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路線バスが京都の繁華街を出て、車窓の風景が変化していく。そこに「だんだん夜が夜らしくなる」というモノローグが重なる冒頭でノックアウトされた。現在も裁判が続いている、某大学対寮生との対立はあくまでもモチーフ。巨大な力にねじ伏せられてしまいそうな小さな力はどうすればいいのか、ヒントと勇気をもらった。大学にとって用済みのこの古い寮は、エリートにとっての理想郷ではなく、我々の生活にとっての映画館やライブハウス、書店、居酒屋なのだ。
映画、CM、MVなど、広いテリトリーで活躍する、撮影技師の監督デビュー作。テーマやストーリー、人物が抱える葛藤などはオーソドックスだが、ほどよくスタイリッシュな衣裳や画作りにより、退屈を回避。過不足のない情報を伝えつつ、日本と台湾、回想シーンと現在とで、それぞれのトーンをさりげなく使い分ける映像表現も巧み。台湾・高雄で撮影したパートは、初めてその地を訪れた主人公と一緒に、未知の土地に迷い込む感覚が味わえる、魅力的な“異邦人もの”に仕上がっている。
商業映画としては、役者の芝居、妙に間延びした編集、あまりにも色気のないカメラワークなど、青さが目立つ。しかし、メインの少年2人を演じる子役たちの青さが、時間経過とともに魅力へと転じ、作品を救い始める。特に、スーパーポジティブ&ハイテンションで常に周囲から浮いている香山を演じる子役は、全身にエネルギーがみなぎり、本物の喜怒哀楽を見せつける。シナリオをなぞるのではなく、キャラクターが物語を動かしているように見えるという点では、成功作。
山に残された猪の痕跡、12㎝の穴を地面に掘って作るワナ猟、捕獲した猪(の胎子は衝撃…!)や鹿の解体作業など、猟に関するシーンはネイチャードキュメンタリーとしてハイレベル。それ以上のインパクトを残すものが、千松氏が語る命の哲学と、その生き方。獣害を取材したパートにより、作品の軸が社会問題とどっち付かずになってしまった。森の仙人ではなく、真っ当さの純度を高めながら、社会と折り合いを付けて生きる千松氏を追うだけで、十分成立したように思う。
今や映画へのハードル(壁)は恐ろしく低い。スマホで撮りパソコンで編集すれば、小学生だって乗り越えられる。学生が作った未熟なものもかけてくれる小屋はあるし、ダメでもユーチューブがあるのだ。未見だが、元々のテレビドラマは中々のものだっただろう。それを未公開カットを加えて、手早く映画にしてしまう。お手軽感は拭えず、観ていて違和感がつきまとった。映画がそんなに軽いものだったとは!? やるべきものは山ほどあるのに、こんな形で肩透かしを食らった気がした。
「いい映画だろう?」と言われたら、「うん。そうだね」と答えると思う。が、血は湧き立たないし、脈拍も跳ね上がらない。ドラマを粒だてるお膳立ては出来ている。いや、出来すぎている。この設定で感動しないのは、しないほうがおかしいとばかりに言われている感じがして、天邪鬼な僕は反感を覚えてしまう。なぜ母は「僕」を置いて台湾に逃げたのか。それがよくわからない。母が「僕」に何か書こうとして何も書けず、白紙のまま封書にされた手紙を台湾に来た「僕」が手にするのだが……。
モチーフは多岐にわたる。差別、いじめ、虐待、親と子、死。どれも映画のモチーフとしては、取り上げられることがあまりに多いとしても、取り組むことに意義のあるものばかり。が、そのモチーフのそれぞれが、行き当たりばったりに中途半端な形で出現するような印象が強く、どれに集中して観ていいのかわからなくなってしまう。つまりはとても雑然としているのだ。あちこちつまみ食いをしている感じがして、本当の味を味わえない。映画にとっては技術が大切だと思わせた作品である。
わな猟師の千松さんは京大生の時、「自分で肉を獲れたらおもしろそう」と猟師免許を取ったという。獲った獣の肉は売らない。家族や知人と余すことなく分け合う。猟の時に千松さんは足の骨を複雑骨折するが、手術しないと足が曲がってしまうと言われても、ギプスをあてがうくらいの最低限の治療しか受けない。そうやって獣と向き合っている。終盤、罠にかかった猪との格闘は圧巻。棒で猪の頭を叩こうとする千松さんに対して、猪は口に枝を咥えて対抗しようとする。人も獣も対等なのだ。
自治的に運営されてきた大学学生寮の存続を巡るドラマだが、兵糧攻めによって大学に「無駄」を排除し、その跡地に「有益な」医学部研究棟を建てるよう誘導する経済至上主義、また「壁」を作って討議に応じず、決定事項と数の力で問答無用に事を推し進める権威主義など、この数年間見続けてきた政治権力の横暴が凝縮的に表現されている。とは言え政治映画というだけでなく、もっと見ていたい愛おしい空間と人物が織り上げる青春ドラマでもあり、脚本、演出の手腕も称えられるべき。
言葉が違う、弁当が周りと違うと周囲の差別的な目を内面化し、台湾人の母を拒絶していた主人公が、離婚によって母と兄と離れ離れになって、捨てられたと思い込むというのは矛盾、というか身勝手ではと思うが、それはそれで、その矛盾に満ちた葛藤をがっつり描くべきであって、そうした方向に大胆に踏み出していない。そのくせ主人公の心理的混乱を表現するのに細かいカットをやたら積み重ねたりする小手先の技術で画面を埋めようとしていて、努力の方向性が違うのでは、と思う。
やたらうるさい給食時の校内放送でみなにウザがられ、主人公にも変につきまとってくる少年が、実は自身も悲惨な家庭にいて、しかしだからこそ他人に関わろうとし、周りを変えていこうとする。この少年がこの映画の肝となるが、そのキャスティングに成功したことが本作の成否を決定した。いじめや虐待、未婚の母などシビアな問題が深刻になり過ぎずフワッと描かれているのも、これで観客の間口を広げているし、今どこにでもある問題との認識の表れと見れば、欠点に見えてこない。
目に見える徴から目に見えない獣の生活世界を読み取る過程や、必死に抵抗するイノシシを殴り、のしかかってとどめを刺すまでの数分に亘る壮絶な格闘を見ると、漁師は言わば獣化しているようで、しかしそれで初めて人と獣は均衡するのかもしれない。人が山に入らなくなったから、獣が町に下りてくるという。それだけ人間が獣に競り負けているのかもしれない。「獣害」は人が自然から自身を隔離しようとするからこそ生じるという逆説。人と自然はどうあるべきかを獣側から照射した作品。