パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
“壁ドンキラキラ映画”の撮影現場が残酷劇場に変貌するまでのテンポの良さと落差の付け方、最初の死体(死に方)にインパクトあり。血糊や死体、モンスターの特殊造形など、痛みや臭いを感じさせないスプラッター描写はキッチュ。ガラリと様相を変えるフィナーレで、現場のすべてを記録したカメラが投写する影像は、映画の魔力に人生を狂わされた人たちへのレクイエムとして響く。全篇を映画愛が貫く本作は、映画監督が人生で一本しか作ることができない“長篇第一作”にふさわしい。
大泥棒が世界を股にかける冒険活劇アニメーションと3DCGの相性が悪い訳がない。しかし、お宝の秘密があまりにも荒唐無稽で広げた風呂敷のたたみ方が雑なのは、“スケール感”という呪いにかかったからか。逆説的に、本シリーズの魅力はキャラクター間のベタなやりとりなのだなと再確認。そうなると気になるのは次元の声。彼以外の主要キャラの声優が次世代に替わっているため、次元の外見と80代の声優による声の違和感が際立ち、最後まで消えることがなかった。
前作に対する世間の絶賛に完全には乗り切れなかったが、本作には文句なしに打ちのめされた。特に、女郎・リンとのシーン。彼女との友情があったからこそ、すずはどんなに過酷な出来事に襲われても、自分を保てたのだな、と。また、現在の日本の空気が、前作が公開された16年よりも戦時中に近づいていることも、この作品が響く理由。食うものに困ったすずが、食材や調理法に工夫をする姿に、「ニンジンの皮を食べて消費税増税に打ち勝つ」という9月の新聞記事が頭をよぎった。
アイドルになる夢に破れた30代ボイストレーナーが、「セッション」の鬼教官を超える狂気で、現役地下アイドルを追い詰める。ライトな密室サバイバルホラーという皮をめくると見えてくる、「アイドルはどうあるべきか」というテーマを巡る、新旧の価値観のぶつかり合いに興味を惹かれる。「怪しんでいる人から出されたコーヒーをなぜ飲む?」「5日前に屋外に置き忘れた手袋が同じ場所にあるのは不自然では?」など、ご都合主義のツッコミどころが目立つが、次作への期待が軽く勝る。
中々の快作である。中々などというと、映画の歯切れよさが伝わらないが、他に表現がない。撮影中の恋愛コミック映画の主役少年が、突然悪鬼になる、その唐突さにまず胸がキュン。助監督がデビュー作として書いていた「ゴーストマスター」という脚本のゴーストマスターという悪霊が主役少年にとりつき、以降あれよあれよとホラーな展開になっていく。撮影現場が舞台だからという訳じゃないが、「ああ、映画!」なのである。映画の性感帯をくすぐりまくるのだ。来るべき達人の誕生だ。
天邪鬼な僕は、みんなが観ているものには目を背け、ルパン三世も子供がテレビで観ているのをチラ見した程度。今回初めて観るに等しい。ただ一言、面白かった! テンポよく、一瞬も飽きさせない。ご都合な展開も却って心地良い。90分ちょいの長さも的確。売れ筋監督に、「映画が長いのが何が悪いっ!」と嚙みつかれたことがある。やっと終わったと思ったら、まだ続きがあるラストシーンが作れないボンクラ映画はもう不要。映画は客に観せるものであって、見せびらかすものではない。
素直に語りにくいのは確かだ。なにせ三年前に世の中を席捲したあの「この世界の片隅に」のロングヴァージョンなのだ。いや、ディレクターズ・カットのようなものなんだろうか。詩情あふれるカットの数々に三年前に観た時の記憶が蘇る。あの映画の持つ新しくもあり古くもある独自の抒情はやはり記憶の底深くまでしみ込んでいて、消え去ってはいなかった。が、どうしても前作との見比べ心が出てきてしまい、素直に鑑賞できたかどうか自信が持てない。それにしても、のんはやはりいい。
また楽しみな人が出てきた。メジャー系の売れ筋な人たちの映画に軒並み失望を強いられていた今日この頃、嬉しくて涙が出そうにさえなる。音痴な地下アイドルが怪しげなボイストレーナーに軟禁されるという「ミザリー」的な設定からしてそそられる。“新感覚パニック・ホラー”と言うが、そんなジャンル的な分類を笑い飛ばしているかのよう。爆笑ではなく、ブラックなくすくす笑いのあれこれに、何故だか心が癒される。僕は好きです。こんな映画を心ひそかに待っていた気がする。
恋愛映画を撮っている現場がホラーに、という話だが、撮られている作品とされる恋愛もの映像が、予告篇にしか見えない。それをしっかり作りこんで伏線としていないため、作者たちの狙う「ツギハギ」、恋愛ものと思いきやホラー、ホラーかと思っていると恋愛ものとして落ち着く、という逆転の切れが薄れている。また、ゴーストと化した脚本がとり憑くのは俳優ではなくやはり監督であるべきで、彼がホラー愛ゆえに、映画をホラーに作り変える、という筋の方が分かりやすかったのでは。
目玉である3DCGについては、キャラの造形も違和感はないし(ただ、ルパンは以後ずっとこれでいいとは全く思わないが)、モノの質感も確か、方向性の自由度を十分生かしたアクション場面など、まずまずの成功と言えるのではないか。物語に関しては、一般意見を聴取してフィードバックしたというが、その分どこかで見たような既視感漂うものに落ち着いてしまったように思う(特に宮崎の「カリオストロ」。少女、古代遺跡、権力意志)。せっかくの新機軸、もっと冒険してもよかった。
白木リンら娼館の女たちのエピソードが増えることで「戦争」に加えもう一つの理不尽「貧困」が際立つことになる。すずは戦争によって右手を、リンは貧困によって夫を持つ可能性を、それぞれ失う。大切な何かを失うことで彼女らは社会の中の弱者としての位置を自覚し、それでも前に進もうとする。彼女たちが、そこから前に進もうとする根拠となる場所が「片隅」であり「居場所」だ。安易な怒りの表明でも、まして現状肯定でもない、より厳しく、しかし勇気ある道。全ての弱者へのエール。
ホラーというのは安い作りでもアイディアと演出で十分面白いものが作れるので自主作品の枠組みとしてはいいと思う。日常の描写の中に紛れ込む微妙な違和、それが徐々に積み重ねられてゆくと、日常と思っていたものの根底が崩れだす。小さな亀裂が世界をひっくり返す。このダイナミズムがホラーの醍醐味だろう。しかしそれにはアイディアの卓越か観客の意識を操作する演出の腕が要る。その困難に正面から向き合うのでなくコメディに逃げた印象。といってもコメディはもっと難しいが。