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ドキュメンタリー映画というより、どちらかというと現代美術におけるビデオ・インスタレーションの形態に合いそうな内容で、席に座ってじっくり観る作品としては万人向けではないと思える。だが、そういった枠組みを壊していく目的も、試みの内にあるのだろう。最も近いと思えるのは、延々と尻を映し続けるといった、過激なコンセプトのオノ・ヨーコの実験作「ナンバー・4」(66)で、コンセプトの面白さの点ではツァイ・ミンリャンが遅れをとっているように思える。
長篇デビュー作でここまで撮れてしまうとは……! 家庭の複雑な権力構造から生み出される暴力性を描きながら、それでも寄り添わなければならない現実を巧みに描いている。女子中学生の何気ない日常にばらまかれた幸福や苦痛が、子どもの視点からリアリティを持って描写できる能力にも目を見張るが、おそらくは主人公と同じく監督自身の分身であるところの大人の視点を存在させることで、立体的かつ説得力のある世界が出来上がっていて、エドワード・ヤンを想起させられる。
自由な精神を持っているからこそ、誠実だからこそ失墜していく。セルゲイ・ドヴラートフは亡命し成功を収めたが、その一方、祖国で腐っていった才能がどれほどいたのかをうったえかけている熱い作品だ。空気遠近法によるショットが主人公を取り巻く凍てついた環境を表現。破棄された原稿が無残にばらまかれた中を歩く象徴的なシーンは、テオ・アンゲロプロス作品を想起させる深刻な美しさを放つ。同じように閉塞的な社会で、ものを書いている端くれとしても共感させられる。
本作を見る限り、北マケドニアには男たちが裸で冷たい川に入り、十字架を奪い合う祭りがあるということで、日本の“一番福”だとか裸祭りなどと同じだなと笑ってしまった。そこに、就職活動に失敗した女子が乱入する展開を見せることで、自国の閉鎖性や女性差別を語っていく流れは面白い。だが、単に幸せになりたいだけの主人公はいいとしても、そこに彼女を利用しようとするフェミニストを登場させることで、女性を分断するような構図を作っている部分には強い疑問を感じた。
生身の人間が固定されたカメラという機械と向かい合い、クローズアップで撮影されている。これだけでもかなり興味をそそられる。寄りもせず引きもしないで、ひたすら瞳の動きやまばたき(すうっと眠りに落ちる人もいたが)、シワの動きから肌理までを捉えたカメラは、効果音のような音楽の使い方と相まって、映される人物の来し方を想像させる。今更ながら、人間の顔がこんなにも面白いとは……。画面に順次映る13人の顔に魅入られながら、インスタレーションの会場にいる気分に。
セリフが少なく、終始重い空気に覆われているが、中2女子に寄り添い、脇道に逸れない展開が潔い。韓国の1994年がどんな年であったかはさておき、地域の中の、学校の中の、そして家庭の中の、ヒロインの個としての自意識の目覚めが胸に響く。女子校生に特有の憧れや友人の裏切り。また、家族同士が目を合わせない、あるいはケガを負うほどの派手なケンカをしても翌日には並んでテレビを見ている両親の不思議さ。思春期の心に映るこれらに同情せず美化もせず。ドラマに芯がある。
“そこ、大事”的に言えば、主人公のドヴラートフは、例えばソルジェニーツィンやサハロフらの反体制知識人ではないということ。政治的な主張をもって国の体制を批判する訳ではなく、作家同盟の会員でもない彼が、自分の書きたいものを書いて作家になる道を模索する物語は、よってすっと入ってくる。ほんの少し主義を曲げて体制が求めているものを書けばいいのに、それができないドヴラートフの不器用さに共感する。主人公の姿は私たちかも……、が頭をかすめる。映像が美しい。
柳眉を逆立てて怒るかどうかはともかく、古来、とりわけ女性には、女性というだけで身の回りに理不尽がいっぱい。様々な「なぜ?」を、行動をもって問いかけるヒロインvs論理的な答えができない男性たち(母親も)。根強くはびこるこの構図を、就活、祭事といった身近なことを題材に取りながら、アイロニカルにコミカルに描いたこの映画、監督のユーモア感覚がなかなかのもの。それにも増して主人公の女優◎。理屈抜きで、まず応援したくなる。世界中のペトルーニャの希望だ。
ひたすら映されるジジババたちとにらめっこするだけの映画と思いきや、たまに喋る奴もいて、その話もパチンコで200箱出したぜウェーイとか、どうでもいい自慢話だし、襲いくる睡魔と闘っているこっちの気も知らず、ただ写されることに退屈して居眠りこいてる被写体のジイさんに「お前が寝るなー!」と叫びたくなったりもしたわけで、商業監督を引退した敬愛するツァイ・ミンリャン監督が今後この方向に突っ走らないよう切なる願いをこめて自身初の一つ星を謹んで進呈致します。
女性監督にしか撮れないであろう柔らかな雰囲気の中で少女の美しさと儚さ、愛情の残酷さを描くにとどまらず、韓国が抱える社会問題も嫌味なく絡める絶妙なバランス感覚には天賦の才を感じさせるし、スクリーンには極上映画の香りが常に漂っているのだが、空気感重視の日常スケッチや程よく抑制された芝居などには、現在のシネフィル様が好むであろう領域に収まりきっているある種の無難さも感じ、若いならもう少し闘ってもいいのではないか、なぞオッサン臭いことも言いたくなった。
「ロシアの伝説的作家ドヴラートフの希望と共に生きた6日間を切り取る」と、チラシにあるが、この6日間というのが、なぜにそこを切り取るんだ……と言いたくなるほど地味で、ドヴラートフとその仲間たちがウダウダ愚痴を言うばかりのほとんど何も起こらない物語が寒々としたロシアの空気を見事に捉えた絶品の画の中で粛々と進んでゆき、この枯淡の味わいが終盤にはクセになってくるとはいえ、ドヴラートフの偉大さは最後までまったく伝わってこないという、なんかヘンな伝記映画。
30過ぎて実家暮らし、不美人(個人的には悪くないと思う)、太め体型(個人的にはイイと思う)な上に性格もひねくれている中年女ニートという一般的な映画ではなかなかお目にかかれないタイプのヒロイン、ペトルーニャにとって神とは何であるのか、というテーマがシンプルながら過不足ない描写で紡がれている、真っ直ぐで映画力の高い映画であり、人間として、女性としての尊厳を自らの手で取り戻し、神から解放された彼女が力強く歩いてゆく後ろ姿に祝福の拍手を送りたくなった。