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しかし、よくもこのような設定を思いつくなと感心。サバゲーとRPGを合体させたような世界。迷宮のようなダンジョンのなかを地図やヴァーチャルで展開し、医療や武器の使い方などすべて当事者ではない人間がその攻略法を伝授していく。そして次から次へと起こる災難。結局はゲーム感覚なので「攻略」という自身の眼前の諸問題と戦う。脚本はもはやどうでもよく、もはやゲームなので演出やカメラなどリアルかどうか、どういったトラップが待っているかということだけが問題。
単純な善悪は存在しない。人は歪な多面体で、集団や社会となるとさらに複雑で歪な多面体となる。劇中登場するスマホでの撮影やSNS投稿、そして要となるドローン。それらの出現により社会はさらに複雑化し、それによって社会が善い方向へ進むのか、悪い方向へ進むのか。どちらにせよ極端化するだろう。救済は決して訪れないし、奇蹟も起きない。ただ現実がそこにあるのみ。ユゴーの物語の根底には愛や改心があった。ロマンスや愛を見つけられないほど、この物語はリアルなのだ。
アラブの春はSNSによって民主化がもたらされ、シリアもそのあとに続くのだろうと安易に思っていた。しかし化学兵器や、市民が犠牲になった空爆の悲惨な映像を目の当たりにした。4年も経てばその記憶も薄れてしまう。あの戦争では何が起きていたのか。女性、母親、妻、そして活動家という今までカメラを持つことのなかった種類の人物による映像は、優しく包み込むような、そして怒りや憎しみではない癒しの視線なのだ。我々の「知らなかった」という言葉さえ罪になるのだ。
巨大な怪物といえば「ジョーズ」や「ゴジラ」が古典だ。前者は出現させない恐怖を、後者は出現する畏怖を表した。このムルゲはその時代の暴君が生んだもので、著しく姿を現すので後者のタイプとなる。巨大ではあるが宮殿内を暴れまわる姿は、大きさを感じさせず、どちらかといえばケージに入った可愛いペットさながら。むしろよく飼い慣らされているようにさえ見える。映画とは視覚芸術であるが、いかに視覚化されないものを現出させるか。その意味では感心できなかった。
北朝鮮最高指導者を救出(視点によっては拉致)するプロットはネットフリックス配信の韓国映画「鋼鉄の雨」にもあったが、本作はよりアクチュアルな政治状況を下敷きにしている。序盤のサバイバルゲームPOV風から中盤には医療サスペンスへ展開、終盤の驚愕映像まで猛スピードでアクションが驀進する力作だ。撮影の実験性、重層的ツイスト、タブーを盛り込む勇気など観客への奉仕精神が圧倒的。地味で湿けた家族映画や恋愛映画ばかり企画する日本の製作者は本作を見て猛省しろ。
とても面白い。多様な民族、宗教、ルーツの人々のコミュニティと化したパリ郊外の古びた団地を人種による分断の場と描くのではなく、折り合いながら共棲するアジール内の新たな対立に目を向けたのが画期的。肌色の違う彼らがフランスに同化済みなのは冒頭のシーンに明快で、私には理想の世界に見えたが、憎悪ではなく些細な人間的失敗から悲劇は生まれ衝撃的報復に至る。実話ベースなのに驚かされ、凱旋門に重ねたタイトル「レ・ミゼラブル」=“愚か者たち”に込めた思いが伝わる。
2016年、シリア内戦の激戦地アレッポで空爆に脅かされる病院を拠点に、医師たちの奮闘、そこで生まれ育つ子ども、破壊される市街などを市民の視点で生々しく記録する。目の前で起きる爆撃、血まみれの重傷者や死骸。命がけで撮られた凄絶な映像だ。監督はアサド政権とロシア軍を名指しで非難する。だがロシア報道では市街地に数千名いたとされる武装した自由シリア軍兵士の姿は写さず、アメリカやトルコの軍事支援にまったく触れない。意図的に伏せているならフェアではない。
古装時代劇に権力闘争の具現として怪物を登場させる設定は宮部みゆきの小説『荒神』や映画「ジェヴォーダンの獣」に似るも、めまぐるしい剣戟をふんだんに挿入し純粋にエンタメを追求した点に独自性がある。中盤から出ずっぱりで暴れ回る怪獣……というより巨獣は筋肉質タイプでCG製のハイスピードな動き。私の趣味からすれば着ぐるみの脂肪質怪獣がノロノロ動くほうが燃えるのだが、女優もかわゆいオタク好みのキャラだしモンスター映画好き男性観客には満足できる出来だろう。
現実の北朝鮮、アメリカ、中国の関係性と密接にリンクし、国家間の緊張を題材にしながらも、たやすく軽めな架空の設定に突入していく配分に戸惑う。瞬く間に立場が移り変わって苦境に立たされる傭兵の攻防戦は、複雑に入り組むカメラ映像などによって緊迫感が続くとともに、演出的に過密すぎて若干混乱をきたしている。監督のキム・ビョンウは「テロ’ライブ」で崩壊と自滅の美学を描いたが、本作にもそのモチーフは活かされており、クライマックスの降下の悲壮な美しさは白眉。
スパイク・リーが絶賛というのがよくわかる傾向の作品だ。移民や貧困、宗教という問題を多角的に捉え得る中で、精神が摩耗する小競り合いや暴力のみを通して日常描写を行っていく。それぞれの立場に言い分があり平行線を辿るしかない多様さの軋轢を、どこに比重を置くでもなくありのまま活写する鋭利さ。クライマックスの、あるトリガーから自然に蠢き出す生き物のような暴動の派生は息が詰まる。社会に翻弄されながらも、そこには常に個人の判断があるというメッセージは重い。
普通の生活を奪われ、命の危機に晒され続ける不条理の記録。その現場にいた者によるドキュメンタリーでしか写し得ない、爆撃の臨場感と、無造作に並べられた死体をただ見つめるどうしようもなさに圧倒される。あえて客観的であろうとしない当事者のカメラと語りは、一女性が遭遇する日常の損失を強調する。出産や遺体のショック映像に慣れはなく、常に驚愕や恐怖とともに眼前の光景に目を奪われているからこそ、戦争という無意味なものに巻き込まれる納得のいかなさが刺さる。
韓国の王朝時代劇は妖艶な雰囲気もあってなかなか当たりが多いのだが、本作は凡庸な物語に終始してしまっている。朝鮮王朝怪奇ネタで、ネットフリックスの『キングダム』のような秀逸な近作もあるだけに、この作品は権力争いの構図に個性がなく、モンスターの造形の魅力のなさも見劣りしてしまう。怪物の発生理由は霊的で良い着眼点だし、アクションも力が入っているが、登場人物がいささか記号的で、ほっこりした展開に持っていく突き抜けなさが予定調和を感じさせる。