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映画としては、よくある“デスゲーム”ものの一種で、突出した特長はないが、ジャンル映画の枠のなかで丁寧に作られ、最後まで飽きさせない。ゲームジャンルとしての「脱出ゲーム」は、部屋全体を調べたり、暗号を解くため数字や記号とにらめっこしたりと、作業感が強くストレスがたまりやすいが、映画では全部出演者がやってくれてカタルシスも得られるので、とても楽! 部屋が主役なので、美術スタッフがここまで重要になる映画は珍しい。続篇もあるようなので楽しみだ。
フィンランドの著名監督クラウス・ハロ、主演のベテラン俳優ヘイッキ・ノウシアイネン、ともに堅実な仕事が光る。市井の人が金策に奔走する作品は、面白く味があることが多いが、本作も例外ではない。端正な撮影で落ち着いた色彩の画面が好ましく、絵画の奥深さを孫に伝えようと美術館にやってくる場面や、人生最後の賭けのために、オークションで大勝負する場面が胸に迫る。脚本家が美術に理解があるところも評価できるが、あまりに型どおりに進みすぎるところは難点。
話題の新鋭ビー・ガン監督による奇想の一作。とくに3Dワン・シークエンスショットなる試みは、いかにも虚仮威し風に思えるが、シャガールの絵画に見られる生身での空中飛行を主観ショットで描く、狂気じみた発想と異様な文学性が、そこにおそらくあるはずもない必然性を感じさせて、手品を見せられているよう。奇抜な場面が続くなかで、少年との卓球勝負という、オアシスのような笑いどころも用意される。この才能を、このまま野放しにした方がいいのかどうなのか、謎だ。
ケネス・ブラナー監督・主演作らしく、役者が前面に出る演劇的な作品で、しかも題材がシェイクスピアとくれば、熱がこもるはずだ。中盤で暗闇に灯るろうそくの灯を前に、イアン・マッケランとブラナーによる、バストショットの切り返しが行われる会話シーンで、10分もたせる箇所が圧巻。とはいえ、あまりに演技が前に出るため、これが映画作品であることの意義を考えてしまう。家族一人ひとりにフォーカスする葬儀のシーンは、よほど思い入れがないとつらいところがある。
出だしは暗号を解き明かし、鍵を探して脱出を試みるゲーム攻略の頭脳派ムービーだが、第2、第3と部屋を移るにしたがい、ビジュアルと体力で見せるサバイバル・アクションに。ゲーム映画にビジュアルの仕掛けは必須とは承知しているが、最後まで体力勝負だったのは、いささかストレート過ぎてスリル感に欠け、食い足りない。それにつけても感謝祭の休暇をこのゲームに参加して過ごさなくても。こう思うと身も蓋もないが、この種の頭の中で考えた仕掛けで押しまくる映画は苦手なので。
絵画など、とりわけアート作品に魅せられた人間の心の内は、主人公の娘がそうであるように、周囲の凡人には理解しにくいところがある。この映画はこの点、つまり運命的に出会った絵画に人生をかけた画商と、家族の問題とをドラマにして、上手に決着させるところが好ましい。加えて、問題の肖像画(イコン)に画家の署名がない理由も知ることができる(恥ずかしながらこの映画を見るまで知らなかった)。つまるところ監督のクラウス・ハロは芸術と娯楽を融合させる手腕にたけている。
彷徨い交わるような現実と記憶と夢。これを独自のスタイルで映像化したビー・ガンという監督・脚本家を、相当ユニークな映像感覚の持ち主とみた。分けても後半部分の約60分をワンシークエンスショットで撮影したと聞いて見たが、カメラを回したカメラマンの大変さは想像を超える。おまけに画面がダークなことも手伝い、眼光紙背ならぬ、眼光「画」背の気合いでスクリーンを凝視。結果、B・D・パルマやW・カーウァイらを思い出すが、その誰とも似ていない煥発する才気を感じた。
監督・主演のK・ブラナーをはじめ、出演者たちの顔ぶれからしても、撮るべき人が撮り、そのもとに演るべき俳優たちが集まった作品だと、まず。謎の多い人物の、断筆した最晩年に興味を募らせて見たのだが、年上妻との微妙な関係や子供たちとのぎくしゃくなど、俗事に悩まされる描写が面白い。思えば、こういう性格だからこそ人の心に分け入る悲劇、あるいは機微に通じる喜劇が書けたのだ。腑に落ちた。会話や挿話の要所にシェイクスピア作品を挿入した構成もファンには嬉しい。
冒頭の量子力学の講義に高度な知的パズル映画の幕開けを期待してしまうと、その後のスマホアプリレベルのゲーム内容にズッコケてしまうのだが、アクションに重きを置いたテキパキした演出と分かりやすい展開にはこの手の映画に付き纏いがちな小難しい哲学は内包されていない上、バッチリ真相が分かる無邪気なオチや、大衆向けに抑制された残酷描写などもポップコーンムービーとしては間違っておらず、盛りだくさんなツッコミどころもデート後の映画談議に花を添えるゴキゲン要素だ。
頑固ジジイと生意気ボウズに芽生える友情には萌えるし、回転椅子を使ったさり気ない死の表現をはじめとした細かい演出にも感心させられたのだが、一番の盛り上がりを期待したオークションシーンが中盤で思いのほかあっさり処理されてしまう物語構成には首を傾げてしまうし、以降続く金策に奔走したりの地味で生臭い展開には、金儲けより仕事人としての矜持を貫かんとしている主人公に寄り添うことを放棄しているどころか、むしろマイナス方向に牽引しているような気まずさを感じた。
前半のノワール調の演出はすこぶるキマっていて、惚れ惚れスクリーンを眺めていたら、なんだかストーリーの方はあまり理解できていない状態のまま噂の60分ワンカットパートに突入しており、そこからはトリップ状態に陥って気が付けばエンドロール。退屈はしなかったのだが、頭に残った物語を反芻しようにも摑み所がなく、いうなれば夢やイリュージョンを見ている感覚の映像体験で、映画として面白いのかどうかまでもが判然としない。そもそも映画の面白さとは一体何なのでしょう?
家庭を顧みなかった報いとして嫁のみならず娘にまで冷遇され、しょんぼり庭いじりしている晩年のシェイクスピアの姿には同情を禁じえないし、そんな針のムシロに耐えかね「誰のおかげで立派な家に住めてんだ!」と大人げなく逆ギレしてしまう気持ちも分かる……なんて身につまされながら観ていたので、家族が再生に向かってゆく終盤の展開には救われた気分になったし、無駄なカット割りを削いだ落ち着いた演出も好ましいが、近年濫作されているこの手の伝記モノには流石に食傷気味。