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前作は少年少女がとびきり怖い体験をするジュヴナイルだったが、今回は27年後に再集合した一同が思春期をもう一度卒業し直す泣かせる青春映画。極限の想像力をVFXの職人芸が克明に具象化する恐怖演出のあの手この手はゴージャスそのもの。女陰や膣のイメージ群が少年の性夢を思わせ、子供は大きなものが恐しかったのだと記憶を再生してくれる。メッセージは「エルム街の悪夢」以来の「それはあなたの心の中にいる。」前作と合わせて今後何十年も反芻できる汲めども尽きせぬ宝物映画!
音楽が素晴らしい! と耳を切り落とした画家、ゴッホについての映画に向かってあえて口走ってみる。正確にいえば、ピアノの音楽、いきなりの無音、自然音、仏語英語の語り、人物の顔、動き、カンヴァスに線を描く音、光、カメラの揺れ、そういったもの全てがどうブレンドされ、モンタージュされるか、という意味での官能の音楽に酔いしれた。人はこういうスタイルを詩的というのか、錯乱しているというのか、私は単に映画の原点といいたい。時々目をつむれるくらい気持ち良い。
英国人中年男二人がスペインを旅しながら何をするか。お喋り怪獣よろしくひたすら喋りまくる。美食、絶景、伝説の古城に目を見張るのは観客に任せて、当の二人は旅そっちのけで馬鹿話、与太、蘊蓄、映画の物真似、まくしたて放題の駄弁雑言三昧境。私がもし三人目の同行者だったら発狂している。英国人ってこうだよねと思ったり、英語が世界を征服したのはこいつらのせいかと思ったり。どうしても映画になりきれない映画未満の旅を描いている、というのが面白い、のか?
男一人生きのびるための様々な創意工夫が面白い極北のロビンソン・クルーソー生活と思いきや、そこへ重傷を負った若い女が現われ、彼女を救うための苦難の道行きが始まる。女を橇にくくり付けて男が引いていく途上で、装備を失い、燃料も尽き、要するに遭難者がまた遭難して、しまいには男(マッツ・ミケルセン)が十字架を引いてよろめくキリストに見えてくる。不必要な要素をぎりぎりまで削ぎ落とし、唯一無二の構図に煎じつめたラスト・ショットのなんという美しさ!
大人になったルーザーズの面々が、27年後に再びデリーに結集するリアリティが、前作からうまく引き継がれている。それは忘れられない子供の約束ではなく、恐ろしいピエロの記憶という消せないトラウマだ。本作から加わった美術のポール・デナム・オースタベリーが、1989年と現在を行き来するストーリーにリアリティをもたせる世界観を構築。特に最後の戦いの舞台は圧巻だ。続篇というハンデを払拭したホラー映画だが、やはり田舎の冒険には大人より子供たちの方が似合うなあとも。
60代のウィレム・デフォーが30代のゴッホをのびやかに、みずみずしく、表現する。時折スプリット・ディオプターを使用した、ブノワ・ドゥロームのカメラが、ゴッホの視点となって、ゴッホが見つめる世界の美しさや広さ、希望や絶望を生々しく提示する。これはゴッホという画家を通して、ジュリアン・シュナーベル監督の芸術論を描いた映画なのだろう。「残された者~」のマッツ・ミケルセン扮する聖職者とゴッホの対話が印象的だ。ゴッホ自殺説を覆した、本作の見事な予兆となる。
前作のイタリアから、今回はスペインへ。スティーヴ&ロブコンビの丁々発止は、どこへ行っても健在だ。エスプリの効いたトークと、似ているかどうかはさておき、ゴキゲンなおっさんずモノマネ合戦も楽しそうで何より……と傍観していたら、息子のドタキャン辺りから雲行きが怪しくなって、まさかの結末へ。作中、何度も繰り返され、いささか食傷気味になっていた、中年男の夢落ち話も、爆笑グルメトリップからリアルな物語へと繋ぐ、素晴らしい伏線に。マイケル・ウィンターボトム健在だ。
腕時計のアラームに忠実に従った、遭難者オボァガードの几帳面な日常が淡々と描かれる。湖に仕掛けた釣り竿は、魚がかかれば鐘が鳴って知らせる周到さだ。ホッキョクグマの恐怖を分かち合う人のいない孤独感、寒さや飢えにひとりで堪え忍ぶには、ルーティンをこなす聡明さが肝心なのだろう。生き長らえてこそいるものの、救助への期待など微塵も感じさせぬ遭難者の厳しい表情が、瀕死の女性の登場からとけてゆく。言葉にすれば陳腐だが、他者の存在が人間たらしめる。圧倒的な説得力だ。
原作はキングの中でも上位に入る傑作。何よりその構成が秀逸で、子供時代と大人時代、時を超えた〈IT〉との対決が同時進行で語られる。その「視点」のやり取りが相乗効果で、この「大人への恐怖」を軸とした成長物語を得もいえぬ感動巨篇にまで昇華していた。この映画化作品は前後篇とし、大胆に「子供篇」と「大人篇」に分断して描いた。その整理された構成が功を奏しアトラクション的ホラーとしての完成度は高いが、私が読みながら号泣した“あの光景”とは似て非なるものだった。
ステディカムが当たり前の今時にしては珍しいほぼ全篇ブレた手持ちカメラでゴッホの見ている日常=「世界」が描かれていくのだが、それは誰もが知る名画が誕生するのを目撃しているような生々しさがあり、絵の存在以上の価値まで目の当たりにさせられる。見た目が自画像のゴッホそのままという、キリストに続き“死後有名になった人物”を演じたデフォー。ゴッホが生涯悩まされた幻覚を映像で見せず、彼の憑依した様な人物造形と描かれた作品だけで表現されているのが凄まじい。
同業の友人と旅して、行く先々の美味いものを飲食しながらバカ話を繰り返すのが何よりも好きだ。本作はそれをまんま描いていて個人的に最高なのだが、これが(雑な言い方だが)ちゃんと「面白い映画」になっているのが凄い。ウィンターボトムは、実在の人物や事柄をフィクションに入れ込むのが本当に上手いな、と。マルチカメラでアドリブ長回し、その役者間のリズムを編集のリズムに合わせ、さらに絶妙なタイミングで伝家の宝刀ナイマンの〈Molly〉を重ねる職人技の気持ち良さ。完璧。
若い頃、インドの旅の途中で電気もなにもない人里離れた山奥に行ってしまい運悪く高熱を出して倒れた。夜は真の闇で虫だらけ、雨も降り薬もない。しかし頭はなぜか冷静で、無駄のない対処を自分に施してなんとかなった。本作を観て、そのちょっとした危機的状況に追い込まれた時の生存本能を思い出した。全篇状況説明がなく、北極の雪原でたった一人淡々と己と対峙して「本能」を体現する主人公、その行動を追うだけのストイックなサバイバル“体験型”ミケルセン劇場。大いに堪能。