があったことが分かる。監督の妥協ない姿勢に背筋が伸びる思い。
韓国娯楽映画の暴力描写は子供にも容赦がない……! 児童虐待の生々しい表現や子役たちの迫真の演技に圧倒させされる一作。全篇ありふれた演出や予定調和な展開に占められてはいるものの、そのなかでやはり暴力シーンが突出していて、体罰の前触れとして母親が髪を縛る象徴的な仕草をするシーンに背筋が凍りつく。一方、虐待問題をうったえながら、その原因を“母性の欠如”だとしている部分があり、それを男性たちに断罪させるといった偏りの見える構図には大いに疑問が残った。
キム・ユンソク演じる、愚直に証拠を追う刑事の苦々しい表情と、チュ・ジフン演じる、刑事を意のままに動かしていく殺人犯の憎々しい表情の好対照が作品の対立構図を象徴。サスペンスフルな前半の脚本や演出は、大風呂敷を広げわくわくさせてくれるが、その期待に応えているとはいえない後半の展開が残念。せっかく興味深い実話を基にした物語なので、無理に娯楽的なつくりにするより、リアリティを重視した内容にするか、逆に娯楽表現に振り切った方がハッキリして良いのでは。
登場する人物の内面の声をシーンにかぶせるなどの演出があり、劇映画と融合する部分のあるドキュメンタリー。だがシーンの意図は明らかにされないため、観客が映し出される内容を判断していかざるを得ず、鑑賞者の能動性と知識が必要とされる。とはいえ、特定の民族や女性への差別と貧困問題からくる搾取構造が根底に描かれていることは明白。少女の結婚にまつわる詳細は語られないが、自分の生き方を決めることができない人間の声なき叫びが聴こえてくるような怖ろしさがある。
支配する人間の無慈悲さ、暴力の陰惨さ。支配される人間の無力さ。その両者を一切もらさず映しとった映像。とりわけバイオレンス描写は画面を直視するのにかなり忍耐が必要。その一方、ヒロインが先住民アボリジニの青年に導かれて憎き英国軍将校を追う森の中の場面は美しく、幻想的。夫と子供を殺されたヒロインの復讐心、その個人的な憎悪を青年の存在が超えさせる。抑圧されているオーストラリア先住民の問題が、復讐と合体して大きな流れに。監督の意気込みが画面に終始充ちた力作。
むごい話である。2013年に起きた実際の事件に基づいているそうだが、児童虐待事件は日本でもしばしばニュースになる。映画はあくまで児童の視点で描かれ、虐待を受けている女児が助けを求めているのに、周囲の大人はなぜ助けないという一点に集約される。暴力を加える継母は論外にしても、彼女の心情にほんの少し目を向けていたら、ドラマに厚みがでたのでは…、とは思う。いま目を逸らしたらいけないテーマだが、痛ましさに心は晴れず、お薦めするのをためらう気持ちがちらり。
この場合の暗数とは、犯人の供述(自白)はあれど、警察では把握していない殺人事件。韓国で実際に起きた連続殺人事件を基にしたミステリーで、刑事と殺人犯の攻防が映画の見どころだ。上層部の反対を押し切り地道に捜査を続ける刑事の矜持が物語を引っ張り、対して7人殺しを誇らしげに供述する犯人役チュ・ジフンのサイコ演技は鳥肌もの。己を誇示するような薄ら笑い、その奥にある狂気……。並外れた利口者か、人格異常者か。表情、仕草など、役作りが際立つ。悪夢を見そう。
3本の糸による弦楽器を弾く村人、不思議な文字で書かれた季節、記録されたアマジグ族。楽器も文字も民族も初めて目にする。そしてアトラス山脈が育む自然とともに暮らす彼らのプリミティブな営みに感嘆する。野に命が芽吹き花の満ちる春、収穫の秋、宗教行事。一方、結婚のために学校を辞めて都会に出ることを当たり前に思っている姉に対して、弁護士を目指し学業を続けたい妹。伝統に根ざした生活文化と、姉妹の思い。変わらないものと変わりゆくものが並存し、静かに浮かび上がる。
西部劇調の復讐譚の中で人間の業を描き切った見事な映画であると思うと同時に、映画表現における残酷描写について深く考えさせられた作品であり、映画はなるべく自由であってほしいと願いつつも、目の前で母親を強姦され泣き叫ぶ赤ん坊を壁に叩きつけて殺す直接描写に限っては自分の許容をはるかに超えており、かようなことを容赦なくやることがとりわけアート系映画では美徳とされがちという風潮に懐疑的なのも、あくまで個人的な心の問題で……映画の出来はいいと思います、はい。
この映画で描かれている以上の虐待が今この瞬間も世界中で起きているのは分かっており、それを映画にする文化的、社会的意義を否定するつもりもないが、子供が酷い目にあう直接描写が何よりも苦手な自分にこの作品を直視することはできず「毒親の非道は充分伝わった……これ以上の虐待描写に何の意味がある……しつこいぞ、もう勘弁してくれ」という願い虚しく、とどめのド直球を投げつけられたあげく最後だけイイ感じに締められたところで吐き気止まらず評価不能……ごめんなさい。
静かな情熱を燃やしながら粛々と事件を追ってゆくキム・ユンソク演じる刑事の地味なキャラクター造形が映画が進むにつれ魅力的、立体的になってゆくのに対し、序盤こそミステリアスな魅力を纏っていたチュ・ジフン演じる殺人犯は徐々にメッキを剝がされサイコパスもどきの薄っぺらな人間に堕してゆく対比が面白く、実録クライムサスペンスをアクションに頼らない骨太な物語として纏めた脚本も素晴らしいのだが、決定的なショットを捉えきれていない演出には少々物足りなさを覚えた。
モロッコの先住民族、アマジグ人の生活をつぶさに写した本作の主軸を担っている幼い姉妹が語らういくつかの場面で劇映画さながらの恣意的な演出が散見されることからこの作品が純粋な記録映画でないことは明白で、自然と共存し生きてゆくことの美しさと、しかしそれにより奪われている現代人が享受すべき自由とを対比させることで浮かび上がるのは人間にとって、女性にとって幸せとは何かという原初の問いであり、これは先進国に生きる我々にとっても根を同じくした問題ではないか。