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少女2人のジュブナイルものであると同時に、思いのほかシリアスな不倫ものでもある。それを女と男の対比に落とし込むのではなく、少女2人と母親2人の対比で描いていく。子どもと大人を分かつのは、清潔か不潔かではなく、「生」や「死」への感受性にあるとする脚本が秀逸。その脚本を手がけ、4人の女性の中心にある空洞としてまったくいいところのない男性を演じ、本作で監督デビューを果たした名優キム・ユンソク。未来の韓国映画を担う存在となる可能性十分。
劇中でもネタにされている『ストレンジャー・シングス』のシーズン1よりも1つ下、12歳男子3人による下ネタ全開のコメディ。ポルノ動画やドラッグへのアクセスのハードルが低い現代アメリカは『ちびっこギャング』の時代とはもちろん違うものの、ジェンダー描写に関しては笑いをスポイルすることなく細やかな配慮がされていて、そのあたりの綱渡りはさすがセス・ローゲンのプロデュース作。この種の作品で、同時代ポップカルチャーへのレファレンスが少ないのは欠点。
自然光と練られた構図による洗練されたルック。抑制が効いたセンスのいい劇伴。観客の倫理観を揺さぶる露悪的なストーリー。同郷のスサンネ・ビア(及びドグマ95フォロワー)の影響下というより、ミヒャエル・ハネケやリューベン・オストルンドの作品に通じる、ヨーロッパの裕福なインテリ層がいかにも好みそうなテーマと作風。主要キャラクターだけでなく端役の人物造形まで分厚く行き届いていて、監督としてだけでなく脚本家としても確かな力量がうかがえる。
ストーリーの面白さや作品の意義はともかく、映画的には凡庸な仕上がりだった「タクシー運転手」の脚本家オム・ユナの監督デビュー作。135分も尺がありながら、主題を台詞で説明するダイジェスト的導入部から腰砕け。のっぺりとした照明による緊張感のない画面から、ダメ押しのように興を削ぐミスマッチで大仰な劇伴。演出上の創意も、国外公開される近年の韓国映画の前提条件となっている国際水準の技術も覚束ない本作。印象に残るのは、描かれた歴史的事実の重さだけだ。
大人になれない親と大人になろうとする子供が足掻く。辛い構図だ。不倫して妊娠した挙句「ママは不幸な女なの」と娘を前に号泣する母親には辛さを超えて、腹が立った(実娘の年齢さえ忘れた父親は論外だ)。無責任な親に対して、過酷な現実から目を逸らさぬ、果敢な少女たちが「私は私を信じない」と本音を打ち明け合うシーンには、幼き者たちの心許なさにふれ、ドストエフスキー先生! と叫びたい気分に。カツアゲババア役にイ・ジョンウンなど贅沢な配役は流石キム・ユンソク監督。
ちょっと冴えない小学6年男子3人組という設定から既にツボ。好きな女の子なら、くしゃみもかわいいとか、ひとつひとつのウブな反応がたまらない。咄嗟に思いついた最凶の呪いの言葉が「家族をゾンビにするぞ!」とは、キュートの極みである。そんな3人が、和気藹々とした日常から、どんなに仲良しでも、ずっと一緒にはいらないことを肌身で知り「人にはそれぞれの道がある」とオトナの階段を駆け上がっていく、大冒険的展開にもグッと来た。タイトルに偽りなしのGOODな映画だ。
自分の力でのし上がってきた強さと、恵まれない少女時代を送ってきたことによる自己肯定力の弱さ、主人公の相反する資質を、T・デュアホルムが強さを前面に弱さ控えめの絶妙な匙加減で体現する。意のままに事を運んできた女王アンネが、夫の振る舞いに動揺するクライマックス・シーンでは、いつしか観る者が女王と共犯関係を結ばされ、映画を観ていたことに気づいて、震撼した。ラストの吹っ切れた(開き直った?)ようなアンネの眼差しをどう受けとめればよいのか未だに答えが出ない。
日頃から言葉を疎かにしている自覚があるので「言葉は精神だ」という台詞が耳に痛かった。40歳を過ぎて読み書きを学んだ主人公が、街中の看板や小説を読み、世界を広げていくよろこびを名優ユ・ヘジンがあかるく体現する。言葉同様、礼儀も大切だ。怪我人を見たら、まず怪我の理由を尋ねる礼儀を弁えた主人公は、やがて同志の窮地を救う。主人公の幼い娘(可愛い!)は、本作を観ている私たちと同じ、今という時代を生きているのかもしれない。観る者を自分事にする、力のある映画。
女子高生ジュリは父親が不倫をしていることを知る、という核心の部分をすっ飛ばして始まる冒頭。不倫相手の店を覗くジュリ、それを睨むその女の娘で同級生のユナ(演じるパク・セジンの面構えにグッとくる)。このお互いの親の不貞で知り合う二人の軋轢、大人になれない親たちの葛藤が交錯し、「秘密」によって変化するそれぞれの人生を丁寧に描いている。「チェイサー」などのキム・ユンソク初監督作品で自身も父親役で出演しているが、中年の悲哀を滲ませる軽妙な演技が新鮮。
全篇過激な下ネタ満載だが、主人公3人はギリギリ純粋な12歳。それが下品になりすぎず、なおかつ笑いの相乗効果を生み出している。監督・脚本は「バッド・ティーチャー」で新しい視点のコメディを生み出したコンビ。舞台は現代だが、テイストは80年代の思春期友情もので、そのジャンルで育った彼らのアンサー的作品と言っても良い。小さな冒険の中で友情を確認し合い、成長し、それぞれの道へと歩み出す、というパターンを踏襲しながら最後まで笑いの手を抜かないのが最高。
日常に潜む性的な欲望に堕ち、深みにハマる中年の女。しかし、その甘美なファンタジーが日常を崩壊させるということに気づいた瞬間、女はすんなり「現実」に戻る。だが、相手は17歳の義理の息子。もう取り返しはつかない。衝動的な肉体関係から起こる悲劇は古今東西で繰り返されるが、それは善悪や倫理とは別の問題で、それが厄介だ。彼女にも、少年にも複雑な背景があり、それが彼らを結び付けてもいる。森は全てを知っている、という暗喩が冒頭と見事に繋がり、深い余韻を残す。
日本統治時代の韓国、実際にあった事件を市井の人々の目線で描き、全篇笑いあり、涙あり、アクションありで飽きさせない。と思ったら「タクシー運転手」脚本家の監督作だった。主人公はいい加減なお調子者だが、弾圧に対抗する人々と偶然知り合い、戦いに巻き込まれていく、という展開も近いが、この非識字者の男が「言葉」を守るために自らを犠牲にして立ち向かう姿にはやはり胸が熱くなってしまう。虚実皮膜のバランスが絶妙、クライマックスの舞台が映画館というのも上手い。