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オーディションで伴奏無しで歌わされ、宿無し、孤立無援のヒロインのアカペラ感がすごくて、これは一体? と思ったら結末への伏線だった。見てるとふつふつと湧いてくる幸福感はキャプラ、ルビッチ、ノーラ・エフロン。いつも濡れているロンドンの路面の輝きに目がうるむ。人物たちの多彩な出自もクールで胸が熱くなる。音楽は「ピッチ・パーフェクト」をちらっと引用。ディケンズ以来の正しいクリスマス・ストーリー。見終わるとすぐに見直したくなる。映画館に通うぞ。
自殺動画を送信してきた少女の消息をたずねて、女優と監督(パナヒ監督自身が出演)が乗り組んでイラン奥地の閉鎖的な村へと分けいっていく一台の車。そのフロントグラスが物語を追う視点の定位置で、そこから前方を撮り、また車中の二人を撮る。自由な女への敵意をたぎらせた村へ、車を置いて人物がさまよい出ると「早く戻って!」と思ってしまう。車という撮影装置が軸となって不断に映画を生み出していくのは、運転手即ち監督だった前作「人生タクシー」と同じ趣向。
仏映画「最強のふたり」のアメリカ版リメイクだが、私はむしろ「グリーンブック」のリメイクのように見た。孤高の黒人ピアニストとその運転手の無教養なイタリア系無頼漢との関係が、四肢の麻痺したオペラ好きの白人富豪とその介助をする前科者の黒人との関係へ。前回はピアノ・ブギとショパンが混交し、今回はオペラとアリサ・フランクリンが融合する。共に実話。それぞれ子供みたいな作文、絵が可愛く、同性愛嫌悪の克服という隠れモチーフが両者に共通する。
「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」冒頭、まるで特攻隊の少年かと思わせる凛々しい表情で壮絶な死をとげたペイジ役のアジア系女優が気になっていた。「サイゴン・クチュール」を見終わって、それと知らずに彼女と再会していたことを資料を読んで知らされた。ゴ・タイン・ヴァンという名のその女性が本作のプロデューサーで、ペイジと同じ人とは思えぬたおやかな中年女性(主人公の母)を演じている。ベトナム映画界のリーダー的存在だという。主演作「ハイ・フォン」見たい!
冒頭の、旧ユーゴスラビアの教会で高らかに歌っていた少女が、ラストでは、イギリス・ロンドンのシェルターで歌う。どこにいても、センターでスポットライトを浴びるべき宿命の、明るいヒロイン・ケイトを、E・クラークがチャーミングに演じる(バスのシーンも素敵だ)。ケイトの母親を演じたE・トンプソン(原案、脚本も務める)や、ケイトが勤めるクリスマスショップのオーナー役にM・ヨーと、奇跡的なキャスティングもたのしい。そして懐かしすぎるG・マイケルの音楽に涙!
女優の未来を家族の裏切りで絶たれ、家出した少女。少女の命懸けの連絡に戸惑いながらも、撮影を中断して少女の村へ駆けつける人気女優ジャファリ。訪ねた村でジャファリは、隠遁生活を送る往年のスター女優と出会う。曲がりくねった一本道をたどった先で顔を合わせた、本来の居場所に「不在」の3人の女(巧い邦題!)の様子を、映画は意図的に見せない。対するジャファリの帰途を阻む絶倫雄牛や割札の伝統等、長々語られるバカげた男性的エピソードとのギャップ! シュールだ。
各々の人生に豊富と渇望を抱えた共通点を持つ「社会から無視された」二人の友情物語。オリジナルのフランス映画に、アメリカンドリーム(それは下町のアイスクリームのように、毒々しくも絶品らしい)が添えられる。大富豪フィリップ役のB・クランストンに加え、その秘書役、N・キッドマンの洗練が際立つ。ノーブルな二人に気圧されると、ムショ帰りのデルを演じたK・ハートのコミカルな芝居の魅力(これもまた、自由という名のアメリカンドリームだ)が半減するのでご用心を!
アオザイと家業の伝統に反発して、自分のファッションを確立しようと模索するヒロイン・ニュイがいきいきとしてチャーミングだっただけに、ラストのアオザイルックも、わかりやすいナチュラルメイクに変身!ではなく、彼女らしいフレッシュな着こなしを期待していた。母親役のゴ・タイン・ヴァンやジェム・ミーらの年季の入った佇まいに敵わず、残念。一方、エンドロールでやや唐突に踊り始めた、ニュイ母娘のダンスは素敵だった。踊り終えた後の、二人の物語の続きが俄然観たくなった。
全篇ワム!とジョージ・マイケルの曲に彩られたゴキゲンな(!)ラブコメ作品。主人公の自己中女ケイトが謎の男性と出会い、己を省みて変化していく、という定番の展開で、演じるのはエミリア・クラーク。『ゲーム・オブ・スローンズ』などカリスマ性のある役の印象が強いので、性悪なビッチでの登場は新鮮。後半、ケイトが旧ユーゴからの移民という設定やLGBTQなど社会問題をバランス良く組み込むことで、80年代テイストでありながら現代的なラブコメ、という印象になっている。
パナヒは、不屈の監督だ。この10年、イラン政府から映画制作を禁じられているが「これは映画ではない」と嘯き、虚実の壁、政府の圧力を軽々と超えた作品を発表し続けている。そのトリッキーなタフさたるや。本作でも“本人”として出演、「自撮りしながら首吊り自殺した女優志望の少女の映像」の真偽を確かめるため、少女に名指しされた女優ジャファリ(本人)と共に虚実皮膜な旅に出て、イランの映画史、現在を浮き彫りにし、さらには未来にまで言及する。リスペクトしかない。
大富豪だが四肢が麻痺している白人と前科を持ち貧困に苦しむ黒人、という社会的マイノリティ同士が出会い、お互いを救う。そんな実話を基にした一見“美しい”物語。私は障害を持った人のドキュメントを長年撮っているのだが、この二人の関係性はリアルだと思った。“障害者”と言っても、先天と後天ではまるで違う。大富豪が「自分は障害者になった」ことをあらためて突きつけられた時の絶望を描き、その後の希望を押し付けがましくなく提示しているところに制作者の誠実さを感じた。
サイゴンを舞台に69年から17年にタイムスリップした傲慢な女子ニュイが、否定していた家業のアオザイ仕立ての素晴らしさに目覚めていく、というやや強引な展開。ニュイが未来の自分とまるで親子みたいな関係になっていくなど「バック・トゥ〜」ほかタイムトラベル映画でおなじみのタイムパラドックス問題を完全に無視。69年を舞台にしているのにベトナム戦争も全く描かない。しかし演出は堅実で、変化を楽しみながら伝統を重んじる、というテーマを構造自体で表現している。