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戦争の道具として時代に翻弄される犬の運命を描きながら、同じような境遇に落ち込んだ人間たちの哀れな姿を重ね合わせていくことで、彼らを飼い慣らす者の無神経な暴力を静かに告発する一作。その構図が現代的で深刻であるがゆえに、農村のなかの“人間的”、あるいは“犬的”といえる、つつましいラストシーンが、じんわりと胸に響いてくる。飼い主に殉じる「忠犬ハチ公」のような美談を期待していると裏切られるかもしれないが、そこにとどまらないところが本作の手柄だ。
ヌーヴェルヴァーグからの連続性を保つ、ごきげんなほどクラシカルな筆致で、恋愛模様や感情の揺れる機微を、あえて小さなスケールにとどまって描くスタイルには共感するし、そこに様々な可能性を感じるのは確かだ。しかし、いま社会から切り離されたように見える抽象的な人間描写で恋の駆け引きを表現することにどれだけの意義があったのかには疑問。ケーキの上にのった生クリームだけをすくいとってなめたような味がする。とはいえ、これが好きな観客もいるだろう。
軽妙な会話シーンを中心に、不倫劇をコミカルに描きつつ、ギョーム・カネ演じる男のバブリーな時代錯誤感と、“電子書籍の台頭”という大波に飲み込まれゆく出版業界のシリアスな危機を重ね合わせていくという、アサイヤスの見事な手腕に感心する。彼が着想を得たという、エリック・ロメールの「木と市長と文化会館」もそうだが、このような大人のための知性ある映画を月に一度くらい見られたら、どれだけ人生が豊かになるだろうかと思える、いまとなっては貴重な一作だ。
ヴァルダ監督本人による、シンプルな構成の回顧録といえる作品だが、なにせ紹介する作品群が凄まじい。彼女の知性はもちろん、驚異的に軽やかな感性と好奇心が、映画という二次元の表現媒体と幸せな出会いを果たし、生涯の友となる関係性が生まれていく過程に感動。一見難解に感じられる「幸福」へのシンプルな解説も嬉しい。彼女ののびのびとした姿を見ていると、女性監督の地位の低さや、才能に見合わぬ評価に甘んじている日本や世界の状況に思いを馳せざるを得ない。
ポスターの明媚なビジュアルと邦題から、感傷的なドラマを想像したが、国家が国民に強いた不条理をあばく物語。劇中、主人公たちフランス兵と敵国の兵士が〈インターナショナル〉を歌いながら歩み寄る場面は、戦争における国家と国民の間の乖離を象徴する。なのに戦場での武功により勲章授与。それを犬の首にかけた主人公の行為に主題が集約。留置所の主人公を取り調べる職業軍人の、戦中戦後を通した主義の揺らぎ。二人の真情と、終始止まない犬の吠え声が物語を深くする。
美男美女を揃えた配役に興味をそそられて見たのだが、かすかにヌーヴェルヴァーグの雰囲気が漂い、得した気分に。マリアンヌとエヴの二人の女性に映るアベルのキャラの違いが面白い。彼が主体性に欠ける男として、特にエヴに振り回されるのは、原題にあるように、根が誠実だからか。いずれにせよ、そのいささか物足りない性格が、いまどきの恋愛模様を反映しているかに思える。腹八分目のたとえのとおり、そこそこ感が心地よい。邦題は、内容が伝わるように、一考の余地あり、かも。
この種の会話劇は好み。加えて、その会話の主のキャラクターが作家に編集者に女優とくれば、親近感とリアルさから、思わず身を乗り出して聞き入ってしまう。話の起点になっている「電子書籍ブームによって紙の書物は絶滅する」に新味こそないが、個々人のキャラクターとストーリー展開とを自然に絡ませる手法に、アサイヤス監督の巧さが有りあり。二組の夫婦と彼らに関わる人物の群像劇に発展させ、世相、つまり変わりゆくものとそうでないものに対する二面性への考察が面白い。
「アニエスの浜辺」を、アニエス・ヴァルダのセルフポートレートとするなら、遺作となってしまったこの作品は遺影である。自らの創作の歴史を自身の言葉と映像とで構成する技法は、ヴァルダその人によるマジックショー。タネ明かしに納得したり、驚かされたり。今作の結末にしている浜辺の情景は、前作「顔たち、ところどころ」でラストと決めていたそうで、シーンに重ねた彼女の声「よく見えないまま徐々に姿を消しつつ、私はあなた方のもとを去る」は完璧な終幕。余韻嫋々。
フランス版忠犬物語なんて触れ込みとはいえ単なる動物感動映画などではなく、かなりストレートな反戦メッセージと普遍的な人間愛が流麗な物語運びの中で描かれており、VFXに頼らないガチンコ戦闘シーンをはじめとしたシンプルかつ力強い画作りや高い技術に裏打ちされた音響設計に加え、役者陣のみならず犬からも腰が据わった見事な芝居を引き出してしまう熟練の極みに達した職人技が堪能できる映画で、ドラマチックであることから逃げずに品格を保つ姿勢もベテラン監督ならでは。
父ちゃんの映画「救いの接吻」で三輪車をこぐ姿が可愛かったルイ坊やがこんなに大きくなって監督・主演でこんなにもステキな映画を撮ったことにまず感動したし、各々の心情をモノローグで語らせる、下手すれば興ざめ甚だしい手法をも洒脱に使いこなし、現実と寓話のバランスも見事に、この物語を75分の短尺で語り切ってしまうセンスの良さには舌を巻くばかりで、なにより父フィリップ・ガレルの「お話があんまり面白くない」という弱点から逃れ、しっかり面白いのが素晴らしい。
開始早々「ウッ、これロメール系の退屈おフランス映画だ……寝ちゃうかも」と思うも、それは杞憂で、二組の夫婦が織りなす小粋なラブストーリーを柄にもなく堪能した。紙から電子に移り変わる出版業界の悲喜こもごもは映画がフィルムからデジタルに移行する過渡期を経験した自分にとっても他人事ではなく一見凡庸なラストも変わるもの変わらないものというテーマに即した見事な締めだと感じたし、単純なカットバックに欠伸が出そうになる頃合いで的確に動くカメラも地味によかった。
アニエス・ヴァルダによるアニエス・ヴァルダの映画及びアート作品の解説といった趣で、冒頭彼女の口から語られるように劇中すべての作品には、ひらめき・創造・共有というテーマが貫かれており、波に消されてしまう浜辺の絵のように儚いからこそ美しいそれらを高尚ぶることなくキュートに総括した本作は、寂しいが遺作に相応しく思うと同時に、彼女の人生そのものともいえるこの映画にスコアをつけることには抵抗感があり、一応中間の3つ星をつけるも本来なら星などナシにしたい。