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相変わらず完成度が高い韓国映画。いま日本映画界でこのような文学的作品は製作可能だろうか。人間性の深い洞察や出来事に対して起きる矛盾した想いの煩悶や容認。この内容で日本のプロデューサーはGOサインを出せるのか。人はそれぞれ信じているものが異なる。いや、何かを信じている「自分自身」が信じきれるかどうかだ。政治家であれば、政治を信じるのではなく、政治を信じている「自分自身」が信じきれるか。この作品の題材は、映画製作という大きな欲望にも通じる。
中国武漢で発生したとされる新型コロナウイルス。中国政府の様々な公式発表は到底信頼できない。劇中でも政府が認めたものだけが正規となり、それ以外は偽物という定義。内容ではなく政府による認証がすべて。だから政府が発表したものには偽物や嘘は絶対にない。国家からしてそういう定義なのだ。しかし血の通う国民はすべて都合よく定義には収まらない。どの組織にもはみ出す者は必ずおり、その人間が少しずつ社会を変えていくのだ。国家ではなく国民の幸福を優先する姿勢。
最近では珍しいタイプの戦争映画。ベトナム戦争で米軍に加担した豪州。東西冷戦の代理戦争は泥沼化。敵の顔が見える至近距離の攻防は、ときには敵とのドラマを生んだはずだが、それは一切描かれず、少人数で激戦を勝ち抜いた果敢な豪州を賞賛する内容。よくある複雑な現代社会の曖昧な正義ではなく、非難されるベトナム戦争で隠されてしまう英霊と帰還兵を称える右翼的思想。これが豪州の消えゆく、もしくは再生するアイデンティティのひとつか。このような映画の存在は重要。
2013年に「リアリティのダンス」が公開されたとき、日本でホドロフスキー作品上映に24年のブランクがあった。「これを見るために20年間生きてきた」と思った。芸術家は作品を発表していないときも不可視の作品制作をしている。芸術家の人生とは巨大な芋虫のようなもので、様々な条件で作品が世に出るとき、その芋虫の断面が可視化される。そして血流が過去作品へ通う。ホドロフスキーほどこの定義が当てはまる人物はいない。サイコマジックはその不可視の時期に完成。必見。
選挙を控えた政治家が家族の起こした交通事故と殺人を偽装する松本清張テイストの前半は日本映画的な緩慢ペースでやや眠い。中間を越えた頃から一気に韓国ノワールな演出に転換、猟奇的キャラの登場、暗示とツイストをぶちまけた急展開で緊張が高まり、広げた風呂敷をどう収束するか期待させる。が、観念的要素を残したまま物語は閉じ、ミステリとしては残念な結末。冒頭の尾篭なモノローグの含意は私が男のせいか見終えて何となく理解できたが、主張が作劇に反映しきれていない。
インド製ジェネリック薬=インジェネがモチーフの映画は珍しい。グレーゾーン商品だが日本国内にもED治療薬や発毛促進薬のインジェネは出回り、購入経験者にインドの知財特許事情やアンチ派からの粗悪品説はおなじみ。それでも安いし効くから手を出すのだ。医療保険制度の手厚い日本ではインジェネを選ぶ必要性が低く、関心のない人々に本作の核心は理解しにくいかもしれない。映画は人物造形に味があり快調だが、インジェネ問題を脇に置くとステレオタイプな人情喜劇の域を出ない。
あまり知られてないオーストラリアのベトナム戦争参戦を描く。彩プロ配給の戦争映画は去年の「アンノウン・ソルジャー」もそうだったが、接近銃撃戦で歩兵が次々と死んでゆく陰々滅々な内容が多い印象。だが私はそんなヒロイズムなき戦場描写に燃える。そもそも豪軍は同盟義務による援軍なので戦勝メリットが小さく、目的意識の低さを示す序盤とラストの汚れたシートにくるまれ転がる死体の対比が参戦の虚しさを強烈に物語る。エンドロール末尾に出る戦死者の年齢には胸が痛んだ。
終盤、大人数を本気にさせててビックリなホド爺のオレ流演劇セラピー。10件の治療を記録し、経血で自画像を描くとかキンタマ握って男性性回復とか、パフォーマンスとして面白い(かつ下品な)部分もあるが、純粋に疑似科学だし効果の現れた場面の抜粋だし、入場料払って映画館で見よと薦めるほどでは。DVD特典かサブスク配信なら少しは有意義に感じるかも。とくに自宅で全裸になって観賞したら効きそう。まぁホドロフスキーなら何やっても許されるってことなのだろう。
韓国発のノワールな雰囲気はやはりゾクゾクする魅力があるし、ハン・ソッキュとソル・ギョングの演技対決も文句ない出来栄え。轢き逃げ事件の被害者、加害者の父親各々の事情を描くため144分の長尺も仕方ないかと思いつつ、それでももったいなさがある。ある重要な人物の出し惜しみ方は意図的ではあろうけれども、暗黒の精神を持ったキャラだけにもっと描き込みが必要だったのではないか。主人公たちの屈折した心理を匂わせるだけの演出も、狙いはわかるが微妙に曖昧過ぎる。
医療費の問題は各国様々だが、日本でも概算医療費の上昇化が進んでおり、薬の認可の不合理さは他人事ではない。実話を基にした本作は医薬品を巡って、ダイレクトに人間の選別の原因となる貧富の差に触れる。経済力のない人間の藁をもすがる思いの描写は細かい。ただ映画的には非常に地味な作りで、単調さは否めない。やさぐれた青年が主人公に心を許した後の展開なども月並みだし、バスを見送って人々が手を合わせるカットも安易に流れていて、もう少し個性的な演出が欲しい。
寡聞にしてベトナム戦争におけるロンタンの戦いを知らなかったので、若いオーストラリア軍兵士に容赦なく襲いかかる砲弾に胸が痛む。ただ、演出にもっと工夫がないと二番煎じの映画に見えてしまう。すでに過去にもベトナム戦争を扱った様々な映画で、極限状態の兵士たちの異様な精神状態は繰り返し観てきているし、ホラーばりに人が死ぬ描写も体感してしまっている。何か頭抜けたものがないと、ベトナム戦争を描いた大量の映画群の中では、印象に残らず埋もれてしまう気が。
ホドロフスキーの一貫した世界観の中で、オムニバス的に撮られた簡易なドキュメンタリー。そこには過去の作品を彷彿とさせるアートな悪趣味さ、大仰さ、ドラマティックさが溢れる。サイコマジックを担うのは、昔からホドロフスキー作品に連綿と出演してきた名の知れない人々が持っていたであろう、思いがけない形で自分をさらけ出したいという変身願望だ。ホドロフスキーという名が持つ護符的要素が活用された、被験者と導き手が共犯であるショック療法。ただ、ちょっと乱発気味。