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犯罪者の子が背負う苦悩、罪人への赦し、人は改心できるのかといったテーマは真摯で重い。だが、母親も含む善人顔をした村人たちの陰湿さ、父親が悪事を働くときの水を得た魚のような高揚感、容赦のない暴力描写、神父が父子を向き合わせようと画策するシーンのおかしみなどがアンバランスに共存したことで、奇跡的に軽やかで抜けのいい後味を残す。宗教画を意識したと思わせる明暗差の強い照明に着目すると、作り手がどの人物に真の悪を投影しているかがわかる。
ホラー映画の殺人モンスターにとって、特殊な武器や能力はなにより重要。本作の、他人に擬態する能力を持ったモンスター“擬態人間”の脅威に晒される人たちは、みな頭がイカれており、奇しくもバトルロワイヤル的な構図になっていく。そのため、擬態人間による殺戮以外にも、独創的かつ多彩なスプラッター描写がふんだんで、満足度は高い。蜘蛛の糸のように腸を使うシーンは笑いの領域に到達。効果的な音響や劇伴に比べ、録音が残念。たびたび台詞が聞き取れなかった。
監督は恋愛映画の名手として評価されてきたが、本作を観て、“恋愛にまつわる感情”を通して“時間”を描く、〈ビフォア三部作〉のリチャード・リンクレイター監督に並ぶ存在だと認識した。再開発で激変する下北沢を舞台に、元カノへの未練をポケットに忍ばせて日常を送る主人公を描くことで、時の流れの中で変わりゆく街と、時が流れても変われない主人公がコントラストを生み出している。主人公の心の時計の再始動を示唆するケーキの扱い方も鮮やか。甘い余韻を残す。
ご近所トラブルは他人事ではないので、お隣の騒音おばさんに悩まされる主人公に感情移入して鑑賞していると、タイトルから始まっていた仕掛けにまんまと引っかかった。中盤でお隣さん視点の描写に切り替わると、主人公の視野の狭さや他者に対する想像力の欠如が明らかになっていく。小説家の主人公は、編集者から「人物も展開も表面的で深みがない」と弱点を指摘される。その言葉は、先入観に囚われて(登場)人物をジャッジする、筆者のような観客を巧みに批判する。
「親があっても子は育つ」と、太宰治はよくぞ言ってくれたものだ。親の罪は子供の罪よりずっと根が深いし、今に始まったことでもない。ユートピアだったと勘違いされている江戸時代には親は子供を商家や女郎屋に当たり前のように売り飛ばしていた。で、この映画は半ば実話らしい。親というのはいつの時代もろくでもない。進一君は何も悪くないのに、悪父のせいで不遇をかこちまくるが、それでも父を思って生きている様が涙なしでは見られない。いいね!
グロテスクでエネルギッシュなシーンが続き、次第に息が詰まってくる。そういう効果を狙っていたとしたら、成功している。が、シーンの強烈さに心を奪われて、意味が読み取れない。あるいはすべては脳内妄想なんだと無理に納得しようとしてしまう。ホラーものは嫌いではないし、こういった斬新な絵作りにも抵抗はない。だが、作品に入っていけないのだ。蚊帳の外に置かれているようで、妙な疎外感に捉われてしまう。マニアでない限り楽しめないのだろうか。
主人公には目的がなければならない。目的があるから行動し、それを阻むものが出てきて、ドラマが生まれる。そんなシナリオ作りの基礎、外してますよねえ。街の住人たちは、何か明確な目的を持って生きているようには見えない。みんな小さな葛藤を抱えているが、青筋を立てるようなことでもない。欲望とか野望とは無縁に生きている人間たちが、「置かれた場所」に綺麗に咲いている。日本人は本来こんな風に生きてきたのではないだろうか。この映画が好きだ。
映画のもとになったのは、十数年前に、早朝から布団を叩き、ラジカセから大音量の音楽を流して、近所の住民に精神的苦痛を与えたとして逮捕された奈良の主婦だろう。その主婦はワイドショーなどでこぞって取り上げられ、ギャグのネタにもされた。面白い映画にしたものだ。善良な一人の主婦が滑稽なモンスターにされていく。本当の悪は不特定多数の無責任な我々である。初め笑っていた顔がやがてひきつってくる。荒っぽいが、人を引きつけるには充分だ。
親の「悪魔の血」が息子にも、で、息子が村から追放されるという設定がスゴい。何時代だ。といってフォークナーか中上かという神話的親子関係を構築するでもなく、教会が出ても宗教的赦しを描くわけでもない(そもそも旧教の罪や赦しの概念を考えているようでは全くない)。ヤクザの暴力描写、コメディ的場面、息子の成長物語、様々な要素がバラバラで生煮え。一本の映画として見た時にどう見えるのか、計算ができていない。まだ長篇映画を演出できる熟度にないということだ。
父親に虐待されていた児童に虐待をし続ける実験によって、自己防衛のために擬態を身に着けた擬態人間を生み出す、という話なのかと思うが、一体何に擬態するのか、虫なのか恐れる対象である父なのか。前者ならSFモンスター映画に、後者なら分身の心理ホラーになりそうだが、そのどちらでもなく、ナマハゲみたいなのが出てくる。なぜナマハゲ?擬態なら擬態で、理屈は通してほしい。人物関係もよく分からない。脚本の構成をより緊密にすべきだし、台詞が聞こえない録音も難。
今年だけでも既に何本目かという監督だが、それだけ乗っているということだろう。こういう勢いがある監督は今どき貴重なので評価したい。下北沢を舞台にした群像劇、キャストがほぼ新人で、いかにも下北にいそうな感じでリアル。人物造形、その出し入れがさすがに上手いので、世界の中にいつの間にか入りこまされ、笑わされている。映画としての完成度自体は「his」や「mellow」よりも良いように思う。ただ、どうしても「小器用」という言葉が浮かんでしまう作品ではある。
騒音おばさんが実は真っ当な人だったら、という発想が面白い。ただ、いささか直線的。「被害者」の視点とおばさんの視点で同じ出来事が語られ、台詞も違っていて観客を惑わせるが、その不確定性は持続せず、おばさん視点が正しいというのが結構早い段階で明らかになってしまう。どちらが正しいのかを逆転させる展開の面白さよりは、どちらが真実なのか分からないという曖昧さのサスペンス、どちらも理があるように見えるという人間社会の複雑さを選ぶ選択もありえたかと思う。