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老巨匠に引退宣言を撤回させたテーマは、まさに我々が毎日ネットニュースで目にするプラットフォームビジネスの裏側だ。舞台はイギリス、ニューカッスルだが、世界中どこにでも見られる光景だ。「ネット社会」は無駄を省き効率を優先する。一家族の「家を持つ」という定住の土地を求めるありふれた夢。家族の会話や触れ合い、共有する時間と空間を持ちたいとする目的は、グローバル経済とAIという非場所のシステムに支配され手段であったはずの労働環境によって粉砕されていく。
シュヴァルといえば澁澤龍彦はじめ多くが論じているが、岡谷公二さんの著作が最も詳しい。いずれにせよ奇人変人史上の最上位人物。そんな人間を妻と家族とオートリーヴの自然をこよなく愛し、それを美男美女の役者を起用し美しすぎる感動作に仕上げてしまったことに驚愕。SNSやメールのない時代、雑誌や新聞、手紙から得たイメージで「世界」を丸ごと再現してしまった理想宮。そこに今や「セカイ」しか再現できない私たちの哀しみをタヴェルニエ監督による「シュヴァル」に見た。
エッシャーは自身のことを数学者と呼んだ。家族の証言を補助線にエッシャーの日記によって展開していく物語で特に気を引いたのはサントラだ。サイケロックから、バッハ、モーツァルト、ホルスト、サティなどのクラシック、そして現代音楽。エッシャーの作品にはあらゆる種類の音楽が驚くほどマッチングする。正統の美術史とは一切関係のない、独自の手法で「世界との関わり」を追求し、超個人的でもあり全人類的な意識は、音楽のジャンルをも超越することを説明可能にする。
1970年代アメリカで最も有名な殺人鬼になった理由とは、頭脳明晰で容姿端麗なバンディの裁判の様子が異例的にテレビ中継され、全米に知れ渡ったためだ。いわゆる劇場型。日本の金嬉老事件や浅間山荘事件も前後同時期。テレビの一般普及とそのマスイメージの形成は、視聴者にも当の犯罪者自身にも影響を及ぼす。特にカメラの前だと自分は完全に無実だということを演じてしまう虚像性。バンディとは優れた映像役者然の素質と才能を持ち、殺人の快楽から映像の快楽に溺没した。
老巨匠による良心作だが、本作が描く底辺労働者の生活過酷化は私のようなフリーランスには切実な明日で、そのリアルを延々見るのは苦しかった。だから同じ気持ちになろう人々に高い入場料まで払って本作を見よとは勧めにくい。見ながら夢想した。70〜80年代を生きた内田裕也や本間優二、デ・ニーロのトラヴィスは同じ境遇をどう突破したろうと。本作に不足なものがそこにある。映画は野蛮に現実を破壊しなければ。我々は飼い犬ではない。行儀良くしても餌にはありつけない。
世界から観光客を集めるシュヴァル理想宮。その作り手と妻のつつましき人生や夫婦愛を絵画のような映像、静かな音楽とともに淡々と描く。村里の郵便配達員の質素な日常と悲嘆が積み上げた独創芸術の宮殿という奇蹟。豊かな人生の秋を夢見させるのも間違いなく映画の使命だから、すでに安定を得た人々に本作は至福の時間かもしれない。しかし日本に住む現役世代の多くにはこんな理想の晩年はやってこようはずもない。煎餅布団の中でわびしい夢を見るしかない人間には無用の物語だ。
若い頃画集をよく見てエッシャーは知り尽くしたと思ったが、本作のようにVFXで絵を動かしたり彩色すると新鮮なアニメになってイメージが豊かに変貌、迷宮映像に引き込まれる。グラハム・ナッシュの登場やウッドストックのフッテージ使用などロックとの関係提示も面白いし、エッシャーの意地悪な返答もいい。終盤の映画や舞台、ネット動画にあるエッシャー画の立体化例も楽しく、料金を払って見る価値はある。もしや飲酒等しつつ観賞するとけっこうキマるんじゃない?
レクター博士や「ダークナイト」ジョーカーの原形であるシリアルキラーの犯行再現を期待する人には向かない内容。映画は無罪説をベースに進行、残酷シーンはほぼない。とはいえバンディ善人論を強調するでもなく、彼に愛された二人の女性の感情に比重をかけたり、ドラマのベクトルが錯綜気味。バンディの軌跡は極端にダイジェストされ、同監督のネットフリックスドキュメント全4回を見ておかないと難解な場面も。配信を待って全部まとめて一気見が正解。本作だけでは不完全。
過酷な仕事に就く共働き夫婦の、それぞれの日常描写の説得力。ケン・ローチは着実に現実味のあるトラブルを積み重ね、追いつめられていく大人の心身の疲労を見せつける。何度も岐路に立たされ、そのどちらの道に進んでもダメージが伴う脚本の綿密さ。子どもがたとえ浅はかでも思慮はあり、親の思惑とは折り合わない問題行為を起こすのも、家族とは人間が寄り合う集合体である軋みゆえだ。決着をつけないラストのドライブが、現代的なワーキングプア問題の破綻を予言する。
郵便夫の頑丈さと老いの具合を、滑らかに演じきったJ・ガンブランが見事。シュヴァルの奇人ぶりは否応なく現れつつ、構成は家族に焦点を絞り、愛された父親としての幸福を伴う横顔が浮かび上がる。「フィツカラルド」的な狂気に振り切らず、建造への妄執は美しい風景ショットとの対比で柔和に描かれ、家族の喪失という決定的な不運が最大の影を作り上げる。宮殿の建設で飾り細工より、土台作りに関する会話や描写が圧倒的に多いのも、現実味を直視した真摯さの表れだ。
エッシャーの作品を丁寧に追い、人物像も時系列に従ってコメントを紹介し、家族の取材も加えた実直な作りでありつつ、淡々としたドキュメンタリーに仕上がっている。時代性が並列して引用されるのは参考になるし、エッシャーがファシズムやヒッピーカルチャーをどう見ていたかの証言は面白い。ただ、エッシャーのファンであるミュージシャンたちのインタビューよりも、美術研究家による構造の解析などの説明を取り入れた方が、エッシャーの不思議により迫れたのでは。
T・バンディのどの時間を切り取り、どの側面に光を当てるかの取捨が顕著で、ある意味特異な作品だ。残酷な画は一瞬に絞り込まれ、映画は他人の心理操作を得意としたバンディが、思い通りに出来なかった「愛する女性」と「裁判」が大部分を占める。本作はバリンジャー監督がネットフリックスで撮った、バンディのドキュメンタリーを補足するメロドラマである。バンディのスマートさはわかるが、彼の野蛮な残虐さと愛嬌との落差こそが個性なので、異常な面の描写が少々物足りない。