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インド史上最高の興行収入を記録した前作「ロボット」。VFXはじめハリウッドの豪華お墨付きメンバーが集められ製作された。しかしそれはハリウッドのお古を譲り受けてきたようなもので、作品内容もハリウッドの豪華なB級といった趣。しかし本家と異にするのは終始斜に構えており、映画をまったく信頼していない姿勢。そこが心地よい。お決まりの歌い踊るエンドクレジットは本篇より増して豪華であるし、見応えがある。インドのエンタメ精神は決してハリウッド化され得ない。
自ら「誇りをもって世に出すフランス映画」と自信たっぷりに開幕する待望のノエ劇場。DJプレイのようにノンストップで移り変わっていく「模様」。そういえばいつでもノエの世界は、連続していて移り変わる状況や感情、もしくは倫理の「変化」や「時間」そのものではなかったか。クレジットで「rectum」=直腸という文字を発見したが、「アレックス」に登場するクラブも「RECTUM」であった。大きな肉体の内臓に放り込まれた子供たちは、分裂し消化され怪物に変化していく。
少女たちがカメラの前で絶望的な過去を振り返り、自らの言葉で語り直し、将来に向けて歩み出す奇蹟の瞬間に立ち会う経験。監督=証人としての立場を疑似体験する。語り直しが行われ、暗闇から抜け出る彼女たちの姿を見出す安堵。映画(=語り直し)の治癒効果の可能性。どの社会も歪みや皺寄せは見えない弱者に集中する。このような物語は異国の遠い話ではなく、私たちのすぐ隣の部屋でも起きている。監督は父親の会社倒産を経験し、ワイズマンの門を叩きこのスタイルに到達した。
いまや産業は日本に迫り、映画をはじめ文化水準は高い韓国。30年にも満たない過去に国家が破産したことを思い出す人間も多くはない。当時の韓国銀行の通貨政策チーム長の明晰な頭脳と活躍、国家をおもんぱかる姿勢。そしてIMFの悪巧み。上手なサスペンスドラマとして昇華した作品の誕生は、国家の破綻は完全に過去の出来事/歴史として整理ができた証なのだ。歴史や責任における意識がエンタメ作品だからこそ浮き彫りになる。日本も同様に映画作品から読み取られているはずだ。
楽しいナリ~。科学理論無視、人命軽視、シッチャカメッチャカな小学生世界を精鋭VFXマン総動員で描く超弩級コロコロコミック。前半は怪獣映画でビオランテ、レギオン、メーサー殺獣光線などの記憶が脳裏に。終盤は予想どおり巨大ロボ対戦で、オタクな私はトランス何とかじゃなく「ロボ・ジョックス」を感じ薄笑い。作り手が娯楽性だけじゃ不足を感じたか現代文明批判を交えてるが、なら本作制作にまつわる膨大な浪費はどうよ? と反問も。ま、この手のメルヘンに難癖は野暮か。
素晴らしき狂乱と汚物にまみれた泥酔者たちの残酷喜劇。この監督毎度おなじみラリハイ刃傷沙汰だが、ダンサーの打ち上げパーティーを舞台にしたため存外に芸術的。酒と薬に酩酊してゆくにつれ、彼らのグニョグニョした肉体の重なりが宴の混乱をこの世ならざる光景に変えてゆく。悪霊不在の「シャイニング」的惨劇はすべて人間の業ゆえに下品度マックス。願わくば荒廃した成人映画専門館か場末のディスコで飲酒しつつ見れたら。シネコンでシラフの座り見じゃ射精感は得られない。
誰も見たことがなかったイランの少女更生施設は一見、衝撃的。黒いチャドルをまとい収監されるあどけない少女たち。スマホもテレビも映り込まない古びた施設は発展途上国の暗黒を感じさせ、少女たちへの同情を強く煽る。ところが現実のイランは中東の先進国で、更生施設の外には欧米や東アジアと変わらない都会的でハイテクな風景がある。だから映画は彼女らを苦境に追いやった社会環境も並行して見せるべきだった。厳しい検閲のせいで描写に限界があったのかもしれないが。
本作を見ながら思い出す。韓国で通貨危機が起きた年、日本も拓銀や山一が破綻し政府が金融機関救済に兆円単位の公金投入を決めた。だから日本人は本作を他人事と笑えない。ただ映画は色気ゼロ、シャレっ気ゼロで比喩ではなく笑える場面もゼロ。劇場公開ならもう少し観客サービスしないと。ヒロインも高飛車なカタブツで魅力がないうえ、作戦不発にかかわらず投資顧問会社になって生きのびるのにも不満。教訓は「人民は弱し官吏は強し」か。日本も自民党がなお政権を続けている。
確かにスマホに対する不安や不信感はまだ人の根底にあるのだが、その象徴的な表現として“鳥が死ぬ”というのはプリミティブすぎる。でもそんなドッチラケ感やロボットの非現実味も、ラジニカーント作品の持ち味といえて、最初から気にせずただ楽しむべき作品。マーベル映画のキャラクターのようでありつつ、その亜流版として問題なく肩肘張ることもない娯楽映画として、堂々と大味で存在している。制作費がかかりつつもアウトサイダーアートのような美術や演出のあり方は独特。
相変わらず観客の不快感を煽りたいらしいG・ノエ節。字幕が上下逆さまになるなどの明け透けな挑発は、衰えを知らないなあと感心するが今の時代ではダサい。しかし前作「LOVE 3D」は嫌がらせ映画であっても、深い恋着のどうしようもなさがあってノエを受け入れられる気になったが、今回も些末な演出を描く群像劇で面白く観られた。ダンスのトランスと圧倒的な肉体の動き。LSDによってダンサーたちが狂乱に陥る各人各様のドラッグの影響の描き分けが多彩でドラマチック。
見た目はおとなしい少女たちが、強盗や父殺しについて告白する落差のインパクト。男尊女卑社会や貧困では当然、「女」の「子供」という弱者に負荷がかかってくる。親の麻薬代を稼ぐための強制売春や、そこから逃げ出した流浪の罪は、施設の入所によって中断しているだけで、家に戻れば問題はぶり返す。明るく歌を口ずさんだかと思えば、すすり泣きへと情緒が不安定に変化する現実の侵食。彼女らの施設での落ち着いた様子よりも、出所となり車に乗り込む後ろ姿の頼りなさが目に残る。
国家単位の経済問題を、シャープかつサスペンスフルに描いた硬派な作品。語り口は群像劇になっているため、国の中枢、一般的な投資家、町工場を営む庶民の異なる視点で語られるので飽きないし、難解な用語も流れでクリアできる。リーマン・ショックを中心にした「マネー・ショート」の抜群な面白さをモデルにしているような脚本の作り方だ。世間が金融危機の訪れに気づかない中、歯止めをかけようとする者と機に乗じて策略を巡らす者の知的攻防戦が、劇的に展開して痺れる。